《推定睡眠時間:15分》
ロサンゼルスのなんとかバプテスト教会で行われたアレサ・フランクリンのライブの記録映画と思っていたがライブというより公開レコーディングに近いらしくオーディエンスもこの地域の信者であろう主に黒人の人たちがせいぜい100人ほど座ってるだけ、イエー的なものを頭に浮かべて観に行ったのだがどうもそういうセッティングではないようで、ゴスペル界の大物らしい牧師っぽい人も演壇に上がって言っていた。「みなさん、忘れては困りますがこれはミサです。神への愛をしっかりと感じ…そして全身で表現してください!」イエー! いややっぱそうなるんかい。
常々思うのだがアメリカ人のこういうところは良い意味で本当にどうかしている。ノリがおかしいだろうバックコーラスのゴスペル隊の指揮者とかあれ。もう指揮っていうかダンスじゃん。電気グルーヴのライブでのピエール瀧より踊ってるレベルじゃん。指揮になってんのかあれは。ゆーてミサだし曲もゴスペルだから客席ディスコ化みたいなことにはギリでならないがガンガンステップ踏んでるおねーちゃんとかいるしな。最後の方なんか最前列にいたオバハンだかオバアハンだか知らないけれどもなんかトランス状態みたいになったのかどうなのかまぁそのへんもカメラ寄ってかないからわからないがバァッと立ち上がった後に四人ぐらいのスタッフに取り押さえられてた。
ファンキーだわー。アフロだなーこれはー。ブラックパワーっすねー。って感じで72年のロサンゼルスということもありやっぱ時代的なものとか黒人文化的なものとかあと宗派的なものもあるんでしょうねこのノリにはとも思うのだが技術的なアクシデントも咄嗟のジョークでスルーする司会牧師のMCスキル及びそのジョークをしっかりキャッチして笑いで返すオーディエンスなどを見るに時代とか人種を超えてアメリカだなぁ…と思う。客席にはアレサ・フランクリンの親父も来ているのだが親父も引くぐらい笑ってた。なんなのこの、場をみんなで盛り上げる謎の能力。
でもアレサ・フランクリン自身はそんな盛り上がってる感じじゃないっていうかあくまでレコーディングとしてやってる感じで、素人耳にはそう失敗してるようには聞こえないようなところでもボツを出してテイク重ねたりする。表情もずっと強張っているし神経を尖らせているのがわかる。そのギャップですよね。最高のパフォーマンスをするために自分だけの世界に深く深く沈み込んでいくパフォーマーとそれを鼓舞するためにひたすら盛り上がりまくるオーディエンスやバックコーラスのギャップ。
なんかあれだな、某テニス選手がパフォーマンス引き出せなくなるからって会見拒否したらネットのオーディエンスからブーイングが出たのとは対照的だと思ったよ。主役はアレサ・フランクリンだってここのオーディエンスは信心深い人たちだろうからみんな謙虚に理解してるんだよな。だからアレサ・フランクリンがどんなにいかめしい面をしていてもオーディエンスをほとんど見ようとさえしなくてもライブの流れを壊してテイクを重ねてもそんなの構わないんですよ。まぁ実際に構わなかったかどうかはカメラに映らないから分からないが…「金なら払った」式にふんぞり返る貧乏くさいオーディエンスとは違う。某テニス選手の場合は金すら払ってない連中がブーイングを出したわけですが。
歌とかはどうせ専門的なことはわかんないしゴスペルも普段聞かないのですごい歌声だなぁぐらいしか感想ないですけど(「アメイジング・グレイス」の歌唱パートなんか居眠りスルーしてしまった…)そのパフォーマーとオーディエンスの理想的にも思える関係性が面白かったし感動的だったな。なんだかんだ言ってもこういう関係性を作れるアメリカの宗教的確信とか民主主義的行動力はすごい。
※どこに寝る要素があるんだよという脳内ツッコミが生じたのでセルフ反論しておきますがなんか「霊歌!」みたいな瞑想的な曲があったんだよ。たぶんその後が「アメイジング・グレイス」で爆発的に盛り上がるっていう構成だったんじゃないかなーと想像するわけですけれどもアレサ・フランクリンの魂のこもった瞑想曲なんかそれはもう寝てしまいますよ!
【ママー!これ買ってー!】
『アメイジング・グレイス』を観た後では『天使にラブ・ソングを…』も少し違って見えるっていうか、これは何も突飛な発想の映画じゃなくてアメリカの黒人音楽の歴史とかエッセンスを汲んだ映画だったんだなぁって名作度が上がる。2作目はラップやってましたし。