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全然この映画とは関係ないんですけどこのあいだ細田守の面白い発言を読んだのでこれは嘲笑チャンスということで何の気なしに細田の悪口をツイートしたら大半女の人らしいアカウントのフォロワーが一気に30人ぐらい増えて細田どんだけ女性人気ないんだよとか思いながらフォローにはフォロー返しが一応の礼儀だろうということででも無理っぽい人は俺のメンタルを守るためにフォローしたくないからどんな人がフォローしてくれたんやってその人らのホームをざっと見ていって、そしたらさ、俺は思想としてのフェミニズムにはわりと関心がある方だと思うんですけど、うわこれ無理かも! って頭の中で警報鳴ったね。女の人たちの世界にいたらフェミニズムやり続けるの無理かもっていう。
だって論理的に考えてっていうかさ、たとえば経産省が出してる男女の生涯賃金統計とかを見ると格差は歴然じゃないですか、参政権だって日本でも欧米でも最初に男に与えられてそれから何年何十年も遅れてようやく女性ももぎ取ったわけでしょ、会社役員とか政治家の女性比率はどこの国でも少ないが多数派が自分たちよりも少数派の方が得をするような方針を取ることは原理的にない、そもそもそこまで話を広げなくても社会を維持するために暗に陽に女性は男性にはできない出産を社会から要求されていてそれには重い身体負担が伴うわけじゃないですか、とこういう風に考えていけばもう議論の余地なく一般的な傾向として女の人の方が男の人よりも自己実現や自己決定の可能性が低い、意外や幸福度調査では一貫して女性の方が男性よりも高いのが日本なので性差以外の様々なファクターを考慮すれば女性が男性よりも不幸であるとは必ずしも言えないけれども、自己実現や自己決定の男女格差はやはりおかしいから是正すべきだろうと脳内満場一致で思えるわけです。
しかし! なんていうんすかね~女の人たちの相互承認の空間ていうかね~なんかグチグチウジウジとしててうんうんあるあるみたいな感じの同質性を求める感じと言いますかですね~あの一応言っておきますけれども俺は比較的強めの反本質主義の立場なのでそれが女の人の器質的なものではなくて社会的にそうした関係性や価値観が育まれ意図せずに内面化している女の人が少なくないだけだろうと思っているのですが(環境さえ整えば男の人も当然そうなるのである。っていうかオタクとかだいたいそうである)、もうねそういううんうんあるある的な感じが俺は本当に嫌でですね流行り言葉で言うところのうっせぇわと思ってしまい、その感情がかくも明瞭なフェミニズム的認識を曇らせてしまうのだな、俺の場合は。
そんなわけで俺は少なくとも当面はそういう人たちと関わらないでいいやと思ったのでした。関わったところで向こうは嫌な思いをするだけだろうし俺も思想としてのフェミニズムを捨てたくなってしまう。連帯なる概念を俺に言わせれば超過大評価しているインターネットのフェミニスト連中なら反感を覚えるだろうが連帯しないやさしさとか共生関係というのはあるのです。とここで唐突に映画の感想になりますが『少年の君』はそのようなことについての映画でした。
検閲のある中国では今の中国社会を映画で悪く描くと怒られますが少し前の出来事ということにして最終的に「昔と比べて今は良くなったね」に落ち着けば社会のダークサイドもわりかし踏み込んで描けるみたいです。ということでこのお話は今から十年ぐらい前が舞台、科挙の時代から変わらず中国では受験が大事ってことで貧乏暮らしから抜け出すための、家のプライドを保つための、やりたい仕事に就くための、と様々な理由からの壮絶な受験戦争が高校生を待ち受けており、その競争のプレッシャーが地獄いじめを生んだりします。地獄いじめによる同級生の自殺を目の当たりにした主人公の貧乏少女はさすがにこれ黙ってられんだろうと少しだけ立ち上がるがそうしたことで次なるいじめターゲットとなってしまい…そんな時に敵対するチンピラからボコられているヤングチンピラ少年君と出会うのでした。
泣いたね。詐欺商品を売りつけて日銭を稼ぐシングルマザーの母親を持つ貧乏少女が一心不乱に受験勉強をしている風景と貧乏少女のボデーガードを買って出たバラック暮らしの孤児チンピラ少年がイカサマ麻雀のお仕事をしつつモブチンピラと喧嘩する風景のカットバックに思わず涙。もうお互いに必死なのですよ。こんな肥だめみたいな境遇から抜け出したくて必死で、でも一人ではどうしようもなくなったときに二人は出会う。で、貧乏少女はチンピラ少年にいじめっ子グループから守ってもらうことで受験合格への道を見つける。チンピラ少年は貧乏少女に受験勉強をしてもらうことで自分の底辺人生に蜘蛛の糸を見つけるのです。俺ももしかしたらもっと良い人生を歩めるのかも…彼女が大学に合格できるのなら。
交わりそうで交わらないヤキモキ感で観客を引っ張るのは恋愛映画のセオリーですが、その意味ではセオリーの真逆を行くこの映画は恋愛映画とはあまり呼べないだろうし、だいたい呼びたくない。貧乏少女とチンピラ少年が同じ髪型になるシーンがある。恋愛映画なら多少なりともロマンティックな空気が流れてもよいだろうが、そこにあるのは悲壮感だけで、お互いがお互いの境遇に堕ちたことを髪型のペアルックは仄めかす。それは貧乏少女にとってもチンピラ少年にとっても希望の喪失でしかない。自分とは違う、というその距離によって二人は結ばれているのであり、結ばれないことによってこそ強く結ばれているわけです。
映画の終盤はこの結ばれない絆を公権力がどうにか結ぼうとする展開になる。ある犯罪があってそれを警察はなんとか二人の共犯にしようとするわけです。正直言ってこのへんは「あそこで終わっとけばキレイに終わったのにな~」みたいなシーンがその少し前にあったものだから観ながら蛇足感を感じていたが、でも振り返ってみればむしろこの蛇足こそが作り手の見せたかったものなんじゃないかと思ったりもする。
結婚でも友人関係でもなんでもいいですけど誰かと誰かが結ばれることは一般的には良いこととして扱われるし、このご時世たとえば連帯と聞けばポジティブに捉える人は無数にいてもネガティブに捉える人は相当に少数派なんじゃないだろうか。けれども連帯は共通の要素を持つ人間の間に生じる関係なので、ある要素を境界線として世界を持つ人間の領域と持たない人間の領域に区画整理する行為と言えるし、ウチとソトを定めることを存在意義とする国家の論理のミクロ版とも、あるいはイジメの原理とも言える。とすれば、国家や社会のせいで貧富の格差や男女の格差みたいな不平等であるとか同級生イジメみたいな諍いが横行して、そのせいで苦しむ人がいるときに、苦しむ人たちの連帯はその本質的な解決には寄与しないばかりか、自らを苦しめる体制を下から支えることにはならないだろうか?
