《推定睡眠時間:15分》
クロエ・ジャオというアメリカ在住の中国人監督が撮ってるから邯鄲の夢みたいなところがあるのかなぁというのはいくらなんでも思考が雑であるがこの諸行無常感とか被写体との距離の取り方がアメリカ的としか言いようのない文化様式を描きつつも非アメリカ的な異邦人の眼差しを感じさせるのも事実で、ちょっと面白かったのは80年代アメリカの移民韓国人一家を韓国系アメリカ人の監督が描いたこちらも今年の話題作『ミナリ』も極めてアメリカ的なのだけれども異邦人から見たアメリカ、というのが強く打ち出されていたところで、やはり腐っても移民大国だからアメリカ的なるものの本質を捉えようとしたら移民の目の方が鋭くえぐり出すことができるんじゃないだろうか…とかそういうのがあるのである。
『ノマドランド』の方は出てくるのは白人ばかりだとしても資本主義社会の周縁で生きる人たちのお話なので物語的にも異邦人がテーマになっていた。役得、ということもないだろうがここはおそらくアメリカ生まれアメリカ育ちのアメリカンならなかなか撮れなかっただろうなぁと思わされるのがこのノマドの人たち、そこまで不幸じゃないんだよね。まぁ何を不幸とするかっていうのは人によって基準が違うと思うのでアレなんですけど、社会的弱者という時にイメージされるような単純な弱者ではないっていうか、期間バイトとかはやるんですけど基本は自給自足の生活なのでサバイバルスキルでは普通に家持ってぬくぬく生きてる資本主義のザ☆奴隷よりも勝っている。
こういう逞しい貧困層のイメージって純アメリカ人監督ならそのまま称揚することは基本的にない。まこれだって称揚というとちょっと違うんですが、少なくとも否定からは入ってないんですよね。でも純アメリカ人監督ならやっぱリスペクトはあっても否定から入ってしまうっていうか、たとえば貧乏ノマドと金持ち都会人の交流みたいな筋立てにして、傲慢な金持ち都会人が貧乏ノマドに人生を学んでこれまでの生き方を反省しつつ新たな一歩を踏み出すみたいな…こういう映画がある場合にこれは可哀想な貧乏ノマド/恵まれた金持ち都会人っていう構図が先にあって、最初から貧乏ノマドには負の徴が刻まれているわけです。物語が展開する中でそれが正の徴に反転していくのがこういう物語の面白さなので。
あるいはもっと単純な社会派映画ならノマドを生みだした社会を告発する方向に行く。ノマドこんな苦しい思いしてるじゃねぇかっていうのをリアリスティックに描こうとするわけですが、この場合でも貧乏ノマドと金持ち都会人の物語と根本の構図はそれほど違うものではなくて、この社会、アメリカ、資本主義というものは基本的に間違っていない(だからこそ告発して過ちを正さなければならない)ということを証すため、その正しいはずのものからあぶれた可哀想な人々としてノマドを捉えるわけです。
これが純アメリカ人監督に可能なノマド描写の2パターンで、そりゃまぁバリエーションはあると思いますけど基本的にはこの構図から抜け出すことはできない。ノマドに羨望の眼差しを向けるショーン・ペン監督作の『イントゥ・ザ・ワイルド』でさえもこれあくまで俺の主観ですけどやっぱそうだったんですよ。主人公の放浪の旅の動機としてアメリカ社会の偽善に対する抗議っていうのを前に出していて、あくまでカウンターとしてのノマドという域を出ない。アメリカ社会の副産物のノマドっていうイメージから先には進めないんですよね、あくまで俺の主観ですが!
