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がんばれとは書いたものの別に園子温にがんばってもらいたいわけではなくこの映画の和洋折衷過去現在ごちゃごちゃ混ぜ混ぜポストモダンな世界観といちばん近いものってなんだろうと脳内をサルベージした結果コナミの名作アクション『がんばれゴエモン』シリーズだったのでこれはそのダジャレです。とくに『がんばれゴエモン3 獅子重禄兵衛のからくり卍固め』だね。『がんばれゴエモン3』は舞台設定が『銀魂』の先駆けみたいな未来の江戸だったし江戸だけどファッションが『マッドマックス2』みたいだったりステージ美術が『ブレードランナー』みたいだったり、音楽はハードロック風の曲調に和楽器的な音色を入れたりして、あと全体マップとゲームシステムが『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』の直球パロディっていう相当がんばって攻めた内容だったので、がんばりすぎて容量が足りなくなりラストダンジョンがオミットされるというスーファミ時代らしい苦肉エピソードまであるわけだが、それはいいとしてつまり『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』は奇抜なセットデザインやコメディ要素なども含めて実写版の『がんばれゴエモン』だということです。ゴエモン役はニコラス・ケイジでした(ヤエちゃんがソフィア・ブテラでサスケは坂口拓でエビス丸はYOUNG DAISかもしれません)
そう思えばちょっと面白くならないですか? うんならないねそうですね。とはいえどんな映画も見方ひとつで面白くもつまらなくもなるものです。もとより毀誉褒貶の激しい映画監督の新作ということもあって酷評の嵐が吹き荒れておりますが俺はわりと楽しく観れたのでなんか得した。楽しくと言ってもこんなにアクションのできる俳優を揃えているくせにアクションシーンはゆるすぎるし脚本は能の書割のようで現場に存在したのかすら怪しいしギャグに笑えるところなど一カ所もないくせにあちこちで無駄なギャグをやりたがってしかもわりと盛り上がりそうなところでも急につまんないギャグが入ってくるから台無し感があったりとかそういう感じの映画なので楽しいのはそこじゃない。
奇想系の大規模セットとか、スクラップアートな衣装とか、その中で展開される様々なパフォーマンス…ダンスとか、朗読とか、紙芝居リーディングとか、パントマイムとか…というのが俺が楽しく観れたところで、要するにこれは森美術館とかでやる現代美術家の個展の映画版なわけです。セットとかあれ映画セットっていうかインスタレーションなんですよ。パフォーマンスは美術館ならビデオアートとして通路とかに展示されてるところで。
こういうのなんか嫌だよな、現代美術としておもしろかったですとか言うとなんかいけすかねぇスノッブ感出るじゃないですか。そりゃまぁスノッブは自認してますけど「この良さがわからない君たち庶民は~」とかそういうつもりはなくてさ、あの一応言っておきますけど俺は現代美術系の美術展はよく行きますが高尚なものが見たくて行ってるわけじゃなくて、現代美術は基本的にわけわかんないしふざけてたりしておもしろいっていう…あのたとえばですね前に東京都現代美術館の常設展に非常ベルを四つぐらいくっつけて等間隔で置いたやつがあって、それぞれのボタンを押すと連動してほかの非常ベルも全部鳴ってすげぇうるせぇんですけど、その仕掛けを知らないやつが部屋に入ってくるととりあえず近くのボタン押すからこっちが他の作品観てるとジリリリリリリ! って急に鳴ってびっくりするっていう、それで振り返ると押したやつもびっくりしてるっていう…いやそれのどこがおもしろいんだよと言われたら困るけれども、でもその状況ってちょっとおもしろくないですか? つまらない?
じゃあとりあえず現美でも近美でも森美でもどこでもいいから現代美術置いてるところに行け! 可能な限りカジュアルな感じで行け! Tシャツとジーンズとサンダルで行け! 展示内容にもよるがちょっとした遊園地的に遊びに行くつもりで! つまんねぇ作品はガンガン飛ばしつつ! 順路なんか無視して好きなように回りつつ! 面倒くさいからキャプションなんか読まないで済ませつつ! アホみたいな作品にはツッコミを入れつつ! 自分のアンテナに引っかかった面白い作品だけ何度も観たり何分も観たりその作品に込められたものを想像したりそこから立ち上がる自分だけの妄想と戯れたりして!
