戦争怖すぎ映画『アイダよ、何処へ?』感想文

《推定睡眠時間:0分》

びっくりするほど公平ではないがおそろしく正しい戦争映画でたとえば公平というのはこれはボスニア紛争の映画であるからセルビア人とボシャニャク人が出てくるわけだがと一夜漬けどころではない30分漬け(パンフレットありがとう)知識で偉そうに書き出してしまうが紛争の発端を踏まえてもまたこの映画で描かれる凄絶な虐殺事件に至るまでの経緯を踏まえてもセルビア兵が極悪非道傍若無人のさっさと各人最低30回は80年の拷問の末に死んで欲しいゴミクズどもでボシャニャク人はその憐れなる無垢な被害者であるかのように描かれるのはいくらこの虐殺事件に関しては事実に即してシナリオが組み立てられているとしても公平ではないように思うので公平な映画であろうとするならなぜこんな大惨事になってしまったのかという事の経緯と共にセルビア人の罪とボシャニャク人の罪と映画には出てこなかったと思うがクロアチア人の罪とそれからそれらを取り巻く国連+国際社会の罪(ここは結構出てきますが)を等しく描くべきであろう、ということなのだがつまりその公平でなさがもう超響く。超超もう響く死ぬ。

だってそんな公平とか無理ですよ、この監督ヤスミラ・ジュバニッチはまだ紛争下のセルビア兵に包囲されたサラエボで食いもんもなく電気とかもなくセルビア兵の銃弾に怯えながら十代を過ごしたというしね。またセルビア兵がとんでもねぇ蛮行を働くんだよー民間人強姦して子供産ませて民族浄化を狙うとかー(でも他の勢力も数はそれほどでもなくても結局やってたらしい)。パンフレットのインタビューを読むと復讐ではなく事実の拡散と記憶の継承を的な感じのことを一応言ってはいるがいやもうめっちゃセルビア兵にキレてるから。それはもうものすごいキレでどれぐらいのキレかといえばもはやそれが当たり前すぎてキレとも意識できないほどに内面化された透明なキレと言うべきもので黒沢清の『蜘蛛の瞳』に成り行きで殺し屋になってしまった哀川翔が無表情のまま女を追っかけて拾った石をとーんとーんと子供の遊びででもあるかのように投げてじわじわ殺すみたいな場面があるがなんかあれと似てる。

哀川翔はぜんぜん楽しそうじゃないしかといって嫌そうでもないし能動的にやっている感じもないしとはいえ受動的でもなくただ心ここにあらずで機械のように武器を持たず抵抗の意志もないそこらへんの人を殺してしまう。『アイダよ、何処へ?』が恐ろしいのはお話の内容にも全力で震え上がるのだがそれを切り取るタッチがまるで『蜘蛛の瞳』の哀川翔のような冷たさでもう恐いですよ本当にそれは。わあー人間て戦争を経験するとこんなに壊れるのかーみたいな。いや別にこの監督は壊れてないんですけどなんか傍観者のポジションで「公平に」ボスニア紛争を捉えるとかはそんなの絶対無理じゃないですか、自民族が民族浄化食らってるし。ある意味『ゆきゆきて、神軍』の超拡大版ですよこれは。なんで戦争をやったらいけないかよくわかるよな。戦争をやるとそこに巻き込まれた全ての人間は勝者であれ敗者であれ加害者であれ被害者であれ、不条理にもみんな等しく公平な傍観者のふかふかした椅子に座ることは一生できなくなってしまって、他のものを見るときには普通に人間の瞳なのに自分たちが経験した戦争の何かを見るときには蜘蛛の瞳になってしまうのです。

さて俺はこれをどんな内容の映画か知らずにずっと観たかった『白頭山大噴火』とちょうどハシゴ鑑賞が組める映画だったというなかなか平和ボケの極まった理由で観ているのでその衝撃たるや大変なものであった。ということで…触れない! 衝撃食らってほしいので内容触れない! ネタバレだけ求めてフェストに感想を漁っているそこのお前! ファストに済ませていい映画もあるだろうがよくない映画ってものもあるだろ! お前は今すぐこの感想を読んでいるスマホを白頭山の火口に投げ捨てて『アイダよ、何処へ?』を観に行くかもしくは紛争内戦が現在進行形のシリアやミャンマーなどに行って戦争を浴びろ! だから戦争当事者になるなっていうのに。あと白頭山は関係ねぇっていうのに。いや、でも、北朝鮮と韓国も休戦してるだけで和平合意に至ったわけではないからそれも戦争といえば戦争だな…関係あったよ! わりと近くに戦争ありました!

