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リチャード・マクリディという名前なのでイギリス映画だしリチャード三世のイメージを被せてんでしょうなみたいな金もセンスも何もないのに舌先三寸+インチキ手品で英国ファストファッション業界の頂点へと成り上がった「cunt!」連発の人格までファストなダーティファストファッション王(スティーヴ・クーガン)を主人公に据えてファストファッション業界とその周辺を毒づきまくる風刺映画を観に行くというのに着ている服がユニクロとH&M。お前ルール違反やってんじゃねぇのっていうんで法廷に引きずり出されたマクリディが「H&Mもやってんだろうが!」と裁判官に噛みつく場面にはまったく笑ってしまったね。
H&Mは知らないがユニクロを運営するファーストリテイリングといえばセルフ自動レジの特許侵害で開発会社から訴えられ「誰でも作れる原始的な構造ですから侵害なんかじゃありませんが!?」の詭弁も虚しく先日めでたく知財高裁で特許侵害認定、(→ユニクロ 特許訴訟で敗訴 無人レジでタグ情報読み取る技術で)ざまぁみろ図体のでけぇ企業だからって日夜地道に技術開発に勤しんでる中小企業をナメ腐りやがってcunt! …と威勢良く書いてはおりますがお金ないのでそれを知った上で結局ユニクロで服を買ってるワタクシですというわけでそれはもう笑うしかありません。
まったくどこの国のファストファッション業界もろくでもねぇことばっかやってんな。この通称”グリーディ”マクリディは賃金の安いスリランカの裁縫工場を底辺労働者どもの労働条件労働環境オールガン無視で底値まで買い叩くという外道的正攻法で利益を上げるわけですが、縫製なんかは別に技術力いらないわけだから海外に生産拠点を移しやすいってんでどこの安服メーカーもぶっちゃけこんなのやってるわけでしょ。
でもこんなの繊維産業に固有の問題では当然ないわけでかのアップルも孫請けの中国激安工場で労働法ガン無視過酷労働をさせておりましたし(向こうが勝手にやったんだ、と言うだろうけど!)そもそも事のはじめからしてゼロックスのパロアルト研究所から次世代コンピューターのインスピレーションを得た(なんだかついさっきどこかで読んだような話じゃないでしょうかっ!)というのがアップルと聖スティーヴ・ジョブズです。iPhoneが出たときに堀江貴文は「電話と騙してパソコン持たせようとしてんだよ」と聖ジョブズの企みをあっさり喝破したものでさすが蛇の道は蛇という感じですネ。
結局あれだな成り上がる人とか企業というのは基本的に発明をする主体でも生産する主体でもなく発明と生産をあれこれ知恵を巡らせて巧く搾取することで巨万の利益を得てるんだなぁということがよくよくわかる欧米くそったれイイ話ですがここで急旋回して『グリード』に話を戻せばこれは案外根が深い、というのも映画はマクリディの還暦おめでとうパーティに至るまでの数日間が主に描かれるわけですがその舞台がギリシャのミコノス島で、なぜといえばそれはおそらく舌先三寸手先一寸しか武器を持たない小物界の超大物搾取者であるマクリディをホメロスの『オデュッセイア』の主人公であるギリシア神話の英雄オデュッセウスになぞらえているからです。
英雄というからにはめっちゃ強いのかなとか思いますがホメロスの描くオデュッセウスはよく言えば知恵で悪く言えば騙しのテクニックでセイレーンの誘惑ソングを回避したりでっけぇサイクロプスを華麗にスルーするーのでしたというわけでこれが欧米先進国型の成功ロールモデルとしてこの映画の中では皮肉っぽく捉えられているわけです。読んだことないけどね(ファスト情報仕入れ)
しかしセコいのはオデュッセウスだけではない。っていうか神話に出てくる英雄ポジションなんか洋の東西を問わずセコい男ばっかじゃないだろうか。日本神話でもスサノオといえば荒ぶる神のイメージですがヤマタノオロチを退治するにしても正面からは挑まず酒に酔わせてぶっ殺しますしわけわからんマイルールでアマテラスと賭けをして一方的に勝った宣言をしたことで結果的にアマテラスを例の岩戸に追いやるなどの惨事を引き起こします。高天原のブレーンであったオモイカネも説得などは諦めかなり姑息かつ苦肉の手段で岩戸に引きこもったアマテラスを騙して引きずり出すというわけでお前ら本当そんなんばっかやってんな。
どうも神話の中の英雄というのは決して強いから英雄ポジになるわけではないっぽい。頭がよくて決断力があってコミュ力が高かったりしてつまりは戦いよりも統治に向いているタイプの男が英雄ポジになるのですとまで言い切ってしまえば語弊どころではないのだが、怪物や神々との化かし合いは神話の主要な要素であることは間違いが無いし、少なくとも相手を出し抜く行為がズルいみたいな感覚はあんま見られないものです。むしろ出し抜いたやつは偉い。聖書のような一神教の神話では逆に出し抜き行為は人間の悪徳として描かれていたりしますが神様が人間を騙して試す逸話というのはありがちなわけで、これも構図を反転させただけで結局は「人間を騙せるだけの知恵を持つ男の神様はえらいっ!」という騙し賛歌と読める。
