《推定睡眠時間:0分》
これは一部で話題の韓国ホラーアニメ『整形水』と同じ日に観たんですけど『整形水』の感想はまた別に書くとして二本観て思ったのはどっちも新人監督っぽい人が作ってるからっていうのもあるんでしょうけど、韓国映画こういうの下手になったなーっていうか、なんかですね、ある状況(だいたいえぐい場面)を作るためにそこから逆算してプロットを立ててる感がすごくて、状況と状況をつなぐドラマの部分がめっちゃおざなりなんですよね。記号的な描写一つで済ませちゃう。
だからなんか形だけっていう感じがして、何か怖いことが起こっても真に迫ってくる感じが本当ない。『殺人鬼から逃げる夜』はやりたいことが明確でコリアン・ノワールの傑作『チェイサー』と韓国版の『見えない目撃者』とあとまぁオマケ的に『シャイニング』要素もちょっとだけあるんですけど、とにかくそういうのを主人公をろう者の設定にしてミックスしてて、これは映画を観ての俺の印象でしかないですけどろう者の映画を作りたいっていうよりは『チェイサー』と『見えない目撃者』と『シャイニング』をガッチャンコしたものを自分の手で作りたいっていう、そういう動機がたぶん先にあった。
映画作りの方法論としては逆に思えたので参考として別の作品を挙げると最近『RUN』っていう車椅子の役者の人(キエラ・アレン)が主演のアメリカのスリラー映画があって、それは車椅子の人の日常生活の中に徐々に恐怖が入ってくるっていうか、日常生活の中に隠れていた恐怖が徐々に鎌首をもたげてくるっていうか…まぁそういう感じで、あくまで車椅子で生活している人のドラマが先にあるわけです。だから怖いシーンとかも単にヤベェ奴が襲ってきて怖いとかじゃなくて車椅子で生活してたらこのシチュエーションは怖いなーっていうものになっていて。
で、『殺人鬼から逃げる夜』はそれがほとんどっていうか全然ないんでダメだなって思ったんだよな。だってこの殺人鬼普通に殺人鬼なんだもん。普通に殺人鬼だったら主人公が健常者の人でも怖いじゃん。で殺人鬼に狙われてる主人公がさっきまで駐車場で殺人鬼に追われてたから監視カメラで確かめてくれって監視カメラの映像を見せてもらったらそのカメラが駐車場でタバコ吸うガキどもに角度曲げられてて殺人鬼映ってないんで「お前酔ってるんじゃない?」って逆に主人公が疑われるんですけど、こんなの障害とかなにも関係なくない…?
いやもうねそういうのがめっちゃ多くて本当萎えたよ。なんのためのろう者設定なのと。あのですねある意味ではですねとくに作劇上の理由も無く主人公が障害を持ってる人っていう設定は究極のバリアフリーだとは思うんですがそれで貫徹しているわけではなくたまにろう者の苦労みたいなシーンが入ってくることは入ってくるんですよ。だけどそのシーンが九割ぐらい「それ筆談で解決できない?」とか「使えるスマホアプリとか色々あるんじゃない?」みたいなさ…そこ雑にしちゃダメじゃんっていうガッカリ感たるや!