…っていう風に観れば現代美術はとてもおもしろいのに世の中は現代美術なるものを明らかに、かつ、無駄に偉いものとしてしまっているから現代美術アレルギーというのが出てくる。バンクシーなどはあんなもん誰でもできる量産可能なグラフィティなんだから「単なるレベルの低いグラフィティじゃないっすかw」で済ませちゃえばいいじゃないですか。市場価値は市場価値でそんなもん作品本体の価値とかまったく関係ないですからね。
だいたいバンクシー自身がオークション落札品裁断パフォーマンスで大した価値のないグラフィティの切れ端とかに群がってオークションで値段釣り上げて盛り上がる低俗金持ちどもとアート業界を皮肉ってるわけだし。あんなもん遊びでいいんだよ。バンクシーのグラフィティは遊びでそれを観るこっちも遊びで軽はずみに観りゃいいんです。東京都が「バンクシーのものとされる落書き」を撤去して都庁に飾ったらあれを何か高尚なものだと思い込んだ人々が押し寄せた…なーんてそれ自体が笑って観るべきハプニングアートと言えましょうよ。
たかだか二時間の映画を擁護するためにこんなに迂回が必要だなんてすごいよね! うん褒めてない! 褒めてないよこれは! でもまぁそういうことはやっぱ言わないといかんのじゃないかと思って、この映画に出てくるようなものなんか現代美術置いてる美術館に行けば本当めちゃくちゃ普通にあるわけですから、それはこの映画が取り立ててセンスのあるものではないことを証明してもいるが、センスのない人が現代美術をやってはいけないというルールはないのだし、むしろセンスも教養もなにもなくてもやりたかったら誰でもやっていいのが現代美術に限らずアートなのだから、とくに現代美術の場合は何を使うもそんなのはアーティストの自由で絵が描けなくても字が書けなくても目が見えなくても耳が聞こえなくてもやろうと思えばできるっていうんで間口は広いというかそもそも売れる売れないはともかくとして間口など存在しないのだから、これはこういうアートとしてまぁ別にいいんじゃない? って俺は思うんすよねぇ…。
だけどその上で、まぁこれぐらい作品を擁護したら後はもう殺人予告以外は何を書いてもいいだろうと思うんで書きますけど、わりとねバカじゃねぇのっていう気はしましたよそれは、俺だって! っていうのはギャグがどうとかそういうことじゃなくてテーマとの向き合い方の問題で、園子温が作品のテーマとして設定することの多い女性解放と『希望の国』でやった原発問題っていうのが『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』でニコラス・ケイジとソフィア・ブテラが立ち向かう二大テーマなんですが、そのどちらもコンセプトだけあって内実はマジで全然ないなって思ったんですよね。
要するにさ、「女性解放」っていう理念は現実の男女格差を埋めるために必要なものではありますけど、現実の「女性解放」ってたとえば女性議員を増やすとか服飾規定を男女平等な感じに見直すとか育休を男女同じくらい取るように法律で義務付けるとか賃金格差を無くすとか、そういう個別の解決すべきことを一つずつ地道にやってくことだったりするじゃないですか。『プリズナーズ』の園子温はそういう現実の「女性解放」には全然関心がないように俺には見えて、前作のネットフリックス映画『愛なき森で叫べ』もそうですけど題材とかテーマを自分を表現するためだけに使ってるようにしか思えないから空虚だなーって思うし、現実との接点を欠いた空虚なところで脳内の同じイメージを使い回してるから本人「前衛」っていう言葉が大好きですけど、そんなところに前衛はないよねっていう、そんなの「前衛」のコンセプトに酔ってるだけでしょっていうのがある。
原発問題も同じなんですよ。これに関してはもうはぁその程度の認識なんですねと言うしかない。原発と原爆を安易に結びつけるような発想がダメっていうんじゃなくて原発事故は具体的にどんな問題を日本に植え付けたのかっていうことの洞察がまったくないのが俺はダメだったんだよな。この人にとっての原発事故というのはそれまでにもあったが日常の下に潜伏して見えなかった問題を顕在化させた出来事っていう程度のもので、ある種の天罰的なコンセプトなんですよね。原発事故の現実から発想したものではないので、そんな薄いコンセプトだけで原発事故をしたり顔で語られてもなーっていう…まぁでもアートは自由だからね表現は自由! 自由だけどでもバカだなとは思うしそれを自由に言ってもいいのがアートだよね! アートってなんだろう!
