《推定睡眠時間:0分》
でけぇソ連時代の研究都市のセット作ってそこにほぼほぼ素人を役者として何百人とか放り込んでセットで暮らしてもらったりしてソ連の臭いを存分にまとってもらったりして台本はシーンの流れ程度しか用意しなかったりしてカメラは回したり回さなかったりして15年ぐらい撮り続けた! …というアオリは幾分どころではない誇張じゃないかと思うのだがどの点がといえばこう書くとあたかも素人をセットに閉じ込めることでソ連の切れ端を現代に現出させてしまったかのようだがインタビューなどを読むとどうもセット暮らしは必須というわけではないらしく…まぁそれはそうだろと思うのだがたぶんね実際もっとゆるいよ撮影環境。ある意味これもゆるかったもん『DAU』シリーズ第一作目の『ナターシャ』(あと15本ぐらい続きあるらしいです)
なんだろうねぇこれは、身も蓋もなく言えばなんかバクシーシ山下とかが撮ってたような90年代悪趣味AVの初期ラース・フォン・トリアー風味ロシア版みたいなものだと思います。素人女優の本番があって、スタントもカット割りもなしのセミ拷問があって、カメラの前で泥酔してゲロ吐いて…というのが見所であの俺はね俺はですね以外とピュアですからマジかよ映画のためにソ連作っちゃったのかよ超みてーって思って映画館行くじゃないですか! そしたら狭い食堂と狭くて何もない研究室と狭くて更にもっと何もない拷問部屋ぐらいしか出てこなくてそこで素人が90年代悪趣味AVっぽいことをやってるだけなわけじゃないですか! まぁ面白いから良いけど騙された感はあるよね!
いやもちろん分かりませんよこれあくまでシリーズの第一作目だから今後のシリーズ作次第ではありますけれどもうーんたぶんこれはたぶんこれはソ連を部分的にでも再現していないことはないのだろうけれどもスタンフォード監獄実験的な感じでは再現していないっていうかソ連の精神までは到達していないと思いますしセット的にも…おそらく敷地面積自体は広いのだが「ソ連完全再現!」的なものにはなってないと思うわーこれはー。
でもそうだよな。本当にそんなことしたら国が建つとまでは言わずともバチカン市国ぐらいなら建つだろっていう超膨大なお金がかかりますし素人をセットに長期間住ませて心身共に追い込んでの撮影は実際にやるとすれば単に倫理的な問題を孕むのみならず訴訟リスクと触法リスクのやばさで金出す側も手を引きますから映画だろうがアートだろうがビジネスとして成り立たないよな。無理なんだよそんな映画。みんなの頭の中にしか存在しないんです。それをあたかも現実に存在するかのように宣伝する…というのは確かにソ連的と言えるのかもしれないけれども!
90年代悪趣味AVっぽい部分のほかに面白かったのはロシア式宴会とかはやっぱイイですよねあの糞やっかましい感じの。ビートルズみたいな髪型の研究所職員が酔っぱらって魚をテーブルに叩きつけながら「ドーン! ドーン!」って言っていくところとか笑います。これを観たのと同じ日にこの映画と手法が近い(※セットの中に群衆を放り込んで全員が別々に芝居をしているので焦点が定まらないその酩酊的なカーニバル空間にカメラが入っていく)アレクセイ・ゲルマンの『神々のたそがれ』を観たんですけど宴会(?)のノリが大体同じでロシア人酒入るとリアルにこういう感じなんだろうなって思いました。
あとナターシャがヤる相手っていうのが外国から呼ばれた科学者なんですけどこの人がオルゴンエネルギーを研究してる人でピラミッド型のオルゴンエネルギー注入マシーンに被験者を入れていくというお仕事風景があり…これも真面目に撮ってるからあれですけどブラックユーモアと紙一重だよね。いやそれはそういう研究だってソ連やってたかもしれないけどキワモノ感がさ。キワモノっていうか見世物? 俺は結構そこ疑ってるんですよ、この監督はインタビューとかではすごい社会派っぽいことを言っているが本質的には初期トリアーとかギャスパー・ノエみたいに観客にショックを与えるための見世物性を映画作りの核にしてる人なんじゃないかっていう…まぁそれはそれで映画として正しい。
映画が始まって最初に訪れる波乱は食堂で働くナターシャと年下の女同僚の大げんか。カットを割ることなく数分間も続く取っ組み合いに『ゼイリブ』の伝説的サングラス・プロレスが去来するがその原因がすごく床掃除をサボろうとする年下の同僚を叱りつけたら年下の同僚が逆ギレしてきたという…ケンカ理由の小ささも『ゼイリブ』的であるが、これもまた見世物性を感じるところ。「掃除しろ!」「しない!」も単なる見世物には終わらず映画を最後まで観れば一応これはナターシャにとっては生への意志の発露としての絶対に譲れない日常行為なのだろうとか、あるいは逆に国家に服従させられた人は自分よりも弱い立場の人間を服従させようとするということなのだろうとか思ったりはするが、まぁ、とはいえ、過度に意を汲んでもしょうがないのかもしれない。
なにせこれは見世物なのである。そのいかがわしさ、煽情性、肩透かし、外側だけのホンモノらしさ…まがいものの見世物であって、そう思えばこのプロジェクトの主眼はソ連を再現することではなく、再現されたと「公式には」されている場に入った時に、あるいはその行為を観客として眺める時に、人間はその虚構をどこまでホンモノとして主体的に受け止めようとするのかという点にあったのかもしれない。社会主義国家で生きるとはそんな風にしてあくまで主体的に主観的思考を殺し宣伝文句を言われるがまま受け入れて国家幻想に服従することであろうから。
【ママー!これ買ってー!】
色々と痛々しいトリアーのたくさんある問題作のひとつ。