【ネッフリ】『アーミー・オブ・ザ・デッド』悪口感想文

《推定ながら見時間:100分》

少なくとも映画好きにとっては監督の意図した上映時間をプロデューサーとか出資した会社の意向で短縮させられることはあまり望ましいものではなく、実際そうすることで監督や脚本家の本来の意図が観客に伝わらなくなってしまったり俳優のせっかくの名演も他のシーンがカットされたことで名演に見えなくなってしまう残念ケースはしばしばあるので、ハリウッドでは慣行的にまかり通っているこうした蛮行に少しでも抵抗しようと(または作品の知名度を使ってもう一稼ぎしようと)90年代後半ぐらいからオリジナル版に近い形で監督が再編集を施したディレクターズカット版の公開やソフト化が盛んになり、監督が直接絡まないところで権力の手によってズタズタにされた映画群のディレクターズカット版を観ては絶対こっちのが面白いのにカットするとかセンスないし頭も悪いな~とか劇場公開版を貶すのが観客側の新たな慣行となったのであった(※これはあくまで観客の一例であり総意ではありません)

そんなディレクターズカット監督の一人であるザック・スナイダーのNetflix映画『アーミー・オブ・ザ・デッド』ですがゾンビ映画にしては長めの上映時間148分ということで最初からおそらくディレクターズカット、原案も脚本もスナイダーが書いてるし映画監督が自分のやりたいことを出資する側に邪魔されずにやり遂げた作品と言ってもいいんじゃないだろうか。突然ですがここで俺がこのプロデューサーだとします。この映画の初号試写に行ったとします。上映後、チラっと出資者の顔色を伺ったら色を読むまでもなく即会議室に連れていかれてしまいました。

そうかーやっぱりなーそうかー。俺からスナイダーに言えってことかー。プロデューサーって胃の痛くなる役回りだなー。しょうがない、そういう仕事だ。「あのぅ、スナイダー監督。お気を悪くしたら申し訳ないんですが、ちょっと長いような気がしたんですが…」「ははは、お気遣いなく。いつも言われていることですから。お前の映画は無駄に長すぎるってね。で、何分ぐらいカットしたいと?」「分っていうか一時間です」スナイダーちゃぶ台ガシャー! そんなキャラじゃないしあとNetflixの会議室にちゃぶ台はないと思う。

大人になるって悲しいね。俺なんでハリウッドの偉いやつらがやたら映画をカットしようとするのかちょっとわかってしまいましたよ。こういうケースもあるんです。映画監督のやりたいことをただベタっと並べたら平板かつ冗長になってしまってそれでもそこに芸術性とかメッセージ性とかがあればそれは尊重したいがそれも無いか限りなく薄いので長いままにしておく商品的なメリットが皆無に近い映画だってあるんです。むしろディレクターズカット版よりもディレクターに変に忖度しない編集マンカット版が観たい映画というのが…!

これはあれだな俺はそこまでっていうかぶっちゃけ全然期待してなかった方だが予告編で期待して観た人の半分ぐらいは怒りのあまり近くの人間に噛みつくなどの異常行動を取っているだろ。な、なにあの壮大な予告編は。うんあるねあるある予告編にあるシーンちゃんと本編にも出てくるから詐欺じゃないね本編の最初の8分ぐらいの間にほぼ全部出てくるから詐欺じゃないねいやそれを詐欺って言わない普通?

軍の輸送してた秘密兵器ゾンビがショボイ衝突事故で都合良く脱走してたどり着いたラスベガスを一夜にしてゾンビタウンに変えてしまうが米軍の対応は早くベガスの完全封鎖にあっさり成功、だが封鎖されたベガスには置き去りにされた金がたくさん残っていたので悪党どもはその金をいただくために金に飢えた使い捨て軍団を封鎖された設定のくせにめちゃくちゃ簡単に侵入できるベガスに送り込むのだった…とまぁこんなC級ストーリーの映画にちゃんとしたものを期待する方が悪い気もするのだが、とはいえザック・スナイダーの長編デビュー作にしてゾンビ映画の金字塔『ゾンビ』のリメイク作『ドーン・オブ・ザ・デッド』のタイトルバックをスナイダーの大出世作にして現代アメコミ映画の鋳型となった『ウォッチメン』風にセルフリメイクしたような活人画風タイトルバックは大変素晴らしく、落下傘降下した兵士がゾンビの群れの真上に落ちちゃってそのままグシャーなシーンとか、オーバーキルをオーバーした一斉射撃を浴びて肉片というか肉粉と化す豆腐ボディのゾンビとか、おっぱい丸出しでヅラの金持ちを食いまくるコールガール・ゾンビとか、このへんはスナイダーのコミック的風刺精神が抜群に発揮されていて超面白い。超面白い。二回言っていいぐらいは超面白い。