とまぁそんなわけでこれは俺が思うに森美でこういう個展をやったら文句を言う人は基本的にはいなかったんじゃないのと思います。思慮は浅いけれども美術とかパフォーマンスはごちゃごちゃわちゃわちゃしてて単純に見てて楽しい。楽しいだけでそれ以上に感じるものも考えることもないが現代美術の個展は遊園地なのでそれでもいいのです。まぁ映画も…映画も自由だからね。映画でこういうことをやるのも俺は別にいいじゃん派ですが、ただ美術とかパフォーマンスの面白さで見せていく変則ミュージカル映画だからそれが一通り出揃ってしまうと、物語とか演技には力を入れてないから後の展開がなかなか辛い。
言ってしまえば出オチの映画で、なんなんすかね、それでもスクラップ街の住民たちがうおー悪徳知事の支配する色街に攻め込んで遊女たちを解放するぜーって気勢を上げるところはちょっと盛り上がるんですけど、まことに不可解なことにそいつら攻め込まないでニコケイとソフィア・ブテラ(逃げてきた遊女という設定)だけで殴り込みに行くんだよな。いやそこは攻め込まないと…攻め込むのが無理ならせめてその理由をちゃんと撮るとかしないとさぁ…二人だけの殴り込みにしたってなんかあるじゃない、『昭和残侠伝』みたいな観てる側が盛り上がる演出とか展開とかっていうのがさぁ…しかも殴り込んでもすげーゆるい盛り上がらない何がどうなってるのかよくわからない殺陣しかないっていうね! これは殺陣が悪いっていうか撮り方が悪いんだと思うんですけど、まぁでもこのへんはどこが悪いとかじゃなくて全部悪いのでどうしようもない。
やっぱりこういうのは美術館でやりゃあよかったんじゃないかなぁ。でもパフォーマンスはともかく展示前提でこんなでかいセット作れるだけの金なんか集まんないか。映画でやるっていうから金が集まってこういうアーティスティックなセットも組めたわけでしょ。そう考えると難しいよね。いったい何が正解だったんだろう。そもそも作らなければよかった? うんまぁそれも一つの答えではあるね! あくまでも一つの答えだけれども答えは答えかもしれない! とはいえ、ぼやぼやと何も考えずに画面を眺める分にはたのしい映画だったのだからそう悪く言うこともないか。
映画の冒頭には無邪気な子供が出てくるが、これは子供に観てもらうための映画だったのかもしれない。そういえば園子温の怪獣映画『ラブ&ピース』も東京の地下にオモチャの墓場があってそこにはオモチャに命を吹き込む西田敏行がいて…みたいな映画だった。血と汗と精液臭い映画ばかり撮っているわりにはというか、そういうものばかり撮っているからこそなのかもしれないが、園子温の映画には子供への憧憬が基調音として流れている。題材やテーマの自分本位で無思慮な取り扱いももしかするとそんなところに根を持ってるのかもしれない。
園子温というのはワガママで狂暴な子供で、その人間的なダメさをアーティストの純粋さとして、前衛性の証として捉える人で、そうした時代錯誤なアート無罪的世界観は俺からすればむしろアートを自己正当化のアクセサリーとして用いるという意味でアーティストとして不純であり、現実世界の題材の持つ複雑さと格闘することなくその題材から受けた素朴なイメージと幼児的に戯れる点で反前衛なのだと思うが、今や巨匠さんのようですから誰もそんな文句は言わないのだろうし、ヨーロッパの映画評論の世界では情熱の発露が好まれるから、自分のアートを疑うこともできないのだろう。
誰か言ってやればいいのに。あなたが斬新だと思ってるそれ、『がんばれゴエモン3』でやってましたよって。あといくら『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』が好きだからってそのまんまなシーンを出すことはねぇだろって。
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蜷川実花の『ダイナー』と『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』は色んな点で似ている。『ダイナー』も公開時に観た時には殺し屋映画として全然面白くなかったので激ギレしたが、あくまで美術を観るための映画として再見すれば案外たのしく観れるかもしれない。
これは典型的SF(西洋人に・Fxxkされて悔しい)映画ですね。
紙芝居で原爆ドームがあるので、日本の戦後が裏舞台。日本は米国のペ○ス(キノコ雲)で二回もレ○プされたのに、さらにフクシマの事故など、まだDV男(アメリカ)の押し付けたカルチャーにしがみつくのか? 植民地のままじゃだめだ! しかし状況を改善するのは米国人のニコケイさん。日本はFxxkされて去勢されてしまったから自立できないから。ニコケイさんは、子供を殺した=日本を負かしたことを後悔している、いい米国人。知事は悪い米国人。二人の対決は心の葛藤。つまり、米国は真摯に反省して、日本の自立を助けてちょうだいよ! というのが監督の言いたいことです。ホントかよ!
