《推定睡眠時間:30分》
水俣病のあれこれは国立水俣病総合研究センターが出してる1999年の報告書を読めばわかるっぽいがなにせ長大なのでサクっと通読するのは無理(元々は書籍でこれはそのオンライン版らしい)。その中でとりまそこだけは確認したかった箇所があって、それは全三部構成のこの映画の中では第一部でとくに大きく取り上げられている水俣病の病象と機序なのだが、映画だけ観ると何か新発見のように見える水俣病は末梢神経じゃなくて脳の特定部分がやられるんですねぇ説はこの報告書を読むと既に定説であったことがわかる(末梢神経損傷も併記)
映画に出てくる熊本大学(元)の浴野先生・二宮先生はこのへんの研究をやっていて、末梢神経損傷がなくても脳がやられていれば水俣病だろっていうのを未認定患者の水俣病認定を求める裁判で証言したりするのだが、なぜそうなるかというのは後述するとして、まぁね、舞台挨拶で監督の原一男も言っていたが水俣病というのはたいへんに複雑でむずかしい、映画には結局使わなかったが水俣病の原因を作ったチッソにも取材したものの話が難しくてついていけず…というのはある程度は韜晦かもしれないがある程度はたぶん本当にそうなんだろうと思いますよ。
原一男はニュージャーナリズム的な手法を取る人だし緻密な取材とか正確な知識に基づく分析よりも被写体と場を共有することでそのナマの空気を捉えたり半ば煽り気味に状況に介入することで生まれる変化をその作品の武器とする。だからこれは水俣病の映画というよりは原一男が現地に20年間通い続けて見てきた水俣(周辺)と水俣病の人たちの映画、という方が正しいと思った。科学的にどうとか事実関係がどうとかそういう話じゃないんだよな。そういうのを知りたければ上の国水研の報告書をとりあえず読んだ方がいいし色んなジャーナリストの仕事とかを見た方がいいわけですよ。
でも水俣病の世界は広大なので当然そこには収まりきらないものもあって、その一つは水俣病の人たちとかそのサポートをする人たちの現在。なんかね、かなり昔の話っぽいしもう終わった話っぽいじゃないですか、水俣病。だけど胎児性の患者の人なんかはまだバリバリ生きてるし、それから被害者手帳の交付を受けていない未認定患者、本人の自覚がないだけで水俣病の疑いがある潜在患者っていうのもいます。このあいだ黒い雨訴訟で原告側が勝ったってニュースがあったじゃないですか。あれは被爆の範囲をとりあえずこんな感じって当時の知見で「合理的に」定めて現在の科学的知見からすればそれは非合理的だっていうんで当時の被爆範囲の外に住んでた人の被爆が認められたって話ですよね。
水俣病も同じような問題を抱えてて、こっちはまだ水俣病の判定基準がどうも、実は、まだ、古い知見と最新の知見の間で、少なくとも法的には揺れている。昭和52年判断と呼ばれるかなり厳格な基準が最初に定められて、その時に水俣病とは認定されなかったけれどもその後の水俣病研究を受けて水俣病と認定されるようになった人もいて、じゃあ52年判断で認定されなかった人の立場はどうなるのよ、52年判断の責任をどう取るのよ、そもそも国は水俣病の判断基準を今はどこに置いているのよ? 水俣病患者に特徴的な脳の特定部位だけの損傷が見られれば52年判断時に採用された目立った症状がなくてもそれは水俣病ってことなんじゃないの?
っていうんで、だから患者認定を求める個別訴訟もある、だから様々な意味で終わってないわけです。それで浴野先生・二宮先生が活躍するわけ。
でも新しい患者が発生しているわけでもないし当の患者的にも昨日今日始まった話じゃないから終わった感もあるわけで、ジョニー・デップがユージン・スミスを演じた『MINAMATA』の水俣市での上映会で市が後援を拒否して「忘れたがっている住民もいる」みたいなコメントを出してましたけど、あれ別に市があくどい言い訳をしているとかじゃなくて市側も忘れたいし住民側も忘れたいっていうのあるんだろうなっていうのが映画を最後まで観ると分かる。で、俺はこれを東京で観たわけですが水俣とは全然関係なさそうなところの人は忘れるまでもなく水俣病なんか全然過去の出来事になってしまっているわけです。
原一男はこの映画でそういうものに抵抗しようとしたんじゃないかなぁ。6時間半の水俣日誌はどこまでも日常的なのに劇的で、なにせ20年撮ってるわけだから登場人物もそれを取り巻く状況も目まぐるしく変化してずっと面白く観ていられる。でも感情の発露を好む原一男が見せ場として持ってくる原告団と国や県との怒号飛び交う裁判後交渉の場面には表面的にはエキサイティンッさせられつつもどこか虚しさも感じる。それは最近の映画でいうと『AGANAI』という映画で感じたものと同じだった。『AGANAI』は地下鉄サリン事件被害者のさかはらあつし監督がオウム後継団体アレフの荒木浩と小旅行をする映画で、その折々でさかはら監督は荒木に謝罪を求めるわけですが、本当に謝るべき人間がいない中での代理謝罪はそれがお互いに暗い過去に区切りをつけるためのポジティブな意味合いを持っていたとしても虚しさは消えない。
『水俣曼荼羅』の行政交渉の場面で支援団体の面々がルーティンのように叫ぶ「謝れよ!」の台詞はその怒りとは裏腹に言葉だけが宙に浮く。いまさら誰が謝れるのか? 誰に謝れるのか? 何を謝れるのか? …とそのへんは実は俺はシラーっとした感じで見てしまって、非当事者の都会人ならではの傍観者的冷淡さなわけですが、でもね、そういう光景をあえて見る、見せるってやっぱ大事だなとも思います。オウムと同じで水俣病も本当の意味で終わらせる機会を日本は失ってしまったんだとわかるもんね。臭い物には蓋精神で当座しのぎ当座しのぎでやってきたから問題の根本は未解決のままで、後回しにしている内にその責任を取るべき人間は方々へ散っていく、人々もいつしか問題を忘れて怒ろうにも怒れない、追求しようにも追求しきれない、表面上は平和だからそれでもあまり困らない。たまに困る人もいる。
原一男のカメラはそういうものを見せる。終わらないものを終わらせようと必死に足掻く人たちの顔と言葉を撮る。その方法は法廷闘争でもあるし水俣病研究でもあるし日常生活を幸せに営むことでもある。人によって方法は違ってもとにかく誰もが終わらない災禍を終わらせようとはしてて、ユーモラスなシーンも多いがその姿は崇高にさえ映る。水俣病を撮った映画なのだから「これは水俣病の映画ではない」などと安易に抽象化すべきではないが、でも俺にはやっぱり日本的無責任社会と日本的問題知らんぷり術が何を生むか、どんな犠牲者を残すかっていう日本に限定して普遍的な話に思えた。直近では福一原発とか。
気が重くなるな。でも重くなってよいんでしょう。重くならないと「もうこういう日本っぽいやり方は終わらせて一つ一つの問題とちゃんと向き合っていきませんか~?」って感じにならないすからね。変な言い方だが、そういう意味では希望とかやる気とかをもらえる映画でもあるんだよ。
【ママー!これ買ってー!】
『水俣曼荼羅』はこの映画の監督、土本典昭に捧げられている。原一男曰く土本典昭が「水俣」の先発、自分は中継ぎ、いずれ抑えの監督が出てきて水俣病を映画で総括してほしいなとのこと。