まぁでもその超面白さ、そこで終わるからね。観たかったのそのゾンビ戦争の部分なんだけどなぁ…ゾンビベガスに入ってからのしょぼい浅い人間ドラマ人間ドラマ人間ドラマをやっていたら雑なゾンビが出てきて撃ち殺したらまた人間ドラマみたいなグダグダ展開とか本当に心からどうでもいいしあと封鎖されたゾンビベガスに金を奪いに行くプロットとかゾンビと勇敢に戦った主人公の兵士がゾンビ戦争後に底辺暮らしを余儀なくされてる的なキャラ設定が韓国映画界を超えて世界ゾンビ映画界の最先端に位置する『新感染半島 ファイナル・ステージ』と被ってる。

被ってる上にオモシロの盛り込みとドラマの盛り上げとキャラの立ちと社会風刺の鋭さと世界観の作り込みとアクションの切れ味とサスペンス描写の緊張感の全てでタイトルバック以外は完膚なきまでに負けてるのでハリウッドのA級映画監督としてかなり情けないと思う。しかも『新感染半島』は上映時間2時間切ってるし。『新感染半島』は前作の『新感染』ほどのよくできた映画じゃないねぇと比較的引いた感想を持ってる俺がそう思うんだから相当なことだぞこれは。

これあくまで憶測。なんの裏付けもない憶測ですけど、たぶん撮影中にコロナ禍入っちゃってゾンビ戦争っぽいシーンがかなりの部分撮れなくなっちゃったんじゃないかな。なんかゾンビベガス内での対ゾンビ戦もいまひとつ盛り上がりに欠けるっていうか端的に言ってゾンビ、少なすぎ。これはもう終末系のゾンビ映画として致命的でダッシュ可能な終末ゾンビときたらやっぱバーっと押し寄せてきて欲しいわけですよ。『ゾンビ津波』なんてバカな映画もありましたけど(未見)押し寄せてナンボがロメロ以降のゾンビでしょ。だけどそれがソーシャルディスタンスとかいうゾンビ映画撮影を完全否定する概念の登場によって不可能になってしまった。どのシーンをいつ撮影したかとかは知らないがゾンビ襲撃シーンのいくつかはリアル感染に非常に気を遣ったアクション振り付けになっていたように思う。

映画内に留まらず現場にも感染リスクがあるという意味では唯一無二の終末ゾンビ映画と言えるかもしれないが…でも撮り方である程度カバーできるからねそういうのは。ロメロのゾンビ名作『死霊のえじき』とか『ランド・オブ・ザ・デッド』を観ても必ずしも押し寄せだけがゾンビ映画の恐怖演出ではないし、たとえばゾンビの群れが徐々に近づいてきて逃げようとするが出口の扉が閉まってるとか、あたふたしてたらいつの間にか近くに来ていた別のゾンビに肩を掴まれてドッキーン☆みたいな、そういうのだってゾンビ恐怖なわけでしょ。

何がダメかってダメなところがちょっと多すぎるんですけどその一つはやっぱゾンビの見せ方、ゾンビを使った恐怖演出にあるんだと思います。立って寝るゾンビ(このアイディアは狂牛病を題材にした低予算ゾンビの佳作『ミート・オブ・ザ・デッド』とか電波ゾンビは空を飛ぶスティーヴン・キングの原作版『セル』で使われていた)の間を音を立てずに縫って進むソーシャルディスタンスな感じの場面とかは良かったですけど他はかなり厳しい。ゾンビが単なる殺され役になってしまっていてサスペンスもクソもないし、それならそれで殺して殺されてを繰り返すだけのゾンビ地獄を描けばいいのに、どうでもいい人間ドラマとゾンビドラマが地獄をいちいち寸断する。

これは演出じゃなくて脚本の問題。新コロで撮れないシーンが出てきたのなら脚本もおそらくは本筋に関わる部分まで変更を余儀なくされたのではないかと思うが、まーその結果なんとも締まりのない散漫な…なんかゾンビにはゾンビの文明があってみたいな話になるんですけどその文明の描き込みの浅さたるや尋常ではなく、たとえばドルフ・ラングレンの出るゾンビ映画で観たことがあるようなレベルのチープ加減。それならば人間ドラマをもっと濃くすればいいのにと思うがこれも浅く各キャラの特性や関係性がほとんど展開と有機的に結びつかない。ゾンビ狩りユーチューバー(的な)としてスカウトされたやつとかあれなんだったんだよ。いらんだろあいつ。でそこにまた実は政府の陰謀が的な「薄っ!」っていう予定調和が入ってきて…。

いや、いいんですよ! 世の中のゾンビ映画基本的にそういうところ適当ですしロメロの重厚なゾンビ映画なんてSSSSSSRぐらいの超級レア、そもそも適当にメイクすれば怪物が作れるというのでゾンビ映画流行ったわけですからそこに重厚な社会風刺ドラマを持ち込んだロメロが天才的にオカシイのです。こっちもゾンビ映画のチープさを逆に楽しんでるところとかありますしこの映画だって冒頭の軍用車両事故を観ながら「そんな簡単に破れる檻でゾンビ運ぶなよw」って笑いながら観てますからね。それはむしろ望むところ。トロマ映画みたいで良い。

