《推定睡眠時間:0分》
三大名優そろい踏み的なアオリに今更ひっかかる人間がいるのだろうかと黄金期の名作よりもむしろ最近の箸にも棒にもかからない凡作デ・ニーロ映画の方をよく観ている(好んでさえいる)俺としては思うのだが思いのほかロバート・デ・ニーロ×トミー・リー・ジョーンズ×モーガン・フリーマンの並びに期待される方もいるようでその期待があだとなって観客満足度が低めっぽいというのは誰が悪いわけでもないので(監督は悪いが)ちょっと悲しいお話である。
いいじゃんねぇ? このわかりやすい…素朴な…素朴なというか単純な…単純というより適当な…適当かあるいは衰えた…なんかどんどん残念な表現になってしまうのだがいやでも俺はね! これはこれでいいんだと思いますよ! たぶんだってこれメインで観るのシニア層だと思うもん! シニア層あんま複雑にするとわかんねぇからね! 単純なキャラクター! 単純なギャグ! 単純な展開! 上映時間1時間半! シニアに2時間はキツイですよ!
それは確かに映画には映像作家が自身の世界観をフィルムに焼き付ける芸術の側面もあるだろうがお客さんの欲しいものを見せるのもまた映画だ。と書けば「じゃあこの出来じゃダメなんじゃないの…?」と不穏な声が聞こえてくるが(幻聴)いやだからねシニアにはこれぐらいがちょうどいいんじゃねぇのっていうことですよ。このゆるさで。このベタさで。この軽さ、適当さ、シニア層への共感の眼差しで。
だって介護ホームの場面を観てごらんなさいな。映画大好きギャング(モーガン・フリーマン)への借金というか未回収の出資金の蓄積でいよいよ首の回らなくなったデ・ニーロ演じるミラクル映画社のマックス略してミラマックス(略さないでいい)という他の社員は甥っ子のみという弱小プロダクションの社長はトム・クルーズみたいな(?)映画スタアが撮影中に事故死して製作会社は多額の保険金を得たという業界ゴシップを耳にしてじゃあ撮影中に俳優に死んでもらって借金返そう! と人外の奇策を思いついてポックリ死んでくれそうな元人気俳優今は落ちぶれ俳優のデューク(トミー・リー・ジョーンズ)を探しに介護ホームに行くわけです。
マックスは受付に告げる。「あー、その、私は映画プロデューサーでして今日は新作映画の主演俳優を探して…」とその瞬間、介護ホームの退屈なロビーでやることもなく死んだ目をしていた入居者たちが一斉にシャキン、実は俺は元ブロードウェイ俳優でなダンスなら今だってちょっとあんたどきなよそれより私はあのピーター・オトゥールと共演したことがあってねゴホンそんなことより技巧派で鳴らした僕の妙技を披露しよう…とまぁこんな感じで急にイキイキと活気づく。
ハリウッドいっぱいおるんでしょうね、こういう人。劇中でモーガン・フリーマンも引用していた『サンセット大通り』には落ちぶれたサイレント映画スタアたちが夜な夜な亡霊のごとくグロリア・スワンソン邸に集結し死んだ目でトランプをやるというある意味ホラー映画よりもホラーなシーンがあるがこれはその介護ホーム版。『サンセット大通り』のサイレントの亡霊たちはモノホンのサイレント名優(なんとバスター・キートンもおる)が演じていたからこの介護ホームの元ハリウッド人種も実際にそういう人が演じてるんじゃないかな。
そうかどうかは知らないんですけどそうだとしたらその老人目線にちょっと泣けるよね。いかんなあ大して面白い映画でもないのにイイ映画に思えてきちゃった。めちゃくちゃ観客をナメてるのにね。すごいですよデ・ニーロ演じるインチキな低予算低俗映画ばっか作ってるロジャー・コーマンみたいな映画プロデューサーの手元にはこれだけはという脚本があって本人の弁によればそれは普段作ってる低俗映画とか一線を画すオスカー間違いなしの傑作脚本だそうなのですがそのタイトルが「パラダイス」。なにその、脚本家やる気ゼロのタイトル。そこなんか普通もうちょっとタイトル凝らない? この映画のタイトルと同じにしてメタ的な視点を導入するとか。やるじゃんそういうの今の映画人なら、そういう気の利いたの。
あとこんなにイージーなポリコレが今どきあるのかよっていうポリコレ表現もすごかったな。騙くらかしてトミー・リーを引っ張り出したデ・ニーロが監督オーディションをやる場面があってそこには勝新太郎みたいな演出を提案するフランス人だかのアート映画監督とかトミー・リーは実は黒人なんだよとか言い出す黒人監督とかが来るんですが最後に来たのがパツキン健気なカワイコちゃん監督、オーディションに同席したデ・ニーロの甥はでもこれは男のロマンの映画なんだぜと反対するもトミー・リーの鶴の一声で監督抜擢、実はこの監督はレズビアンであることが完成した映画のプレミアで判明し「これからの時代は(※70年代末ぐらいの設定)女性監督がもっと増えると良いですね!」とか言う。なんだその社交辞令以外の何物でもない配慮してますよ感は。逆にリベラルに喧嘩売ってるだろ。この監督役の人の台詞とか脚本1ページ分もないし!
