《推定睡眠時間:0分》
俺はこの映画に関してはネタバレしないと決めたんでこの感想にたぶんきっと物語の核心に触れるネタバレはないですけどネタバレがないと! 書けることが!! ほとんどない!!! なにせもうこれだってネタバレの一種ではありますからね。だって『クライモリ』でしょ? あのなんか『サランドラ』のエピゴーネンの一作の。エピゴーネンの一作としては非常に出来がいいけどでも『陰獣の森』とか『序章・13日の金曜日』とかの森スラッシャーのバリエーションでしかないようなあの。
それのリメイクでネタバレがどうのとか言ってる時点で「え、そんな映画じゃねぇだろ?」っていうさ、オリジナルを観たことある人からしたらなんかシナリオに捻りがあるっぽい映画であることがバレちゃうわけじゃないですか。それはちょっと悔しいよね。申し訳なさもありますよ。だって俺『クライモリ』ってあの『クライモリ』でしょって思って観に行ってこ、これが『クライモリ』!? ってなったもんね。そのびっくりを削いでしまって申し訳ないですよ。それならいっそネタバレしちゃえばいいのにねと思いますがでも決めたの! ネタバレしないって!
あのね、そんな風に書くと「夢オチ?」とか想像する人もいるかもしれませんけどそういうことじゃねぇんだよな。どんでん返し系とかっていうことじゃなくて、いやある意味どんでん返しなんですけどこれはとにかく先を読ませない。オリジナルといえば森の中のブービートラップが作品の特徴でそれはこのリメイクにも出てくるんですが、分量としてはそれほど多くはないしトラップに引っかかってのゴア死みたいなのも少ないんで、むしろリメイクのトラップはシナリオの中に仕掛けられていて「え、そういうことだったの!?}っていうのが分刻みで来るような感じ。
そういう意味ではわりとストレートな森スラッシャーだったオリジナルよりもポスト・スラッシャー映画の『ハッピー・デス・デイ』とかに作りは近いかもしれない。受ける印象は全然違いますけどね。こっちはやっぱり邦題とはいえタイトル通り暗い。陰惨。殺伐。それはどこから来るかというと田舎描写から来てて、田舎に遊びに行った都会の若者が一人また一人と…っていうのがよくある森スラッシャーじゃないですか。
この映画もオリジナル同様にそのパターンを踏襲するんですけど、都会の若者の目から見た田舎こわ~いでは全然終わらなくて、田舎の人の目から見たら都会の若者たちはどう映るかとか、で田舎って一口に言いますけど田舎にも格差っていうか田舎の中心地と田舎の辺境みたいのがあってそれぞれ住む人の意識とか違うしお互いに偏見あったりいがみ合ってたりとかすると思うんですけど、そういうマンダリンみたいに多重化された対立構図が描かれるんですよね。同じ町の中でも男と女で格差があってそこに火種が生まれたりとか。同じグループの中でも黒人と白人で微妙に温度差があったりとか。もう色々やる。だから人が死んでイエ~イみたいな気分に全然ならない。
あと暗さ要因の一つに殺される若者たちのイヤなところを結構しつこく細かく見せるっていうのがあって、オリジナル含めて昔の森スラッシャー映画ってとくに理由もなく若者が殺されてましたけど、最近の森…っていうか田舎ホラー映画って殺され役の若者がなんか倫理的にアウトな感じの振る舞いとかをして「こんなことをしたら殺されても文句言えないよね」みたいな、そういう田舎の殺人鬼(?)に対する配慮がある。アメリカの分断が叫ばれる昨今なので田舎ホラーの作り手も単に田舎怖いっていう映画にしたらよくないよなっていう意識があると見えて、それで殺されるに足る理由を付けたらなんかどっちもどっち感が出て後味が悪くなるんですよね。
だからある意味社会派ですよこの映画は。『クライモリ』のリメイクにして社会派というなかなかにわかには信じられないことなのだが…まぁでもそうとしか言いようがないからね。社会派だけどホラーとしてもしっかり真面目。直接的な人死には少ないものの若者たちが受けるまさに「暗い」仕打ちなどは具体的な描写は画面にちょっとしか映らないもののそこで何が起きているか、何をされているかを想像するとその悲惨度と不快指数は弓矢とかトラップとかで一息に殺されるよりもむしろ高い。
いやぁ…最近の映画で言えば『キャンディマン』もあのオリジナルがこうリメイク(というかリブート)されるのかという驚きがありましたけどまさかそれが『クライモリ』でも来るとは思わなかったよねぇ。ま正直に言えば軽はずみに若者が殺されていくだけの能なしスラッシャーを観たかった俺としては若干のガッカリ感というかラーメン頼んだのにホッケ定食出てきちゃったみたいなう~ん今はその気分かな~? というのもあったわけですが、でも最終的には、ここまで本気な感じでポスト・スラッシャー映画をやられたらそれはもう唸るしかないし、あのやるせないエンディングもお前らを絶対に気分良くなんかさせてやらねぇ的な作り手の真摯な悪意を感じて、よい映画でしたね。そこで出る真タイトルにも「やられた!」ってなるんだよ。
【ママー!これ買ってー!】
雰囲気的には一般的な森スラッシャーよりも森戦争映画『サザン・コンフォート』に近かったかもしれない。
クライモリのリメイクでしょ、と舐めてかかっていたらとんでもなかったので見てよかったです。これはクライモリシリーズを見ているか否かで驚きが変わると思います。
『ハッピー・デス・デイ』を上げていましたが、私は2018年の『サスペリア』を思いました。
『スイング・ステート』でも感じましたが、田舎在住者から見た都会訪問者の厭さがもりもり漂っていて、いやーな気持ちになりますね…訪問者の彼らにとっては羽目を外すハレの日ですが、地元住人には日常のノイズでしかない。
それにしても、父親の友人の登場はモリ出てる!!ずるい!!!と思わずにはいられなかったのですが、クライモリは邦題だったことに気づいて、原題に戻れば無常しかありませんでした。
道を外れたことで、もう二度と元には戻れないのだと。
前の『クライモリ』見てるとびっくりしますよね…2ぐらいまでしか見てないのでもしかしたらこの内容の萌芽もシリーズのどこかにあるのかもしれないですけど。6作ぐらいあるんですよね。森と罠でよく6作も作ったなとか思うんですが笑
原題ですが、映画サイトのトリビアによるとあれも一応正式なタイトルではあるみたいなんですけど、エンド前に出る副題がむしろ今回のメインらしくて、あの副題を推すということはどうもシリーズ構想あるっぽい。あれで終わりじゃなくて「戦いは続くぜ!」っていうことなのだとすると希望があるのか逆にないのかよくわかりませんが、ともあれ道に外れたままでは終わらなそうです。次に森に入る人は傭兵とか呼んで重武装で行ってほしいと思います(死亡フラグ)