全作感想『ジョン・カーペンター レトロスペクティブ2022』

感想って一応タイトルに書いちゃいましたけどぶっちゃけ映画館ではまだ『ザ・フォッグ』しか観てない。『ニューヨーク1997』と『ゼイリブ』も観に行くつもりですけどまぁでももう何回も観てるし超最高! みたいな感想にはならないよね。ふ~んみたいな。やっぱイイなぁ~ぐらいな。そんなもんだよ4Kレストア版で上映っていっても別に極端に印象の変わるような映画じゃないし…違う! そんな後ろ向きなことを言いたくてブログのエディターを開いたんじゃなかった! むしろカーペンターを囲む言説の後ろ向きっぷりに異議を唱えるために開いたんだった。

あのね世の中カーペンターを過去の人にしすぎ。こういう上映機会を作ってくれた配給会社の人には頭が下がりますけど惹句だってバックトゥ80sみたいな感じだし特集上映用に制作されたポストカードセットだってVHSデザインなんですよ。ポスターデザインもレトロ面白いのはわかる。凝ってるのもわかる。だけどカーペンター映画ってそんな懐古的に楽しむものですか? まぁ世の中的にはそうなのかもしれないが! 俺はカーペンター映画は世の中の大半が見ているよりもずっとアクチュアルだと思っているし、裏表のないB級ジャンル映画なんてことはなく非常に批評性が高いと思ってる。

まそこらへんは少し前にも文句を書いたので(→カーペンターをその愛好家から守る)詳しくはそっちを見てもらうとして! 懐古厨ホイホイにしておくにはあまりにも勿体ない! 現役バリバリでまだまだ超おもしろいカーペンター映画をどう面白いか俺なりに解説感想ドン! みんなも劇場でカーペンターの触手と握手!(※触手系のカーペンター映画は今回の特集ではやりません)

『ニューヨーク1997』(1981)

言わずと知れた、なのかなぁ? 一昔前ならボンクラ系の映画オタクの必須科目だった『ニューヨーク1997』も今では昔ほどの影響力は感じない。俺もその存在を知ったのはゲームからで、これは説明不要、『ニューヨーク1997』の主人公スネーク・プリスケンを主人公スネークのモデルにした小島秀夫の代表作『メタルギアソリッド』シリーズから。説明不要と言いつつ書きますがこのゲームは悪の巣窟に単独潜入して隠密ミッションをこなす設定も『ニューヨーク1997』からごっそり引き継いでる。

ゲームの方がステルスアクションとはいえ激しい戦闘もある内容だったのでじゃあそのオリジンたる『ニューヨーク1997』もさぞ緊張感のあるアクションが…と思って初めて『ニューヨーク1997』をビデオで観た時の感想、だるいしぬるい。何回も観た今はそうは思いませんけど、実はこれはアクション映画って感じではないんだよな。カーペンター本人が『狼よさらば』を参考にしたって言ってるようにサスペンス色が濃くて、島まるごと監獄となった無法地帯マンハッタンを歩くスリルとその世紀末ムードを楽しむ映画という感じ。

面白いけど個人的にはスネーク神話をカーペンター自らが破壊的ユーモアで爆破した続編『エスケープ・フロム・LA』の方が好きで、『ニューヨーク1997』にも続編で全開になるパロディとか社会風刺の意図は確かにあるのだけれども、スネークや監獄マンハッタンやカーペンター作曲のテーマ曲のカッコよさに目を奪われて観客に気付かれないまま今日に至っているようなところがある。なのでこれからこの映画を観る人は随所に仕込まれた静かなユーモアに着目してほしいと思ったりする。カーペンター映画って基本的にふざけてるんですよね。


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『ゼイリブ』(1988)

俺は『ゼイリブ』は最初にビデオで観た時からずっとカーペンター映画のベストに入るか入らないかぐらい好きで、何が良かったって答えを出さないところがすごく良かった。ざっくりストーリーをおさらいすると、流れの日雇い労働者が町はずれの教会で怪しいサングラスを見つけて、それをかけるとアラ不思議裸眼では人間なのにサングラス越しではエイリアン、裸眼では面白い広告なのにサングラス越しでは「買え」とか「考えるな」とかの洗脳メッセージ、なんじゃあこりゃあ! で「真実の」サングラスを手に入れた日雇い主人公ネイダはアメリカをこっそりと支配しているらしいエイリアンたちに戦いを挑む。

この映画については消費社会批判とかってずっと言われてて、特集上映のポストカードセットに入ってた寄稿文を読んだらやっぱりそういうようなことが書いてあるんですけど、俺はそれは違うと思うんですよね。違うっていうか確かにそういう面もあるんですけど、それだけにしか見えないようには作られていなくて、俺は最初にこれを観た時に相手がサングラス効果でエイリアンに見えたからっていうだけで躊躇なくショットガンで撃ち殺すネイダを狂った人だと思ったんですよ。つまりその場合これはネイダの幻覚。

