《推定睡眠時間:20分》
売られた喧嘩は買う以上に勝たねばならないのでこうまで! こうまでバカスカとネタバレしろとか本気でツッコンでこいと言わんばかりの超展開で挑発されればそれは当然感想吐き出しの形で買うわけだが勝つためにはあえてノーネタバレ、ノーツッコミで行くしかないでしょうが! ここでネタバレとツッコミは負けでしょうが! それはそもそも戦いなのかと! 俺もそこは疑問ではあるがこの作り手は本気でこんな映画を作ってる! ならば観る側も本気で感想を垂れるのが礼儀じゃないか! 映画鑑賞は戦いなのだ! 寝たけどね! 今日とかもうここ数日の雨と気温低下で本当疲れていて大変だったんだよ頭いてぇし、頭痛薬とか色々飲んだりして。
というわけで『ゴジラVSコング』ですけれども何がイイって冒頭テロップがもうイイですよね。山の斜面で寝ていたコングが朝日を浴びて目覚めるとテロップで「髑髏島のどこか」。わかりますかこの良さ、この衝撃が。俺は大人だからわかりますよ。「○○のどこか」という表現は○○の実在を前提とした表現じゃないですか。「アメリカのどこか」と書けばそこがどこかはわからないけれどもアメリカがあることは間違いないですよね。アメリカは実在するけれどもその一方で「どこか」というボカした表現は虚構性を印象付けます。
つまり「アメリカのどこか」という表現があるとするとそれは「アメリカ」は確かに存在するが「どこか」は存在が曖昧で、「どこか」が実在するかどうかはわからないが「アメリカ」はあるだろう、「アメリカ」はあるだろうが「どこか」があるかはわからないという形で、文の前部と後部が互いを否定的に強調する効果を持つわけですが、そのことであるようでない、ないようである世界に読者や視聴者を誘うわけです。都市伝説などでは「○○県△△市」という風にあるかもしれないしないかもしれない場所を二つ重ねるよりは「佐賀県△△市」と一方は確実に存在する場所にした方がなんとなくリアルで怖い感じありますよね。そうでもないとか言うんじゃない今俺が気持ちよく話してるんだ一人で! …一人で!
で、「髑髏島のどこか」ですよ。いやぁ素晴らしいな。要するにこのテロップは「髑髏島」は実在しますと言い切ってしまっているわけです。あったんですよ髑髏島! STAP細胞はありまーす! ないよ! それはきっとないけれども髑髏島はあります! コングの前作で説明済みだからという事情もあるとはいえ髑髏島の実在に関してはもはや疑問の余地がマイクロミリもないという断言っぷりに、その潔さと覚悟に、この映画はただものではないな…と震えたのでした。すごいだろう、ネタバレなしと言ったからには冒頭テロップだけでここまで話を引っ張ります!
それで起き上がったコングがかったるそうに朝の日課をこなしに行くんですけどそこでケツを掻くんですよね。掻くなよケツを! 誰も見てないと思って! ここもまた素晴らしいところで俺は前作の『キングコング 髑髏島の巨神』でこういうコングのオッサン仕草が一番グっときてますからね。なんか川に水浴びに行ったコングに文字通りの意味で巨大タコが絡んできてコングそいつぶっ殺すんですけど一旦はそのまま帰ろうとしたコングがふと振り返ってタコの死体持って帰るっていうシーンがあるじゃないですか。この哀愁!
コングあれたぶん食うために持って帰ってるんですけどこんなもん拾い食いじゃないですか。アンタまがりなりにも野生動物なんだからそんな物臭せずにちゃんと狩りをしなさいよとか思いますよ。でもそんなのコングの勝手ですからね。野生動物とはいえ誰にも見られてないと思うと気もゆるむんです。身だしなみもちゃんとしないしケツだって掻きますよ。現地の人の前では巨神というぐらいだからなんか怖い顔したり吠えたりしてコングの仕事をするんですコングは。でも素に戻ると風呂に落ちてたタコをもったいねぇからって拾って食うんですよコングは! オッサンだから!
ある意味ドキュメンタリーだよね。怪獣プロレスを期待する観客のために舞台の上では身体にビシバシムチ打ってコングを演じるコングとその舞台裏でかったるそうにケツを掻く素顔のコング、ダブルコングのギャップ萌え。本当は人間少女の手話とかよくわからないがガッカリさせちゃいけないからと少女が手話を贈ってきたらわかったふりをしてあげるんです。いやその作戦俺は必要なくない? って仮に思ったとしても人間のみんなが期待してるらしいことはその表情などから察せられるからもう疲れてるし本当は行きたくないけれどもしぶしぶ作戦に同行してあげるんです。それがプロのコングだからっていう矜持がこのコングにはありますよ。矜持とそして哀愁が。
ゴジラとの戦いで市街地にぶっ倒れて重たい身体を起こそうと手近なビルに手を掛けるもコングの重量によりビルが倒壊し再び地面に叩きつけられるコングの姿を見てごらんなさいなあなた。コングのオッサン人生の縮図がそこにあるじゃない! 実生活では何一つうまくいかない。友達もいないし恋人もいない。収入もないしあと家もない。ケツは掻くし子供の見てる前で拾った缶ビールも飲んでしまう。ぶっちゃけ痛いからあんまバトルとかしたくない。それでも! 観客たる人間たちが自分に期待していると分かればコングは勇ましく戦う! 戦って観客が喜んでいる光景を目にした時に俺は生きてるなって思うんだコングは!
まぁ今回そういうわけでコングを見る映画でしたね。バトルでも凶器は使うわフェイタリティはするわでコングが主役。ゴジラは完全ヒールとしてお仕事に徹してましたんでそんな見所ない。なんか強そうなやつエネルギーを感知したら所構わず喧嘩を仕掛けにやってくるとかいう設定によりゴジラっていうか昭和ガメラみたいになってたな。そこはもうゴジラの余裕ですよね。タイトルロールですが実質はゲストでほぼほぼコングの主演映画を盛り上げるための友情出演って感じです。スタアは違うね。
あと最後に一言だけ言っておきたいのはこの映画ローランド・エメリッヒの大破壊映画が全部シェイクスピア劇に見えてくるぐらい壮絶にバカなのであの本当にすごい壮絶にバカなので超アメリカで見たかった。もう、とにかく、驚愕のソーシャルエンジニアリング技法とか、台詞で一言あると言えばなんでもあることになるガバ設定とか、あの例の怪獣の思わず幻覚を見ているのではないかと疑うほどのありえない弱点とか、小学生がLSDをやりながら塗り絵したような毒々しい蛍光色とか、全シーンもれなくバカなのでアメリカの観客めっちゃ笑ってると思う。笑うかあるいは実質的に人間側の主役なのにずっと呆気にとられているだけのアレキサンダー・スカルスガルドと同じ表情をしていると思う。
【ママー!これ買ってー!】
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なんとなく連想したもの。