がしかしだ。がしかし…ゾンビベガスの中でテレビを観ていた使い捨て軍団驚愕、「大統領は明日に予定されていたラスベガスへの核ミサイル発射を急遽前倒しし、20分後に発射することが決まりました」。おそらくトランプ前大統領の無軌道さを皮肉っているんだろうが(それにしては知能指数の低すぎる皮肉だが)、それはともかくあと20分という時間制限はゾンビ映画的にというかジャンル映画的に「これから最後まではずっとアクションとかやりま~す」宣言に等しい。だから俺も期待した。それまでの展開でかなり白けているがこればかりは期待した。

せっかく出てきたのにそれまでろくに戦わなかったゾンビ虎も戦いに加わって乱戦になるんだろうとか、ゾンビ虎がいるならゾンビ鳥だっていてもいいなよしそれも入れよう、なんか日に当たると乾燥して動けなくなるが雨が降るとまた再生するとかいうナメクジみたいなゾンビの残骸も急に雨が降り出して一斉に蘇るのであろう、ゾンビ映画的に定番の嫌な奴がゾンビになってもっと嫌な奴になっちゃった展開も加わってこれは血と臓物の乱舞する面白いことになるぞ…だが萎んだわくわくがむくむくしてきた俺の目の前に現れたのは知性のあるゾンビキングが鉄仮面を身につけるシーンであった。デイブ・バウティスタら使い捨て軍団は愕然とする。ナニィ!? て、鉄仮面を付けてるから頭に銃が当たらない!!! どうやって倒せばいいんだ…。

バカなのかお前ら。いやこれは登場人物だけじゃなくてザック・スナイダーと共同脚本家にも言ってるから。そんな…それで何が盛り上がると思ったの? トロマ映画でギャグとして鉄仮面をやるならわかるがギャグっぽく撮ってないしなこっちは。しかもそいつとの戦いがフルスロットルというわけでもないからね。ミサイル着弾まであと20分つーてるのにまだ呑気に人間ドラマやっててバウティスタ豆腐料理の話とかしてるからね。豆腐はいいんだよ! ヴィーガン市場の拡大を計算に入れてこれから出す予定の新店の目玉メニューを冷静に考案しなくてもいいんだよ今そこでは!

マジでなんなんだよって思ったよな。逆にこんなへっぽこな大作ゾンビ映画狙って作れないのですごい気がしてきたよなんか。難しいよな、そういう意味ではこのスナイダーによる2時間半のディレクターズカット版はヘボすぎて底抜け超大作的な面白さがあるし、たとえばアクションシーンを中心に再構成して人間ドラマをバッサリカットすれば90分未満の普通に面白いミドルバジェットのゾンビ映画にすることはできると思うが、そしたらこの味は確実になくなっちゃう。

そんな珍味は別になくてもいいんじゃないかなぁ? とは思うものの…ヘボな部分を書き連ねているうちに感想が5000字を超えてしまったぐらいだから文句も含めて楽しんだのは楽しんだわけで、これが90分に編集された普通に面白いゾンビ映画だったらここまで感想は出てこない。だから、どうしようもないけど憎めない底抜け超大作って感じかなぁ。

真田広之がせっかく出てくるのにアクションは一切しないしそもそもあいつがなんだったのか最後までよくわかんないとか、インディージョーンズみたいな殺人トラップが仕掛けられてる小学生感覚のベガスの金庫とか、「逃げたか…」「いや、あいつはきっと戻ってくる!」みたいな戻ってくるに決まってるのでまったく意味のないやりとりとか、もう本当にどこまでもしょうもなくて好き。かもしれない。

※薄っぺらいとはいえ新コロ禍を主義主張に利用する政治家とか感染症が露わにする人種差別といった現実の問題を反映した序盤は結構気が利いていて、難民キャンプみたいな隔離者キャンプとか、新コロ禍で一般的に使われるようになった非接触型のハンディ体温計を軍人が拳銃みたいに額に突きつけるシーンとか、そのへんなかなか知的なところ。だもんだからそこからの急激なヘッポコ化のインパクトがでかい。

※※あとゾンビクイーンの衣装がなんとなく前の実写版『スーサイド・スクワッド』っぽかったので、プロットもまぁ似てると言えなくもないし、これはザック・スナイダーの内輪ネタだったのかもしれない。

※※※あとあと現代の最低監督の一人に数えられるウーヴェ・ボルの『ハウス・オブ・ザ・デッド』にちょっと似てる。最低リメイク扱いされているスティーブ・マイナーの『デイ・オブ・ザ・デッド』よりちょっとつまんないぐらい面白かった。ぼく『ハウス』も『デイ』も好きですよ(いや本当に)

※※※※バウティスタの娘役の人はかわいい。

【ママー!これ買ってー!】


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観た気はするが内容が思い出せない典型的な使い捨て低予算ゾンビ映画だが、たぶんこっちの方がゾンビ映画としておもしろかった。

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