寺山修司知らないんで、これもまたSF(設定・ふんわり)映画だと勝手に断定。『お姉チャンバラ』『アイアンガール』っぽいと思いました。
個人的にはニコケイさんが好きなこと(下着姿を披露、カタナでチャンバラ、若者の保護者になる)できててよかったと思います。死ぬシーン(ミトラレ)が足りなかったかな?
ハリウッド進出作がコレって、完全にやらかしですよね・・・次はもうないでしょうね
なるほど!日米関係の寓話だったのか!しかしそれなら『がんばれゴエモン』も負けてません!スーファミ時代の最終作『がんばれゴエモン きらきら道中』では究極のスポーツを求めて星々を侵略していた宇宙スポーツ狂人がゴエモンたちとの激闘の末に「究極のスポーツ、それは切腹!」と謎の境地に達し太陽に突っ込んで自爆するのです!これなど風刺の意図なきまったき鋭い米国批判と言えましょう、わっはっは!
…それはともかく、場面単位では悪くないと思ったんですが、わりと映画の根幹の部分がふわっとゆるっとしてるので、キワモノとしては面白いけど…みたいな感じの映画と思いました。ニコケイさん楽しそうに演じてるしこの映画の撮影が縁で結婚したし本人的には良い思い出っぽいですね。監督も好きにセット作れて楽しかったと思われますので、次がなくてもいいやって感じだったのかもしれません。
しかし、こういう映画を見るとアメリカでコンスタントに新作を撮り続けてしかもちゃんと面白い北村龍平はすごい人なんだなぁとか思いますねぇ。
『がんばれゴエモン』って内容ヤバいんですね。しかも「きらきら道中」って・・・チャラいな~w ルパンのゴエモンしか知らないですけど、彼も初期は割とチャラくて、フジコに騙されて「拙者のガールフレンドでござる」とか言ってたの思い出しました。
ところで、この映画ネットで不評ですが、やっぱり期待値が高すぎたんですよね・・・園監督はこれが初見ですが、今作の失敗は「○井メロ現象」ですかね? 仲間内ではブイブイいわしてても、いざ大舞台に出るやブルってしまい、実力が出せない、みたいな。私見ですが明確な大失敗ポインツが二つありますね。
まず、紙芝居。あれで作品のリアリティラインが崩壊、同時にパロディネタバレ(アングラ演劇)で、観客を白けさせてますね。
あと、ニコケイさんを全く使いこなせてない点。『トゥ・ヘル』ではポエトリーリーディング・フ○ックを披露してた彼ですよ。しかも朗読してたノートには「ニコラス・ケイジ」と書いてありました。そういうメタギャグもできる人なのにねえ・・・。
北村龍平と言う人は初めて知りました。作品を見てみようとプロフィール見ましたが・・・『ルパン三世』・・・?
北村龍平版の実写ルパンなど存在しません!幻覚もしくはフェイクニュースです!ありませんでした!忘れて下さい!!!
冗談はさておき…演技指導がおざなりで役者が置物っていうのは最近の園子温映画・ドラマ全般的な傾向だと思います。なんか、どこからか役者を見て演技をつけることをやめて、「俺の考える面白キャラ」をコスプレさせるだけになったんですよね。「愛なき森で叫べ」とかも酷かったですよ。
紙芝居も本人的には面白いつもりでやってるんでしょうけど…でも難しいのがあぁいう突飛な(寒い)演出がヨーロッパの映画祭でウケてしまっているらしくて、それでガリガリ賞とかもらってるから、結構打算的にやっているっぽいところもあって。でも、その打算もちょっと透けて見えるから余計つまらないし白けるんですよね笑