一番ガッカリしたのはこのろう者の主人公が必死に声を振り絞って殺人鬼に懇願するところでここはガッカリを通り越して若干ムカついたぐらいです。なんなんだよ、どうしたいんだよそれは。ろう者が無理矢理声を出して生きたいんです助けて下さいとか言うのをなんか泣けるシーンみたいに演出されてもそんなもん悪趣味な感動ポルノでしかないだろ。そこに至る過程も意味わかんないからね。ちょっとさっきの話と重複しますけどこの主人公が道行く人に助けを求めるんですけど誰もこの人が言ってることがわからないから助けないっていう、いやだからそれは筆談でなんとかなるだろって思うし、普段からろう者として生活してる人ならそれぐらいは思いつくんだよ普通は。
万一パニック状態で思いつかなくても通行人の方は一人ぐらいは思いつくし、思いつかなくても何を言ってるかわかんない人が尋常じゃない様子で縋り付いてきたら警察を呼ぶぐらいはするし、あとこれはですね多少ネタバレっぽくなりますけどまぁもうここまで言ったらネタバレもなにもないだろって気もするんで書いちゃいますけどこの時点で犯人もう犯行の証拠が挙がってて警察に見つかったら普通に捕まるから主人公が逃げまくる必要はないし犯人も(逮捕前にぶっ殺すと思っているのでなければ)証人としての主人公を追う必要もないんだよ、意味ないんですよこの追っかけっこは。意味がない上にろう者の生活リアリティもないので本当になんなんだよっていう…だからもう形だけなのよとにかく。こういうシチュエーションが欲しいんですよね~以外に何もないから本当つまらないと思う。そのシチュエーションだって健常者で代替可能なシチュエーションなので。
あそうそうストーリーとか書いてなかったですねなんか連続殺人鬼がいてろう者の主人公が襲われて逃げます。どうして手練れの連続殺人鬼から殺人素人の主人公が逃げることができたのかといえば作者の都合としか言いようがないわけだがとにかく逃げたところしかしこの殺人鬼が執拗に追ってくる、で警察に行っても警察無能マジ無能、署内で刃物と流血アリ乱闘事件が起きたのに調書も取らずに乱闘当事者を送り返してしま…うわけねぇだろいくらなんでもそれはないって! 目撃者がいる上に監視カメラもあるんだからそんな手抜き仕事したら後からバレて絶対処分食らうじゃん! あとお前ら酔っぱらいになんでそんなに手こずってんだよバカかよ酔っぱらい追い払ってる間に署内で流血沙汰起きてるよ流血沙汰!
リアリティがないのはろう者だけじゃないんだよなぁ。全部リアリティないんだよなぁ。そりゃ映画はリアルならいいってもんじゃないですけど一定程度のリアリティはないとこういうスリラーなんかは怖がるに怖がれないじゃんさぁ。助けを求めようにも周囲に人がいないことの理由を「このへんも(引っ越しで)人が少なくなったね~」の台詞一つで説明されてもそんなもん納得できるわけないだろ。ある程度寓話的に撮ってるのかもしれないですけどじゃあなんの寓話なんだよっていう…ろう者の寓話にもなってないんだよなマジで。あーあ。『チェイサー』はそのへんリアリティの無いところとあるところの案配が巧くて本当に素晴らしい厭な映画だったよなああああああ! こっちの映画の厭さは徹底したご都合主義の厭さだからなああああああ!
でもそれでちょっと思ったのはさ、『チェイサー』は韓国庶民の生活実感みたいなものはかなり濃密にあったと思うんですよ。『チェイサー』に限らずコリアン・ノワールの傑作はだいたいそうですよね。こんな風に汚れて生きたくないけどこんな風にしか生きられないんだよ金ねぇし的な苦しさとかこんな人間関係の中で暮らしてたらいつ殺されるかわかったもんじゃねぇよ的な怖さっていうのが肌感覚であって、そういうのは最近のコリアン・ノワールを観てると結構無くなってきてるなぁって思う。
無くなった代わりに演出が洗練されてきて、あと主人公を生活の垢と過去の汚れのこびりついた複雑なキャラクターとして造形しなくなった。悪いことに手を染めているような主人公でも社会のせいでそうなったっていう見せ方をしていて、基本的には善人という扱い。で悪役は徹底して悪くて弁解の余地が与えられない。これってアメリカ映画的なキャラクターの記号配置なんですよね。だからコリアン・ノワールの変質は韓国映画のアメリカ化が進んだ結果と言えるかもしれないし、それは陰々滅々としたゾンビ・ノワールの秀作『ソウル・ステーション』を撮り上げたヨン・サンホがアメリカ的なヒューマニズムと善悪二元論を取り入れた『新感染』で出演したマ・ドンソクともども一気にブレイクしたことが象徴してるんじゃないかと思ったりする。
パク・チャヌクの『お嬢さん』とかポン・ジュノの『パラサイト』はそうしたアメリカ的な単純化と夢物語化に抗ってそこには回収しきれない韓国の空気であるとか韓国庶民の生活実感をベースに映画を作っているように思えたのでやっぱり巨匠だな~とかなるわけですが、まぁでもそういうのは今や巨匠だけに許された特権的な映画作りなのかもしれず。徹底して空虚な『殺人鬼から逃げる夜』も形だけはアメリカ映画的にそれっぽく整ってるので面白く観られないことはないけれども、ただもうここまで空虚が極まってると本当なんでろう者の主人公立てたのっていうか、その生活実感を汲み取るつもりがハタからないならやるなよとか思いますよ。
障害者設定の方がサスペンス盛り上がって泣ける感じになって面白いでしょ~みたいな薄っぺらさで気分悪いわー。せめてろう者の特性を活かした反撃ぐらいすれば良いのにそれだってないんだもんな。音を立てずにろう者同士手話で会話して連携攻撃とかやりよういくらでもあるだろ!