さてそれがどう『グリード』に繋がるかというとすいませんねダイナミックに話が逸れまして『グリード』なんですがエンドロールで急に男女の所得格差の図みたいのが出てきてあれそんな話だったっけとか思うんですが要するに人を騙す術に長けた男をみなさんの世界は神話の時代からこのかたさんざん英雄として扱ってきましたけれどもそれで本当にいいんすかね的なことなんだと思います。スティーヴ・ジョブズとかさ、ビル・ゲイツとかさ、マーク・ザッカーバーグとかさ、西村博之とかさ…なんかずいぶん業界が偏ってますし最後一つだけだいぶ格下感ありますが。あと俺べつにこういう人たちが嫌いなわけでもないのですが。
考えてみれば(また脱線してしまう! まぁ適当に飛ばしてね!)、あくまで俺の経験からいってという話に過ぎませんが男の人はなんとなく女の人よりカラダがでかいし暴力的っぽいので俺のような貧弱男性の低い目線から見上げればかなり怖そうに見えますがこう言うのもあれですがたとえば丸腰の朝青龍とAK-47を実弾入りで装備した俺がルール無用のデスマッチをすればかなりの確率で俺が勝ちますだって銃持ってるし銃撃たれたら死ぬもん人。
実際のところ身体的な強さ性差というのは現代社会の技術力があればまったくイージーに克服できる超どうでもいい格差なのです。目の悪い人はメガネをかければ目の良い人と同じように世界が見えます。足のない人は義足を付ければ足のある人と完全に対等とは言わなくても歩行格差はかなり小さくなります。それなのにどうして男の人は女の人よりデカイから強いよ~というステゴロ前提の野生動物みたいなイメージが浸透しているんでしょう。俺ならそれを権力の化粧と呼ぶね。
男の人は身体的に強いのではある意味ないわけです。身体的な強さは武器の使用であっさり覆ってしまうのでそれじゃあやべぇなって思った偉ぶりたい男の人は権力の化粧をします。それは相手を恫喝したり叱責したり突き放したり、と思ったら余裕たっぷりにユーモアをかましたりすることで相手より精神的にも肉体的にも優位であることを相手に理解させようとする仕草や恣意的なルールの体系で、男の人は男社会の中で精緻に組み立てられたそれを学ぶのでなんとなく強く見えてしまうのです。
たとえば、「テメェこら!」と突然大声を出されたらびっくりしてうわぁ殴られるかもとか一瞬思う。でも「テメェこら!」から暴力の行使に進む男の人とか実際ほぼほぼいないよね。人を殴りたい人はそもそも大声出さないで殴りますし。その殴りというのも往々にして本気の殴りというよりは威嚇のための殴りですし。威嚇のための殴りしか慣れてないやつは殴り返されるとわりとパニックになったりするものです。パニックを起こした威嚇殴り人間は逆になにをしでかすかわからないので危ない気もしますが。
男の人の強さなんて幻想であんなの結局はこれこれの騙しのテクニックでそうに見えているに過ぎないわけですと思えばほ~ら戻ってきましたよ『グリード』の話に! この主人公のマクリディというのは実に権力の化粧をしまくる人なわけですが化粧は化粧でその下の素顔はわりと普通のクズいオッサンです。強くもないし偉くもない。ですからスリランカの縫製工場を買い叩きに行くときには自分よりも全然持ってないヤツら相手にかなり窮地に陥ります。というのもこの人の権力の化粧はバーっと自分がどれだけ大物かを述べ立てて相手が考える間もなくさぁどっちなんだと決断を迫るパワハラ言語型の化粧だったので言葉の通じない人にはそんなもん全然効かないのでした。ここはかなり笑えるところ。
ここまで読んでなぜそこまで脱線をと思われるかもしれないが…むしろ俺自身が思っているぐらいだが…でもこの映画を遊ぶには最低それぐらいは思考をアチコチ飛ばす必要があると思うんすよね。いやもうこれがハイコンテクストな映画でですね風刺のミルフィーユ(俺はあえて次郎系とか言わないからな!)、悪徳のパノラマ状態。だってさー主人公のグリーディ・マクリディがまず成功を胸にイギリスに入ってきた移民二世(どこの国かはわからんかった)の設定でしょ、イギリス階級社会の中で移民二世が上流階級入りするにはセコイ手口を使わざるを得なかったっていうそこに早くも皮肉なドラマがあるわけじゃないですか、明示的には描かれないけれども。
でセコイ手口を使って成り上がって爵位をもらうまでになった移民二世の名誉英国人マクリディが例の還暦おめでとうパーティをやろうとしてるギリシャのミコノス島の公共ビーチには漂着したシリア難民がテント張ってんです。俺ごときが言うまでもないことかもしれないがギリシャの島嶼はシリア難民が欧州に海路で避難してくるときの玄関口になっていて難民キャンプとか置かれてる島もありますけど、この難民をマクリディはパーティの邪魔だから追い出せよって完全他人事で追い払おうとするばかりかセッッコイ手段で使おうとするんです。お前も難民とまではいかないけどそこそこ苦労した移民のくせに! っていうこの皮肉。
