すばらし映画『海辺の彼女たち』感想文

《推定睡眠時間:0分》

どこだか知らんが勤務先から逃走した技能実習生の若女三人組が地下鉄に乗るシーンで「なにしてるんやろね」と老人男性の声がかすかに入る。ダルデンヌ兄弟作品を彷彿とさせるドキュメンタリー的な撮影・演出スタイルを取るこの映画は記憶する限りでは全編手持ちカメラで撮られていて、そのため地下鉄のホームから満員の車内までもしっかり手持ちカメラで三人を追う。低予算映画だしおそらくここはゲリラ撮影かそれに類するものである。ホームでは画面奥に立っているたまたま映り込んだと思われる女子高生がチラチラとカメラを見る。画面手前には主人公三人が立っているからあたかも女子高生が三人をチラ見しているかのように観客の目には映る。「なにしてるんやろね」も撮影に対しての言葉なのだろうが、小汚い身なりでリュックとか背負ったまま満員電車に乗るマナーのなってない外国人に対する蔑み混じりの不満の声のように聞こえてくる。

これは偶然録れたものかもしれないが声というのが重要なポジションを占める映画で、いわゆる失踪技能実習生…なんか豚の解体がどうとかで少し前に話題になったりもしましたが…の逃走先での生活が描かれるが、そこには日本人はほとんど画面に現れず、様々な声として画面の外から三人の世界に入ってくる。命令の声であったり拒絶の声であったり機械的な声であったりとその多くは心地の良いものではない。人が外国を意識するのはやはり言葉を聞いた時なんじゃないだろうかというわけでそんな声の数々を聞いているうちにこちらまで外国人気分で心細くなってくるのだから周到な映画であるが、この映画の声はもう少し批評的射程が広いように俺には思える。

声は決して三人に歩み寄ろうとしない。郷に入っては郷に従え精神でたとえ相手が外国人だと知っていても話者はあくまで日本語で語りかける。当たり前といえば当たり前だがそれが何を意味するか考える材料はこの映画に腐るほど含まれている。それは発話を通した無意識的な優越性の誇示なのではないだろうか。いや、だって怖いじゃん外国の人。怖くない? いや別に怖くないですよって思うかもしれませんけどそれじゃあですよ街中で外国の人に知らない言語で道を聞かれたらゼロ狼狽で答えられますかって話ですよ。あるいは、日本語のできない外国人に対して善意から子供に話すように口調を変える人って結構そこらにいませんかね。

そういうときにわれわれは自覚なく相手より上に立とうとしている。日本語が通じない相手とどうコミュニケーションを取ったらいいかわからない不安が、日本人を過剰な日本語発話に駆り立てる。そこは自分のフィールドなのだからひとまず不安は解消されるし、何を話すかではなく日本において日本語で話しているという行為自体が、優越性の誇示として、自分の正しさの証明として機能するのだ。

そういえば前に路上喫煙してる外国人観光客に通りしな「ノンスモーキン!!!」と叫んで去っていった日本人狂人を見たことがあるが、英語のわからない俺が言っても説得力がないだろうがたぶんエクスキューズミーヒアイズノンスモーキンエリア的なことを普通の声量で言えばいいだけの話で、そんな通り魔じゃあるまいしと思うのだが、察するにノンスモーキンマンはその単語チョイスからすればあまり英語ができる人ではないだろうから、自分たちが守っているルールをまったく気にしないというかたぶん知らない外国人がコミュニケーション不可能な異物と見えて、そこに生じる、日本語に護られた日常の秩序の裂け目が、恐ろしかったのである。その恐ろしさを克服するために威嚇的ノンスモーキンが咄嗟に出てしまったんじゃなかろうか。端から見れば喫煙外国人よりお前の方がこえーよと思うのだが。

三人の逃走先の不法就労職場(※急に映画の話に戻りました)で上司の立場にある若い日本人男もノンスモーキンマンほどではないが仕事をミスった三人を怒鳴りつける。その文句が可笑しい。理不尽なキレではないのです。「お客様に出すものなんだから丁寧に扱わないとダメじゃん!」みたいな正論でキレる。でもこれの何が可笑しいかわからん日本人っていうのは大勢いるんだろうな。結局この上司日本人もノンスモーキンマンと同じで、言ってることはまぁまぁ正しいとしてもやってることが間違っているっていうことがわからんぐらいコミュニケーションスキルが未熟なのよね。