あと現象として面白いなと思ったのがどんな映画にもそういうことを言う人はいるんですけどこの映画も主人公の国連保護軍現地通訳の女(ボシャニャク人)がエゴイストじゃないかっていう、そういういささか頭のおアホなお感想が皆様のおインターネットには存在するのでございますが、この映画の内容からすれば「主人公がエゴイスト」という表現もしくは印象の意味することは「あなたと同じ民族の他の人が殺されてるんだから同じ民族としてあなたたちも殺されないと不平等じゃない」とかいうド直球変化球剛速球のジェノサイド思想というかその無邪気さからすれば積極的ホロコースト肯定になってしまうのでドン引き。ヒ、ヒトラーの方ですか? ヒトラーさん現代日本にいらっしゃった? こんなに? まぁひっとらぁ伯父さんとか言うしな。

でもそれも含めて映画体験が完成されたなっていう感じもあります。内容に触れないと言いつつ概要ぐらいは書かないと無理なので書いてしまうがこれは虐殺システムについての映画で人間はどのような状況に置かれてどのような条件が整ったときに虐殺をしてしまうのか、加害者であれ被害者であれ調停者であれ虐殺システムに絡め取られた人間はいかに無力化されていかに組織的虐殺の進行に抗うことができなくなってしまうのか、ということを燃えるように冷たい筆致で描破する映画であったので「主人公がエゴイスト」とかのたまう目玉と脳みそがチ○コとかケツの穴についてるとしか思えない残念な方々の感想を見ますとそうかー、やっぱりこの映画で描かれていた虐殺システムは超正しいんだなー、などと思わされるわけです。そういう人はいざ自分が虐殺する時には何の疑問も抱かずに粛々と虐殺を行うでしょうし虐殺される側になった時には何の抵抗もできずに虐殺されるに違いありません。道徳とか正義の話じゃなくて自分の身を守るために「主人公がエゴイスト」とかそういうろくでもない考えは捨てんといかんよなー。

ところで最後のシーン、俺はぎゃーってなったのですがあれはどうなんでしょうね、作ってる側の意図としては。黒沢清の怖い映画が夜道でカマドウマを踏みそうになってすげぇジャンプされてびっくりしたぐらいな程度のぎゃーに思えてくるガチぎゃーだったのですが。見ているぞ…覚えているぞ…お前たちは忘れたが…お前たちは見なかったことにしているが…私たちは知っている…私たちはここにいるぞ…ってなもんで。こんな怖いリアル怪談があるのかよと思ったよ。だってこのタイトルもものすごいじゃないですか。どういう意味だろーと思って軽い気持ちで検索したら血の気引いたよな。何処へ=クォ・ヴァディスで聖書からの引用ですけど、ボシャニャク人はイスラム教徒で、セルビア人はキリスト教徒で、それでこういう内容で、こういうタイトルで…遺恨やべーだろと思ったね。いや、もちろん、そこには復讐と表裏一体の希望というものもあるのだろうけどさ…復讐を背中につけないと希望すら語れないって、すさまじいよねっていう。

※遺恨と書いたがセルビア人勢力が樹立したボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦スルプスカ共和国は例の事件の国連ジェノサイド認定を拒絶しているそうで、虐殺司令官もなんと今年の6月に終身刑の判決が下りたばかりというから、リアルタイムの現恨なのであった。そりゃあこんな凄絶な映画もできようというものだ。

【ママー!これ買ってー!】


ユーゴスラヴィア現代史 新版 (岩波新書 新赤版 1893)

ツイッターの岩波新書アカが映画観たらこちらもどーぞと宣伝しておった。きっと信頼できる書物だろう。

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匿名さん
匿名さん
2021年9月29日 6:28 PM

自分もハシゴ観賞(ディナー・イン・アメリカ)したのですが、温度差すごかったです。この映画のオランダ軍将校と主人公たちの温度差もすごかったですね。当事者と部外者ではこれほどまでに状況に対する想像力が異なるのか、と驚きです。
セルビア軍のヤカラ感もすごかったですね。『エネミー・ライン』のジャージ兵士といい、映画界におけるセルビア人の扱いってヤバすぎません? まあ、この映画の虐殺以外にも、アルカン・タイガーとかセルビア人民兵が暴走、虐殺が発生していましたが・・・。
にしても、この映画は見せ方うまいな~と思いました。おっしゃる通り、ラストは衝撃的でした・・・。