《推定睡眠時間:0分》
映画が始まるとジャパニーズ・ジャーロとかなんとかいうテロップが出てゴブリンっぽい劇伴が流れ始めると共に画面いっぱいに広がるブロック壁をカメラがぐーっと横移動していく…とこのへん確かにジャーロなのであったがおおまかなストーリーとか主人公のキャラクターはジョー・スピネルの『マニアック』と『タクシードライバー』で、エンドロールの最後には「すべてのトラヴィスに捧ぐ」みたいなテロップが載るのだが、そうかー、『マニアック』で『タクシードライバー』だから合わせて『マニアック・ドライバー』なんですねー。いやそれどっちもジャーロじゃないだろ!
めちゃくちゃガッカリした。入場者特典でもらったステッカーを家まで持って帰りたくなくてわざわざ帰るときにポケットの中をガサゴソ探って劇場のゴミ箱に捨てたぐらいガッカリした。だって俺これ観たのポスターかなんかにジャーロって書いてあったからですからね。ジャーロのつもりで観に行ってこれだったらオイッてなるだろ。人死なねぇし。死ぬは死ぬけど事故死二人で他殺一人プラス一人ですよ。主人公の妄想の中でもう三人ぐらい死ぬけど。あれ結構死んでるね? ってだからそういうことじゃねぇんだよ! モノによっては形骸化していることはあってもジャーロはあくまでもミステリーなんだから殺人ミステリーを観たかったんだよ俺は!
これはですねどういう映画かというとですねどうかしているおっさんタクシードライバー木村知貴が女限定の心中相手を探していて女客を乗せては頭の中でエロ妄想&心中妄想をしていくというそのような映画で女客のみなさまがAV女優の古川いおり、佐山愛、卯水咲流、きみと歩実なのでエロイ! おっぱいがぷるんぷるん! 腰使いがぐわんぐわん! 喘ぎ声があんあん! 勃つ! 殺人主人公から逃げるときも意味もなく服を脱ぎながら逃げたりして勃つ!
いや勃つけどさそれを観たくて観に行ってないからこっちは。エロ観たかったらAV観るか成人映画館行くから。ジャパニーズ・ジャーロってあれだろ池田敏春の『死霊の罠』とか高橋伴明の『DOOR』とかだろ。そういう先例がちゃんとあるのに、それを踏まえて現代日本最新版のジャーロを模索した形跡がまったくない。日本らしさ=AVのおそろしく杜撰なゼロ年代サブカル感覚でもってソフトコアAVをなんとなくジャーロ風に味付けしてるだけで、あとはゼロ年代サブカル映画にありがちな自虐的なユーモアや意図的なチープ、内輪的な悪趣味と悪ノリが映画を覆う。要するにスシタイフーン的なものだが、それならそれでジャーロって自分で言ってるぐらいだし(そして西村映造も関わってるのだし)ゴア描写に拘ればいいのに、ゴアなんか冒頭と最後にちょっとあるぐらいなので意味がわからない。
ジャーロを名乗ってるのに全然ジャーロじゃないじゃん! という肩すかしは、これは真面目な顔してギャグをやるというたぐいの映画であるから、半ば狙ったもののようにも思える。原色照明当てたらジャーロ! の安直な発想にわかってる映画好きは笑ってねという。ははは、オモシロイナー。もういいよそういうのやるんならちゃんとやれ。この手のオタク監督のサブカル映画を観る度にため息を吐きながら思うのだが、俺が第二のタランティーノとばかりにジャンルを解体して映画で遊ぶのは結構なことだが、解体する前にそのジャンルを単なるスタイルではなくそれを通して描かれていたものは何か、というジャンルの本質を真面目に考察してほしい。絞殺…じゃない考察した上で解体しないと、本当に面白いものとか斬新なものとかできないですよ。内輪ウケの映画になるだけで。
【ママー!これ買ってー!】