そんな名誉英国人マクリディの難民扱いを見てなんか今の仕事に嫌気が差してくる秘書だかなんだかのスリランカ人の女の人というのがサブ主人公ポジションですが、スリランカといえば長らく内戦をやっていた国なのでやはり欧州にもかなりの数の難民が流れ込んでいて、この人自身の過去はこれまた明示的には出てこないのですが少なくともかつての自分たちの姿と目の前のシリア難民が重なったであろうということはまぁ想像できる。それぞれルーツと立場の異なる異邦人たちの競合が映画の裏テーマとして横たわっているわけで、マクリディがパーティの出し物として選んだのが(奴隷が下剋上する)『グラディエーター』なのもちゃんと意味があるのです。
ところでこの島には恋愛系リアリティショーの鬼畜クルーも撮影に来ていてシリア難民を見つけるやこいつは使えるぞってんで出演素人タレントに食事をあげさせるショットだけ「はいは~い難民のみなさん笑顔くださ~い…はいオッケーでーす!」と出演料もなく出演許可もなく強引に撮って難民たちが食べる前にその食事を撮り上げるというクズ所業に出て大笑いなのですが(人は度を超したクズを見ると笑ってしまうものだ)、リアリティショー撮影が暗示する虚飾まみれのセレブカルチャー批判は『グラディエーター』ショウの行われる予定の即席コロッセオが一向に完成しないというネタと水面下で繋がる。
というのもこの全然進まない工事っぷりが楽園的な島の舞台設定もあって史上最悪かもしれないセレブ音楽フェス「FYRE」を思わせるのです。これはどのような音楽フェスかというとNetflixにあるドキュメンタリーが超笑えて最高なのでそれを観てもらいたいが主催者の詐欺師マンが金もプランも技術も人脈もオールなかったのにネットセレブ的インフルエンサーを起用した激安リッチ感のすげぇネットCMだけ先に打って具体的な内容は何一つ決まってないのに高額チケットを売りまくったら案の定運営が完全崩壊してバンドを呼べないどころかケータリングの手配もできず、ていうか設営すらできなかったので高額チケットを買ったバカ金持ち客どもは来訪してすぐにとんぼ帰りを余儀なくされたという(それすら手配が間に合わなかったので一時的に難民みたいになってしまった!)地獄っぷり。それも煎じ詰めれば詐欺師=英雄の等号が悪かったんじゃなかろかということでFYREの詐欺師主催者もマクリディのペルソナの一つと言えましょう。
映画の最後には工場の入り口が印象的に出てくるがこれがどこか映画の誕生を告げる記念碑的作品であるリュミエール兄弟の『工場の出口』を彷彿とさせるのはおそらく偶然ではなく、というのも『グリード』監督のマイケル・ウィンターボトムは『Cinema Europe: The Other Hollywood(邦題:淀川長治 映画史)』と題されたヨーロッパの映画草創期を描いたドキュメンタリー・シリーズの監督の一人だからで、そこには映画はかつて労働者のものだったのにいつのまにか強欲資本家のものになってしまった…という業界批判も見え隠れする(原題の『GREED』はサイレントの巨匠シュトロハイムの代表的超大作と同名である)。
話は尽きないが俺の体力は尽きる。今更なのか感もあるがごく短く『グリード』がどんな映画か説明するならフェリーニの祝祭をアルトマンの皮肉で料理してスコセッシの下町ノリで客席まで運ぶような映画ってわかるようなわからない感じになってしまったがでもそんな映画なんだよ本当に。買い叩き手法のせいでまったく進まないコロッセオの工事に笑い、リアリティショーの鬼畜撮影っぷりに笑い(そのディレクターが黒人女性というのもひとつのブラックユーモアだ、あっはっは)、最近なぜか映画で活躍しすぎな人食い猛獣の無気力芝居に笑い、ホンモノが高すぎたので代わりに呼ばれたパチモノ芸能人たちに笑い、罵倒されるキース・リチャーズに笑い、流しのジェームズ・ブラントに笑い、クズそなやつはだいたい友達なファストファッション王の成り上がりっぷりに気分がガンガンアガりつつも、搾取と騙りで築き上げた欺瞞の帝国が身から出たサビによって猛スピードでぶっ壊れていく光景に大笑いしてというわけで笑うしかないことだらけなので最後には逆になんも笑えなくなってくる、いやあまったく面白い映画です。
みんなも観に行くときにはユニクロとかH&Mなどなどの激安搾取服を着て行こう。金持ちの1%と貧民の99%ってやつで金持ちがもっと金持ちになるために買い叩きまくるせいで買い叩かれたこっちはもっと貧乏になって搾取の成果と知っていても激安服を着るしかないつらみで、辛辣ラストの沁みっぷりが違います。
【ママー!これ買ってー!】
最近の映画だと虚実皮膜のあわいを…という作りも含めてこれなんか空気感が近かったかもしれない。こっちも最高なのよ皮肉たっぷりで。