《推定睡眠時間:20分》
SF映画としか思えないタイトルだがここで言うスーパーノヴァa.k.a超新星爆発は人生の終わりの比喩であり同時に認知症の比喩でもある。夜空にその輝きを見ればあたかも星が生きているようであるが実際にはもう寿命を終えている。終わったものの光が遅れて届いているだけでその発光源は既にない。しかしその輝きを見れば遠い宇宙の向こう側にかつてあった星の姿を誰もが知ることができる。そんなような意味の込められた比喩である。
というわけで片方はピアニスト、片方は名のある作家という金に困ることは絶対になさそうな主人公のハイソカップルは旅に出ます。認知症と公式があらすじでバラしてるから俺もバラしてしまったが映画が始まって15分ぐらいは実はそのことはわからない。まだ映画を観てない人がいたら楽しみを少しだけ削ぐ形になってしまってごめんでも怒るなら俺じゃなくて先にバラした公式に怒ってくれ。やっぱ映画はなんも知らんで(それこそSF要素あるのかなとか思っていたぐらいである)観に行くのが一番いいっすね。その結果重傷級の事故になることも多いが。
で、序盤はなにやら不穏なムードというか、二人とも何か言いたいことがあるのを溜め込んでイライラしてるような様子を描いて、その溜め込んだ感情とか思いとはなんなのかというのが段々と明らかになってきます。ミニマムなロードムービーで登場人物も最小限、ドラマも起伏がなく静かな哀しみをたたえて…とかいや一応書くけどさ、観た新作映画の感想は基本的にここでちゃんと書こーって思ってるから書くけどさ、俺付き合ってる人も誰かと付き合ったこともないからぶっちゃけめちゃくちゃどうでもいいなって思いながら観てたよぶっちゃけ。
いいじゃん別にー。人間必ず死ぬんだからそんなん諦めてもらうしかないじゃーん。あんたら友人にも家族にも恵まれてその上好きなことして遊んで回るに十分な金も地位もあるっぽいんだから好きなことやって適当に過ごせばいいじゃんさー。愛がどうの喪失がどうのと言われてもだねー。まぁそれが大事な人には大事なのだろうけれどもだねー。俺みたいにそこは比較的どうでもいいっていう人もいるんだってー。
したがってこの映画の中でいちばん俺の印象に残っているのはこの二人が乗るキャンピングカーの車内から外を捉えた映像の「車高高ぇ!」っていう、そんなところなのかとは自分でも思うがしかしこれは確かに車高高いのである。高いなー車高。ワンランク上だわー。別に僻みで言ってるんじゃないんだよ。そういうどこか浮世離れした空気感を持ったロードムービーで、スーパーノヴァの比喩もありましてちょっと寓話のようでもあります。だから地に足の付いた現実的な問題として認知症が浮かび上がってこないっていうか、それはあえてそういう作りにしているんですけど、実存の問題としてしか認知症を考えることができないインテリカップルのちょっと哲学じみた話なんだよな。
それが好きな人には沁みるだろうしそういうのにふーんってなる人にはふーんっていう映画なんじゃないですかね。俺わりと後者寄り。風景とかキレイでしたけどね。
【ママー!これ買ってー!】
タイトルだけ聞いたら絶対こういうの想像するよな。
こんばんは。
なんと、貴ブログで本作が語られてる!
私はチラシから、〝コリン・ファースとマーク・ストロング〟が〝ゲイカップル〟で〝死の香り〟がしたから絶対見よう!と思いましたが、病気情報もなかったし冒頭から暫くは病気の彼の職業は天文学者だと思ってたしキャストも間違えてました。
でも見終わった後、タイトルの妙味を味わいました。
幸いにも身近に彼の病状を取り巻くような環境にない私は、寿命を知らないからヒトは生きていけるんであって自らの死期を決めるなんて贅沢なモノだなと肯定とも否定とも。『ブラックバード』(貴ブログにも感想ありましたね)も見たばかりでしたし…
でも、身近にコレがある人たちには、こういう選択があれば貴方達も重い荷を下ろしていいんですよ、って言っているのかも。だからあんなに美しく優しく。でも悲しみはどうするのだろう?
あー見たばかりなので長文すみません。でも、七夕だから、お許しを。
スタンリー・トゥッチとマーク・ストロングは動いてる姿を見ると別人なんですけど静止画とか一瞬だけ画面に写るぐらいだと見分けがつかないんすよね笑
あの選択については難しい題材ですし、ラストもどっちとも取れる様にボカしてるので、見てる人ひとりひとりが判断してくださいねみたいなことなんだと思います。それこそ超新星爆発みたいに(映画の)後に残った光を見てくださいみたいな。