相手に自分の「正しい」要望を飲ませようとしたら丁寧なコミュニケーションを取った方が受け入れ率は高いだろうということは経験則で大抵の人は理解しているのではないかと思うが、これが実践できているえらい立場の人間は日本ではとりわけ少ないように感じられる。つまりこれこれこういう理由でこうした方が私もあなたもこれぐらい得するんでこれはこうして欲しいわけです、と冷静かつ論理的に説明すればいいところを感情と印象で乗り切ろうとする。

あるいは、それができない人は機械的に「ルールですから」を繰り返す。外国人に対する日本人の発話の両極端がこの映画では描かれるわけで、まったく日本人はどうしてこうも合理的なコミュニケーションが取れないのだろうと…いかんまた映画から離れてる! っていうか全然映画の感想言ってない! まぁでも感想が脱線する映画は良い映画って言った人もたぶんいるからね広い世の中には。するつもりはなくても思わず脱線してしまうぐらい良い映画だったとさしあたり考えてもらいたい。

いやマジ面白かったですよ。素晴らしい。ダルデンヌ兄弟風のサスペンスが実に効いていてどうなるかどうなるかで最後まで目が離せない。あのね失踪技能実習生とかいう題材ですしドキュメンタリータッチの…と聞けばかなり身構える人もいると思うんですがそういう映画ですけどそういう映画じゃないんですよこれは。とにかくずっと画面が緊張していて…声だけで(はないがカメラが日本人中心の構図を作ることはない)出演の日本人とか説明を排した脚本とか顔面ドアップかなり多用のカメラワークがその主な源なわけですが、岩手だかの沿岸部らしいロケーションもまた素晴らしくて、閉塞的な雪景色は物語の方向性も覆い隠す。もうどこにいるんだかよくわからん。どこに向かえばいいのかもよくわからん。この不安感がたまらなく超おもしろいのです。

でしかも主人公のベトナム技能実習生女性三人がかわいい。これはなかなか(題材的に)勇気を要する発言だがかわいいと思っちゃったので仕方がない。過酷な労働の合間に雪だるまとか作って戯れてるところとか最高。うう…こんなかわいい若い女の人を過酷労働ですり減らすなんて許せないぞ日本! と、スケベ心丸出しの義憤ならぬ偽憤に駆られてしまうわけですが、俺は人が悪いのでそれもある程度作り手の計算だったんじゃないかと思っている。主人公三人と書いたが物語の中心になるのはその中でいちばん見た目的にも性格的にもかわいくない人で、そこには無意識的に人々が求めたがる「純粋無垢な美しき犠牲者」のイメージを視線誘導的に活用しつつ、いちばんかわいくない人に物語の軸をズラすことでそうした大衆道徳の偽善性を暴き立てる意図も見えないでもない。

また話が脱線するがすぐ復帰するので多少の脱線ぐらい多めに見てもらいたいが(多少か?)名古屋入管収容中にスリランカ人女性が死亡した事件を共感できる/できないで語る人が名古屋入管(および日本の在留制度)を非難する側の人にも擁護する側の人にもいるのをツイッターで見ていやそういうことじゃねぇだろと俺としては思うのだが、道徳と共感をごっちゃにしている人はどうも日本社会では珍しくないらしく、それはどこかで障害者や難病を克服した人の美談を、アイドル化を求める心情と通じているのではないかと思う。

『七人の侍』が素晴らしいのは菊千代がてめぇら農民が聖人だとでも思ったのかと侍どもを一喝する場面が…ってどんどん逸れていくね! まぁつまりさ、善悪の尺度を共感にしたらダメでしょって言いたいんですよ。それは子供の態度で少なくとも大人のやることではないね。でもシンクレティズムとポストモダンの国ジャポンでは良くも悪くも善悪の絶対的な基準(たとえば聖書とか)がないからその判断は個人に委ねられていて、そうしたときに共感ぐらいしか善悪の尺度として使えない人が出てくるというのは当然のことなのかもしれない。その共感至上主義は今日では見事に市場に組み込まれて「泣ける」だの「イイね!」だのという共感消費はもはや生活の一部となっているが、それが排他性と表裏一体の概念であることは言うまでもない。

それにしても皮肉なのは主人公三人に(※また急に映画の感想に戻りました!)不法就労を斡旋するベトナム人ブローカーの方が闇仕事に手を染めていない正規労働日本人たちよりも遥かに三人に対して配慮しているところである。もちろん人道的な観点からではなく自分が送り出した人材がまた逃亡でもしようものなら信頼を失って仕事ができなくなってしまうというもっぱら経済的な理由からだが、効率的に搾取をするには搾取対象にある程度は配慮した方がいいという自明の理をちゃんと理解しているブローカーの方がそこらの日本人よりも先進的な考え(とくに最後らへんのあれ)を持っているというこの主客の転倒!