適当な映画だなぁ。近年竹中直人化の著しいデ・ニーロも悪ノリしておそらくアドリブでカメラに向かって悪罵を垂れまくる(そのせいで顔面の上半分が見切れてしまう)がこんなの100%現場のスタッフを笑わせるためだけにやってるよな。それをまた切らねぇんだよ編集も。監督のジョージ・ギャロもリテイク出したりしないの。デ・ニーロが面白いことやってるからまぁいいか文句も言えないしみたいな感じで。いやこれは想像ですけど。本当そういう適当な映画で…CGもやっすいし…劇中劇も何の魅力もないし…ギャグはワンパターンだし…でもだからこそっていうところもあって、なんかそこがやっぱよかった。
映画が大好きな人のアニメ映画が今公開されてるみたいですけど映画マニアにはこういう適当なのは撮れないですから。名優三人も呼んでこんな適当な作りには絶対にできません。オマージュとか入れまくって伏線とか張りまくってなんでもないシーンでもテイクを重ねてこの時のこの表情にはどうのこうのと俳優の芝居の一つ一つにいちいち理屈や注文をつけて、とにかくめちゃくちゃ凝る。で、たぶん凝りまくって映画マニアではない普通の観客の目を意識しなくなる。シニア層に軽く笑ってもらうための映画なのにそのシニア層の理解できる範囲を無視してしまうと思う。
映画マニアには撮れないこういういい加減も甚だしい映画にこそ大衆娯楽としての映画のエッセンスはあるんじゃないだろうか。だから、よい映画でしたよ。テメェで仕組んだ事故で死ぬ(と思いきや当然生還)トミー・リーを見て大袈裟な嘘嘆きをするデ・ニーロには笑っちゃったしな。トミー・リーが撮影中の事故死目的とは知らずにデ・ニーロにおびき出された劇中劇は西部劇なので馬が出てくるわけですが、お馬さんが倒れたり走ったり笑ったり(?)の芝居をしてりゃ変に気取らずともそれだけで面白いっていうのもある。
70年代の風俗描写は一通りやってはいるがリアルな再現ではなく再現性が露わな嘘くさいデザインで、モーガン・フリーマンの手下のブラザーギャングの「ブラザーってこういう感じでしょ?」感なんか噴飯物です。こいつがまた微妙に抜けてる良いキャラなんだよな、映画大好きギャングさんことモーガン・フリーマンと「それじゃあまるで『死の接吻』だ。そうだろ?」「ああ、まったくその通りだぜボス」とかって相槌を打つのがこの人の仕事なんですけどたまに「ボス、その映画は観てない」って言うからね。言うんだそれ。素直~。
あそれからモーガン・フリーマンはね、なんか、意外と(意外ととはなんだ!)ちゃんとギャング芝居してて結構迫力ありました。冷酷ギャングなんだけれども金の話になると急に優しくなるんだよな。そのギャップが面白くて…って結構あるじゃん面白いところ、散々貶しといて。いや、だからさ、最初に書いたでしょ、みんな勝手に期待値上げてるから微妙な評価になってるけど老人気分で気楽に観れば楽しい映画なんだってば! いいの映画は! これぐらいの面白さで!
※ところで例の「パラダイス」ですが監督のジョージ・ギャロは過去に『パラダイスの逃亡者(TRAPPED IN PARADISE)』というニコラス・ケイジ主演の映画を撮っているので内輪ネタっぽい。それを知った上で観ると「パラダイス」絡みの台詞がちょっと面白くなる。デ・ニーロが「オスカー確実! 映画史上の傑作!」と「パラダイス」脚本を激賞する一方、甥は冷静にそんなのクズ脚本だろと一蹴するのだ。HAHAHA!
【ママー!これ買ってー!】
某タランティーノ映画と比較する人もそれなりにいるっぽいですが俺がこの映画から連想したのはジョー・ダンテのB級ハリウッド賛歌『ハリウッド・ブルバード』の方。
驚きました。平日の昼に行ったせいもありますが、見てた人は俺を含めて皆シニアばかり。そして皆楽しく鑑賞しておりました。愚老も久方ぶりに機嫌よく劇場を後にした次第。ブログ主様の慧眼にはシャッポを脱がねばなりますまい。
買い求めたパンフには、この映画制作はギャロ監督が昔からやりたかった夢の企画だったそうで、その結果こんなユルい作品を作ってしまうとは・・・ギャロはギャロでもヴィンセントとはエラい違いですよね。しかし楽しそうな雰囲気があってよかったです。『マシンガン・シスター』『シスター戦士』『ウォリアーナン・アリアラ』と類似作品が山とある内容の、イマドキそんなのやっちゃうんだ的な架空映画予告編も、きっと『グラインドハウス』面白かったから俺らもやっちゃおーみたいなノリだったのかな、と想像しています。
今頃「グラインドハウス」のパロディだか二番煎じだか知らないけどやっちゃうんだ…っていうのがすごくいいんですよね。この監督と出演者ぐらいの年齢になると五年十年なんか昨日も同然でしょうから流行とか気にしない笑
発想力の豊かな若い人が映画を作るとどうしても時代の空気を読もうとするので、どんなに奇抜な内容でもやっぱり時代に囚われていて、逆に自由に映画を作れないんですよね。
だからこの映画はいいなーって思いました。ネタは定番ですけど自由にやりたいことをやってる感じなので。俺の見た回もシニア層は結構ドカドカ笑ってて客席の空気もよかったですねぇ。