だけど映画が進んでいくうちにやっぱりエイリアンは実在するように思えてきた。そうなると今度はエイリアンのメタファーを使って消費社会を風刺したSF。だけどだけどよく考えてみると、あのサングラスを作ってる人たちは町中でプラカード持って「終末は近い!」をやってる人たちだから、仮にそのサングラスに現実フィルター機能が付いているとしても信じていいかわからない。それはその人たちに都合のいいまさしく色眼鏡かもしれないし、あるいは、誰もがそれが真実だ真実だと言っているうちに本当にそれが真実らしく思えてくる陰謀論かもしれない。エイリアン派とサングラス派がテレビに映る「現実の見え方」を巡って抗争を繰り広げている時に誰が本当の「現実」を知ることができるのか?

俺はそういう映画として『ゼイリブ』を受け取って、それでカーペンターはすごいって思ったんですよね。社会を見る目が鋭いなーって。だって今でもっていうかSNSなんかで誰もが自分の「現実の見え方」に引きこもりがちな今でこそ『ゼイリブ』めちゃくちゃ刺さるじゃないですか。カーペンターは消費社会よりもむしろ情報化社会を見てたんじゃないかと思う。ホームレスのキャンプでその住民たちが暇つぶしにやることと言えばテレビを見ることぐらいで、そしてそのテレビによって人々は「現実の見え方」を与えられる。テレビをスマホに置き換えてみれば、『ゼイリブ』の批評的真価が見えるんじゃないだろうか。


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『ザ・フォッグ』(1979)

以上二本は風刺的・批評的な側面の強いカーペンター映画だったが『ザ・フォッグ』はあまりそうしたところのないストレートなホラー映画。小さな港町の建立100周年の日にうねる濃霧と共に怨霊たちがやってくる。異変に気付いた町の人間は必死に霧から逃げようとするが…。無駄のないストーリーテリングとミステリアスなムード、生き物のような濃霧の動き等々が単純に面白い怪奇映画の佳作だが、今日の観点からすればその内容に勝るとも劣らず他作品との関係が面白い。

伊東美和は『ゾンビ映画大事典』において『ザ・フォッグ』と『エル・ゾンビ』シリーズの類似性を指摘しており、『ハロウィン』でジャーロ映画をアメリカ流に翻案しスラッシャー映画の礎を気付いたカーペンターならさもありなんなのだが、顔にゴカイの張りついた幽霊ゾンビの造形などを見るに半年早く制作されたルチオ・フルチ『サンゲリア』の影響もありそうで、また逆に神出鬼没だが現れる時は明確にゾンビの肉体で現れ物理的に襲ってくる幽霊ゾンビと濃霧の描写は『ザ・フォッグ』の翌年制作・公開のフルチ『地獄の門』に影響を与えているようにも見える。

撮影順は『サンゲリア』→『ザ・フォッグ』→『地獄の門』だがそれぞれ本国公開とアメリカ(イタリア)公開時期に開きがあるため影響があったと断定することはできないが、カーペンターもフルチも作風はまったく違うとはいえ映画マニアなのであったとしてもおかしくないし、パクリパクられながら自作のオリジナリティを高めていくような密かな共犯関係がこの時期のカーペンターとフルチの間にあったと想像するとなかなかだいぶ刺激的。密かな共犯関係といえば、アメリカでは1980年2月に公開された『ザ・フォッグ』の半年後に出版されたのがスティーヴン・キングの中編小説『霧』。キングはホラー映画から材を取る作家として知られているからこれはまぁ確実に『ザ・フォッグ』を観て『霧』を書いたと言っていいんじゃないでしょうか。

その『霧』を実はコナミがゲーム化しようとしていた時期があり、これが頓挫した後オリジナルタイトルの企画へと変わって出来たのが『サイレントヒル』なのだが、濃霧の中の怪物といい灯台ステージがある点といい『サイレントヒル』には『ザ・フォッグ』の影響も色濃く見える。ところで、その続編『サイレントヒル2』にはデイヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』を主軸に様々な映画が引用・オマージュされているが、霧に包まれた墓地での会話シーンは『地獄の門』、冠水したホテル地下は『サンゲリア』『地獄の門』に続くフルチのゾンビ路線総決算的作品『ビヨンド』を思わせるところで、こちらも影響の有無は定かではないがそうだとすればなんだか夢がある。

とまぁそんなわけで『ザ・フォッグ』から広がる霧ホラーの世界。カーペンターのフィルモグラフィ中でも地味な映画だし映画史的にもとくに重要視されてない一本ですが、ゲームや小説にまで視野を広げてみればこれも結構影響力の大きいすごいカーペンター映画なのです。幽霊ゾンビは動きが人間的に過ぎてあんま怖くないすけどね。


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