三人が逃げ出した元の派遣先は超過労働に加えて賃金もまともに払わない超絶ブラックっぷりであったが(と三人は語る)、そんな奴隷みたいに労働者を扱って現場が回るわけがない。当たり前のことなのだがそれが当たり前ならサービス残業とか過労死とかパワハラとかセクハラなんか起きないのでこんな当たり前のことさえ当たり前になっていないのが斜陽の経済大国日本である。などと思えば、これは確かに技能実習生が題材の映画ではあるが、そこで描かれる種々の問題は技能実習生や実習生制度に固有の問題ではなく広く日本社会全体の問題と言えるのかもしれない。

突然強烈な頭痛に見舞われて深夜の病院に駆け込んだ日のことを思い出す。夜間外来では精密検査もできないからとひとまず頭痛薬を処方されたがスマホやパソコンのディスプレイを数秒見るだけで立っていられなくなるほどの異常頭痛の不安はそんなものでは解消されない。死ぬかもしれないと思ったので受付にやばくなったらどうすればいいかと聞くと救急車の要不要を判断するダイヤルの案内を渡される。でも電話の画面を見るとすごく頭が痛くなって…と告げると受付が指差したのは入り口付近に置かれた公衆電話なのであった。「あそこに電話ありますから」あのさぁ!

状況的には全然違うが劇中の三人も病院の受付でまぁまぁこんな感じの目に遭うわけで、俺の場合も三人の場合も受付の人間はただ自分の仕事をしているだけなのだろうが、ただ自分の仕事をしているだけだからという日本的な逃避的態度は明確に悪であると言わなければならない。これは半分ぐらい怨恨が入っているが、そう意識した方が世の中がギクシャクしないのは確実であるし、世の中がギクシャクしない方が個人の生活の質が上がるのも確実である。

道徳でも理想論でもなく単に楽しく生きるためには労働者だろうが外国人だろうがホームレスだろうがなんだろうが他人には親切にしといた方がいいという話だし、怖いものや嫌なものや面倒くさいものも(たとえばこの映画に出てくる不法就労で限界職場を無理に維持している日本人のように)見て見ぬふりをしないでちゃんと取り組んだ方が結局は自分の得になるというのが日本人がなかなか実装できない合理的な考え方というもので、技能実習生制度にしたって実習生がちゃんと日本人労働者と同じように扱われてちゃんと毎日楽しい生活を送れるように制度を改正したり運用を厳格化すりゃみんなハッピーなんだから与党の政治家も変な理屈とかこねてないで素直に今の制度の駄目さを認めて積極的によりよく変えて行こうとすりゃいいのに…とかなんだか取っ散らかってきたのだが、つまり要するに、この映画を見ると人生が楽しくなるのでみんな観ましょうね!

【ママー!これ買ってー!】


サンドラの週末(字幕版)[Amazonビデオ]

まぁでも面倒くさいものにはあんま関わりたくないっていうのはいかに不合理なチョイスだとしても捨てられない感情ですしわりとどこの国でも同じです。というわけでダルデンヌ兄弟が臭いものにした蓋をこじ開ける『サンドラの週末』をどうぞ。

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通りすがり
通りすがり
2021年5月13日 5:32 PM

ベトナム人技能実習生の待遇はかなりひどいらしいですね。敗戦以来アメリカのチ○○しゃぶり続けて生き延びてきた日本人ごときが、フランスを追い出した上にチョッカイかけてきたアメリカや中国に勝てないまでも一発くらわしたベトナム人にそんな尊大な態度とって大丈夫なのか? と不安になります。
にしても、ブログ主様の指摘する通り、緊張感すごい映画でしたね。こんな絶望的なことになって最後どうなるんだ? と心臓がバクってましたよ。
しかし・・・この監督にはガッカリしてしまいました! エンドロール始まったとき、私がえっここで終わり? とズコーしてるそばで、荒々しく席を立った人がいて、その後も何人かがエンドロール中に白けたようすで帰っていきました・・・
なんつーか、監督の自己満足、ええカッコしいを見せられた気がします。もっとシロートが見やすく作ってほしいんですよね、深刻な話ならなおさら。