これが「日本のスプラッター」として今も昔も紹介されているのがそもそも間違いで池田敏春が明確にジャーロを志向していることは『女囚さそり 殺人予告』や『XX ダブルエックス』シリーズなどを観ても明らかだ。現代日本でジャーロ映画を撮ろうとする人は日本ジャーロ史を打ち立てるところから始める必要があるかもしれない(大変だ)。
スシタイフーンって本当に苦手で…笑
あのドヤ顔で「俺達はやりたい事好きにやってやるからよぉ」なんて体を装いながら、分かってらっしゃる観客の理解を求めてる作風とか痛々しかったし…。
電人ザボーガーを観に行ったときとか、何コレやっぱり全然面白くない、片腕マシンガールの方が面白いくらいじゃん…とか思ってたら、やはり周囲の分かってらっしゃるお客様達がわざとらしくゲラゲラ笑ってらっしゃった空気とか今思い返してもあぁ苦手だったわあ…笑
三池崇史って偉いし凄いよ、殺し屋1って誠実な映画だったなだとか、スシタイフーンが僕を三池好きにさせてくれた記憶もありますが笑
池田敏春さんは猟奇の人だと思っていて。石井隆が原作や脚本の作品でもXXでも、もちろん人魚伝説も湯殿山麓も、あの人が撮るとかなり怖い!そして凄まじくエロい!単にゴブリン的サウンドが鳴り響くからとかそんな安直な意味ではなく、死霊の罠がジャーロだという理由はそんなとこにもあったりするのでしょうか。僕自身もずっと死霊の罠はスプラッターだとおもっていたので汗
マニアックドライバー全く関係ない話ですね笑…失礼しました
それなんですよ!客に甘えてるんですよね、スシタイフーンみたいなサブカル映画は。三池崇史はその逆でどの映画でも誠実に自分が監督としてできることをやっていて、客のすり寄りを乞うようなみっともないことはしないから、ネタ的には同じようなキワモノ映画に見えても全然作品としての強さが違う…と思います。
池田敏春監督の本質的なところは個人的にはロマン主義だと思ってるんですよ。石井隆との対比は分かりやすくて、石井隆は論理と人工物、池田敏春は情緒と自然物を志向するんですが、その違いは女性と水のイメージに最も明瞭に表れていて、石井隆の世界では水は居場所のない女の上に冷たく降り注ぎそこに足を踏み入れると死がもたらされる風呂にあり、池田敏春の世界では水は居場所のない女の帰るべき海であり、都市の中で乾燥した女に超自然的な力を付与する恵みの雨です。自然の力が都市のコンクリートを打ち砕くと本気で信じてるのが池田敏春なんですよね。
アルジェントとかバーヴァはとくにそうですがジャーロ監督って神秘主義とかロマン主義的な志向の強い人が多いので、池田敏春はジャーロのそこに共鳴したのかなと思います。
三池監督は全く客の理解を求めないですよねえ笑
だからポカンとする映画もある一方、(というか大半の映画はポカンとしてしまうが)どんな傑作でも佳作でもクソ映画でも、三池印の面白さを刻印してるのは流石だと思ってしまいます。
風呂と海というのはまさに!
同じ水でもその意味の違いはお二人の作中の表現に完全に重なりますね。
殺戮の果てに海に還って行く女性というのは池田敏春作品で何度か観た印象が。
石井隆の雨に打たれる女が何故風呂場で人を殺めるのかはそこにシャワーがあり、浴槽は地獄の門なのでしょうか。
石井隆&池田敏春ってのは僕のなかでは志向(嗜好)するものが近いが故にコンビを組むと純度の高いそれが顕在した、と思っていたのですが…(実際、天使のはらわたでは赤い淫画が最もドぎつくも感動的な作品だと思ってる)お二人は意外と違う世界を見ていたのですかね。
今後もブログを読ませてもらいます、知識量、情報量に脱帽しております!
楽しみにしてます!
石井隆&池田敏春はモチーフは共有していてもそのモチーフを使って描き出そうとする思想が真逆で、だからこその名コンビだったんじゃないかなぁとか思ってます。気楽な感じで書いてますのでよろしければ気楽にお付き合いください笑