いやまぁなるかならないかは知りませんけれどもとりまこの映画は「なる」と言っているように俺には見えた。それもかなり強めの「なる!!!!」。だから貧乏少女とチンピラ少年は結ばれることを徹底して拒絶する。悲惨な境遇に置かれた少年少女の悲恋、底辺に生きる者たちの泥だらけの純愛…そんなね大衆が望むお涙ちょうだい的なやつなんかクソ食らえですわ。涙なんかいくらもらっても現実の悲惨は少しも変わりゃあしないからな! 人間の繋がり、愛や連帯や絆とか呼ばれるもののもたらす感動や安らぎは問題の本質をいつだって覆い隠してしまう。新型コロナが蔓延する現実の悲惨を東京五輪の感動が上書きする2021年7月の日本を見渡せばそのことが分かりすぎるぐらい分かってしまって困る。
『少年の君』の中でもっとも美しい瞬間は貧乏少女とチンピラ少年がお互いに暴力を使ってまでして無理矢理相手を自分から引き離した瞬間だった。こんなクソみたいな人生とは別の人生を夢見るために、体制への根源的な異議申し立てをするために、繋がりがもたらした格差や差別や暴力のすべてを取り去って、一切の上下関係のない人間同士の繋がらない繋がりをいつか手にするために、この二人はそこまでするのだから崇高ささえ漂う。
切断の崇高さ、とか言ってもわからんやつはわからんでしょうな。どいつもこいつも繋がり繋がり繋がりとそればかりの世の中ですから。わからんやつは泣ける恋愛映画として観てりゃいいんだよ。それでも面白いんだから別にいいです。でも俺はこの映画をそうは観れないっていう、それだけの話なのです。
※繋がりの象徴のような高速道路とその下にゴミ溜めのように建てられたチンピラ少年のバラックの対比、決して並ばないで共に歩く二人、受験を終えて解放された生徒たちが放ったプリント用紙の紙吹雪など印象的。イジメ場面も手抜かりなし。
【ママー!これ買ってー!】
どん底女子高生とチンピラの結ばれない結びつきといえばやっぱこれだろ。
石井隆の熱烈ファンの方にこんな事を述べたらめちゃ怒られるかもですが、僕は少しだけ名美&村木を連想しました。
気高い故に堕とされていく女と、女を救えば自分も救われると思っている男の献身というか。
だからかなり変則的だけど恋愛映画でもあるとは自分は思っている…汗
天使のはらわたの作品群が恋愛映画だという前提ですけど。
いや、それは俺も思いましたよ笑
名美と村木というか『人が人を愛することのどうしようもなさ』の女優名美とマネージャー岡野とか『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』のれんと紅次郎の関係性に近い気がしたんですが、それは名美と村木の場合は肉体関係を含む恋愛が結局は破綻しても一応は成立するんですけど、『人が人を愛することのどうしようもなさ』とか『愛は惜しみなく奪う』って相手を想う気持ちはあっても諸々の障害のせいでそれが恋愛としては成就しないんですよね。そういう感じが似てるかなと。
たとえ成立しなくても相手のためならなんでもやってやりたいっていう情念の強さという意味で俺は名美と村木の間に恋愛が成立する『天使のはらわた』シリーズよりも成立しない『人が人を愛することのどうしようもなさ』の方が遙かに恋愛映画だと思っているので、そう考えればものすごい純愛映画ですよね、『少年の君』は。
ありがとうございます、なるほどですね。
確かに共犯以上恋人未満な関係というか。
社会的には明らかに犯罪行為でも純情が道理を蹴っ飛ばすみたいな。
そういうの石井隆っぽいですよねぇ。
あと、孤独で優等生な少女と不良少年(この映画の彼は無軌道という程でもないし性に狂ってるわけでもないが笑)この二人の暴力的な出会いと純愛的な着地が劇画の天使のはらわたみたいだなぁと思ったり、
婦女暴行的な厭な事件が背後にうっすら感じられたり。髪切られて裸にひん剥かれて撮影されという、レイプと呼んでもいいシーンとか雨のなか曝される死体の不穏な感じとか。なぁんか既視感あるんだよな…って自分は思いながら観てましたね。
石井隆さん、新作撮ってくれねぇかな…
とにかく少年の君、面白いと思ったし僕もめっちゃ好きですね!
長文失礼しましたスミマセン