※あとあの殺人鬼が出してくるどっちの女を助けるかの二択、単に殺人鬼をぶん殴って二人とも助ければいいだけなのでマジ意味不明。そういうところマジで多すぎマジで。殺人鬼のバックボーンもあまりにも無意味にベタベタすぎて…そういうの多過ぎ!
【ママー!これ買ってー!】
かなりのバッドエンドに分類されるであろう『チェイサー』よりも爽やかなハッピーエンドの『殺人鬼から逃げる夜』の方が不快度が高いってどういうことなんだよ!
ガバガバっていうレベルじゃない雑な展開の連続なのに、フィルマでは高評価寄りのレビューが大多数で困惑しています。それだけ韓国映画ファンの裾野が広がったということなんでしょうかね。
ところで、(本作品も含めて)このブログやツイートの内容に酷似した感想を頻繁に上げているフィルマユーザーが最近目に付きます。アレってさわださんのサブアカじゃないですよね?
フィルマのユーザーネームは「さわだにわか」なので、それ以外のユーザーネームだったら無断転載でしょうねぇ。何が楽しくてやってるのかわかりませんけど前もそういうアカウントがいて、それ無断転載ですよね?ってツッコんだら垢消しして逃げられてしまいました…。
教えてくれてありがとうございます、何度もやられるのもアレなのでなんか警告ページみたいの作っときますね(魚拓などは取ってあるので)
それにしてもこの映画はガバかったですね!ガバいけど面白いシーンは沢山あるので、そういう見せ場優先の作劇がウケてるのかもしれません。
お返事ありがとうございます。
オで始まりスで終わるユーザー名(オ・ダルス?)だったので、やはり違いますね。
二人の女の二択は、一応、「(クビにナイフを当てて)お前が近づいたら俺死ぬよ。俺死んだら妹も死ぬよ」って言ってましたよ。
ご都合多めなのは、変わりませんが。
言われてみれば確かに…でもあの時点で軍人の兄貴は妹の置かれた具体的な状況を知らないわけですし、それでほいほい殺人鬼の言うことを信じるかというと(その前に襲われてるし)説得力がなさすぎると思うんすよねぇ。主人公の方はその後で砂かけとかいう超原始的な手段で反撃するので、だったら首にナイフ当ててる間に武器を探すとか隙間見つけて逃げるとか色々やりようあるじゃんっていうのもあり…
ギョンミから妹は生きていたという情報があり、その直前まで妹を探していたので生きていて欲しいという思いがあるわけで、その心理につけこまれたという流れはありましたよ。
ギョンミ殺しを見逃せば、妹は助かるは、まんま小規模『ダークナイト』。当然、ダークナイトもあのジョーカーを信じて走る。(もちろん、嘘で絶望という展開ですが)
その隙にギョンミは椅子を突き出してタックルでもしろとは思いましたが。
それはある程度わかるんですけど、軍人の設定もあるので(そんなに簡単に踊らされるかなぁ)とか、あの兄妹の関係性の描写も序盤に適当な感じであるだけなので(それで目の前の他人を蹴落としてまで救いに行くのはキャラクター描写が薄すぎないかなぁ)とか、ギョンミが妹を見たということを兄貴は警察署で知ってるわけだからその後で同じところを探して見つからなかったとしても(なんらかの事情を知ってそうなギョンミを助けて一緒に探すっていう選択肢も普通は頭に浮かぶじゃん)とか思ったりして、そういう粗さがずっと気になってしまったんですよね…韓国サスペンスは展開はダイナミックでも細かい人間心理の流れはおろそかにしないっていうイメージが強かったので。
映画を見てる側はそうでしょうが、当事者ですし、振り込め詐欺がいまだに多数の被害は出さないかなと。
人間描写というより状況描写に力を入れる監督なんでしょう。
なるほど、そう言われると腑に落ちます。