《推定睡眠時間:45分》
大河といえばNHKの大河であるが本来こういう叙事詩形式の群像人間ドラマを大河ドラマと呼ぶらしいから富春江のほとりに居を構える中華式大家族+のだいたい三年間を富春江の春夏秋冬を背景にして河の流れのようにユタァと描き出すこの映画なんかまさしく文字通りの大河ドラマなのであった。
細かい内容はわからん。それはもうきっぱりと言ってしまう。わかるわけないじゃん中国の大河ドラマとか、欧米的な視点を一箇所に誘導する作劇じゃないからね。説明台詞的なものは極力排すし登場人物の全員を平等に引き画で捉えて誰に対しても(ドラマ的に)クローズアップしないんですよ。だから思わぬ所で思わぬ奴が出てきたりこいつはこれからどうなるかなと追っていると急にそいつは前に出てこなくなったりして先が読めない。それがスリリングだし物語世界に豊かな広がりを与えていて一時も目が離せないんですけど(寝てますが)わかるかわからないかで言ったらわかりませんから。いや別にお話自体は難しくないですけど中心を置かない大河ドラマだから「こいつ誰だっけ?」とか「今いつだっけ?」って結構頻繁になるんです。
それは何もこの映画に固有の作りってわけじゃなくて現代中国の作家主義的な監督だいたいみんなこんな風に作ってるよな。『凱里ブルース』のビー・ガンもそう、『薄氷の殺人』のディアオ・イーナンもそう、河+再開発テーマで『春江水暖』と被るヤン・チャオの『長江 愛の詩』だってそうだし、これも興味深いところなのだが全員技巧的な長回しをここぞという場面で登場人物の言語化されない内面を暗示するようにして使う。登場人物の感情が揺れる場面では欧米の映画はその人物の表情をクロースアップしたりして、言ってみれば場面の空間的な奥行きを強調するのがベターなわけですが、中国映画は同じことを長回しでやっていて、場面の時間的な広がりで登場人物の感情を表現するわけ。なんでか知らんがそうなんです。これは不思議と。
中華大家族&再開発テーマの映画でいえば最近は『フェアウェル』という話題作もありましたがあれは監督がアメリカ在住の華僑二世とはいえ欧米資本(中国資本も入ってる)の映画なのでやはり欧米的にカットを割って空間の奥行きを強調して撮ってるわけで、見比べてみるとその違いは明らか、面白いものだなぁと思うわけですが…いかん全然『春江水暖』の感想になってない。なってないが感想と言われても…と誰に言われたわけでもなく自分の意志で書いているのに思ってしまう。
いや、素晴らしい映画だったのでぜひぜひ勧めたい気持ちはあるんですよ。でもほらこういう中華大河ドラマの映画ってさ、なんですかね、つかみどころがねぇっていうか。それたぶん作ってる側もある程度自覚的にやっているところがあって、中国映画は検閲がありますからあんまり明確な形では作り手の主張が込められないし、西洋的なものに対しての中国的なるものというのを考える時にこういう狐につままるようなぼんやりした時間・空間の感覚と非言語的なコミュニケーションにたぶん辿り着く。それで尖った映画を撮ろうとする映画作家ほど逆にスタイルが似ちゃうんだと思うんですけど。
まぁだからこれもそういう尖った中国映画の一本なので、技巧的な長回しがすごいとかそういうことは言えるんですけど、それ以外でどこがどう面白いかというと…なかなかピッタリはまる言葉が出てこない。ただ面白いなと思ったのは(全部おもしろいんですが)『フェアウェル』もそういう話だったんですけど再開発で昔ながらの中国の風景が消えていくと同時に中華大家族も緩慢に解体されていくという視点で、『フェアウェル』は欧米的に割り切って描いていたが『春江水暖』はそのへんかなり慎重な手つきでやっている印象を受けた。
中国人の民族としての強さってやっぱ大家族に象徴される人間のネットワークにあると思うんですよ。そこがどこだろうがいつの間にかチャイナタウンを作り上げてどんどん同胞を呼び寄せるみたいな。一人の中国人が差別を受けたらその他大勢で大抗議みたいな。そういう風にして自民族の強固なネットワークの中で文化を純血のまま生かして継承しようとする。他民族の文化を融合しようとはしない。アメリカ人とかはまぁ都会に限る的なところはあると思いますけど違いますよね。どんどん他民族の文化を吸収して融合して変形してっていう文化じゃないですか、とくにハリウッドなんかは。
で、その中国人の伝統的な文化的生存戦略みたいのが今はかなり弱くなってるんじゃないかと思ったな。『フェアウェル』はそれをバッサリと斬っていて現代中国人の個人主義化・拝金主義化を華僑二世にとっての故郷の喪失として批判的に描いていたんですが、『春江水暖』はそう直截的には言わない。それでも中国の家族は続くというラストに一応はなっている。でも続いた先にある家族はおそらく中国的な大家族ではなくて欧米先進国的な小さな家族なんじゃないかと予感させもする。
そのことが何を意味するかはよくわからんしそのことで作り手が何を言わんとしているのかもよくわからんのだけれども中華的家族像を手放すまいとするかのように遅々とした展開で、永遠に続くかのように思える(しかし確実に終わりは来る)長回しの横移動撮影で家族の変遷を捉える時に、それは仄かにエレジーの色彩を帯びるわけで、そういうところがこの映画は良かったんじゃないかと思う。
新コロにもさっさと勝ったし外から見れば超最強の激安泰にしか見えない中国もそこに住んでる人からすれば案外先行き不安だらけなんじゃないだろうか。富春江の流れは遅いがその流れは決して止まることがない。
【ママー!これ買ってー!】
最新ディズニープリンセス映画『ラーヤと龍の王国』でもナイス存在感だったアジア系ハリウッド俳優期待の星オークワフィナの主演作としても推したい。