翻って『ノマドランド』はどうかというとここでのノマドは定住者に知恵を授けるマジカル・ノマドでもなければ社会の犠牲者ノマドでもない(まぁ入口はそうなんですが)、カウンター・ノマドでもなくて(これってなんだかマジック:ザ・ギャザリングの青のデッキ名っぽくないですか? わからない? そうですか)、単にノマドとして生きる人っていう以上のものではないんですよね。
そこにはノマド生活の苦痛もあれば快楽もあって、自由もあれば不自由もあって、悲しみもあれば喜びもまたあって、出会いもあれば別れも…という風な感じで、かなりニュートラルに、心情を表現する台詞の極端に少ないドキュメンタリーに近いタッチで撮っている。だから物語の中で否定的な存在とも肯定的な存在ともならなくて観ている側はノマド生活を送る主人公のフランシス・マクドーマンドのアメリカ辺境旅をただ色眼鏡なしで見守るしかない。
これがアメリカなんだなぁってそれ観ながら思いましたよ。良い悪いはともかくやろうと思えばこういう生き方もアメリカ別にできるんですよね。もう単純に、国土広いし。あとコミュニケーション技術(スマホとかネットとかじゃなくて対人のことね)が洗練されてるんで仲間同士の互酬的な繋がりが自然に形成されるっていう。そこでサバイバルに必要な物資とか知識を分かち合うから主流から外れた生き方をしても孤立しにくいし、そこで案外幸せになれたりもするんですよ、たぶん。
こういうの日本だと無理だよねぇ。国土は狭いし生き方の多様性を支える文化がない。上っ面だけ多様性とかなんとか言っても効果がないとは思いませんけどただやっぱ根付かないですよそれじゃあ。自立した自己が志を同じくする仲間たちとあくまで単独者として相互扶助の関係を結ぶっていうモデルがないと厳しい。ノマドだってネットワークはありますけど基本的には一人旅ですからね。それは自立できない大人こどもがあらゆる分野の偉いポジションに収まっているネオテニー大国ジパングでは無理に決まってますよ。
…などとつい本邦を腐したくなるぐらいこの映画は異邦人の目から見たあこがれのアメリカなのです。この美しさはアメリカの空気にケツから頭まで冒されたアメリカ人には逆に発見できんでしょうなぁ。深夜のダイナー、蛾の舞うトイレ、真冬の荒れ野で座り小便。どこが美しいんだという気もするが美しいんだよそれが。自由の美しさっつーものがそこにはあるんです。自由の代償もまた。
いいね、すばらしい。
※あと水族館ではしゃぐフランシス・マクドーマンドが異常にキュート。
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アメリカ人は周縁文化をストレートに撮れないといっても今の監督はということでジョン・フォードは底辺カルチャーを活写するのが上手かったし嘘がなかった。『怒りの葡萄』もそういうところが面白いわけですが『ノマドランド』はストーリー面でちょっと『イカブド』を彷彿とさせたりもしたな。いや『イカブド』って。
↓原作
ノマド: 漂流する高齢労働者たち
ノマドの人たち、なんかゼイリブに出てた労働者の集落みたいでしたけど、アメリカってああいう貧困層キャンプみたいなのが結構あるんでしょうかね。
心が一か所に囚われてたゆえに、国内をさまようハメに陥ってたという皮肉。解放された主人公はどこへ行くのか・・・
にしても、かなり身につまされながら見てたんですが、よく考えたらゼニなくてクルマ持ってない自分のほうがよっぽど貧困と気づいてショックで発狂寸前。狂っちゃいけない、ティガー、ティガー!
>心が一か所に囚われてたゆえに、国内をさまようハメに陥ってたという皮肉
これは結構考えさせられるところでした。逆を言えば心の拠り所があるからこそ放浪生活を送れるとも言えるわけで、都会の定住者なんかの方が拠り所がなかったりするんですよね。福祉とか医療アクセスの問題はあるとしてもどっちが幸せなのか一概には言えないよなぁとか思いました。アメリカは格差が超絶とか言いますが格差の最底辺でも日本の最底辺が持てない車を余裕で持ててるじゃん…とかも思います笑
こんにちは。
フランシス・マクドーマンドが、とっても良かった。途中で白いふんわりしたチュニックみたいな服装になったとき、何か解放されたみたいな感じで、泣きたくなりました。
…サム・ロックウェルもどこかでノマドしてんのかなぁ(それちがう)。
フランシス・マクドーマンドは田舎の人の役が巧いっすよねぇ。個人的なグッときたポイントはRVの展示会に行って買えないし買う気もないデラックスなRVの運転席でぶんぶ~んとか言ってるところですした。