《推定睡眠時間:30分》
歴史系の教養があまりにも欠けているのでアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所については蓋を開けてびっくりわぁこんな酷いことをしてたんだ! と戦後になってみんな知ったんだろうとなんとなく理解しておりこれもアウシュヴィッツの知られざる実態を明らかにした脱走者の人たちのお話だと思っていたのだが、なんか俺の理解全然違うかった。わりと知ってたっぽいですよ国際赤十字とか教皇庁とか連合国側とか。知ってたっぽいけど直接の証拠がないから確信まではいかなくて「まさかそこまで不毛なことはやってないだろ~ははは…」みたいな。っぽいよ。それもよく知らないからぽいとしか言えないんですけど。教養大事ですね。
それでこれはその「まさかそこまで不毛なことはやってないだろ~」を覆すために収容所の内部情報を手に決死の脱走を敢行した二人の青年のお話というわけでいや~凄惨! 二人が脱走計画を実行に移すとあいつらどこ行ったんやと収容所の偉い奴が収容者たちに吐かせようとするんですけど分かりやすい拷問とかじゃなくて酷寒の中を何も食わせないでずーっと立たせるみたいな陰湿拷問、まぁ陰湿ではない拷問があるのかという話だがいかに人間を効率的に虐殺するかというその一点のみを追及したアウシュヴィッツの本質が立たせ拷問からは窺えて背筋が凍ります。脱走した二人の方はそっちもそっちで大変そうではあったがどんなに地獄でも収容所よりはマシだわって感じでわりと大丈夫だった。
映像的には被写界深度が浅くクロースアップを多用するので『サウルの息子』に近いのだが、難しいなと思ったのがさ、これ冒頭に「過去を忘れる者は同じ事を繰り返す」ってエピグラフが出て、エンドロールに入ると誰が言っているのかは具体的にわからんけれども現代の色んなヘイトスピーチ音声が流れるんです。ガス室送りにされたのはユダヤ人の人だけじゃなくてナチとそれを支持するドイツ国民が社会の荷物っぽいと判断した色んな属性の人たちであったというのは最近よく言われることで、その流れを受けてこれも「こういう言説を野放しにしておくとそのうちまたホロコースト起きるぞ」と観客にメッセージを送ってるわけですね。
それはわかるんですけどもうなんか慣れちゃったっていうか、『サウルの息子』を観た時にはすごい題材と映像だなーって思って強い映画体験として脳に焼き付いたんですけど、そういうのってショック療法みたいなもので何回も効かないよなって感じで、この題材の映画にまたこういう映画かぁ的な感想を垂れるのも気が引けるが、でもエンドロールのヘイトスピーチも含めてやっぱそう思っちゃったからさ。管理する側から(絶滅ではない)収容所を扱った『小さな独裁者たち』もそういう感じだったし、『帰ってきたヒトラー』もまぁメッセージとしては同じようなところありますよね。
だから、またかぁって。別にガッカリしたとかじゃなくて普通に良い映画だと思ったんですけど、映像的にもメッセージ的にももう慣れちゃったんだよこういう映画多くて、単純に。警鐘に慣れるのは良くないっていうのも正論でしょうけど正論で感覚は矯正できないしさ。そこが難しい。強いメッセージは何度も発する必要があるが何度も発すればメッセージを受け取る側の慣れは避けられない。そういうジレンマがあります。なんかそういうことを考えさせられる映画でしたよ『アウシュヴィッツ・レポート』。作った側としては不本意だろうけれども。
【ママー!これ買ってー!】
これはインパクトあったからなー。
こんにちは。
〝ナチ〟もの、〝ホロコースト〟もの、って、つい見てしまいます。何故だろう?見ることが贖罪、と感じるのかな?
『サウルの息子』でゾンダーコマンド、ってのを初めて知りましたし…
本作見ながら私が思い出したのは二つの映画です。
『家へ帰ろう』http://uchi-kaero.ayapro.ne.jp/info/top
『この世界に残されて』
https://synca.jp/konosekai/
こういう描き方もあるんだなぁ、と(後者は奇しくもハンガリーが舞台でした!)。
ナチもの、ホロコーストものは見てしまいますねぇ。最近とくに言われているのはナチスの浄化政策がユダヤ人っていう特定の民族だけじゃなくて同性愛者とか障害者とか精神病者とか幅広い対象に及んでいたということで、ホロコーストはユダヤ人だけの悲劇じゃなくて人類の悲劇なんですよみたいな、排外主義が世界中で台頭する中でそういう意識が高まって、それでナチもの・ホロコーストものの映画とかが最近多く作られてるんだと思います。作られたらまぁ、一応見るかってなる笑
『家へ帰ろう』は途中寝ちゃったんですが良い映画でした。『この世界に残されて』は見たことないですねぇ。チェックしときます。