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気が重いよ。これから99%この映画に否定的な感想文を書きますけど本当は面白い映画の面白い感想を書きたいですからね俺だって。そりゃダメな映画の方がイイ映画よりもツッコミどころは多いわけだから文章量も多くはなるけれども楽しんでは書いてないですから。でしかも、しかもだ! まぁそこらへんは見てないから実際どうかは知らないが十中八九各種映画レビューサイトで大好評に決まってる。五点満点のところなら平均点4.1ってところじゃないすかね。もうねわかるんですよ俺だって伊達にネット廃人じゃないですから。こういうセンセーショナルな題材の邦画はいつもそうだ。他人の好きにケチをつける気はないが、しかしそう考えると実に気が重くなるのは、結局のところ現在の邦画ビジネスは他作品との冷静な比較ができずまたする必要も感じないアイドルファンにも似た信者的観客をどう作るかということに売る側のみならず作り手の側の関心も移ってしまっていて映画作家としてどう誠実に題材に向き合うかとか映像作品としてどう完成度を追求するかといった曲がりなりにも芸術家としての精神などさっさと資本主義に売り払ってしまい単なる商売人としてクソみたいな映画をさらけ出しても恥を感じることさえできないほどに作り手の側もそしてそれをおかしく思わない信者的観客の側も、徹底的に消費社会に適応していることを、その経済の論理に骨まで浸かっていることを、批判的精神のジェノサイドの上に建設されたまったく健全なる全体主義的映画市場を、目の当たりにさせられるからなのだ。こんなものはナチスと同じだぐらいに言いたくなるがいやいいよもうだいぶ悪く言ったよだいぶ悪く勢いで書いちゃったからすいませんごめんねこの映画に関わった人とこの映画を好きな人!
本当にもう嫌な映画でしたよ! 胸糞悪いって意味じゃなくていや胸糞悪いけどストーリーが胸糞悪いってんじゃなくてたとえばですね主人公の女子中学生ちゃんの親父(佐藤二朗)が忽然と姿を消したってんでその身を案じた学校の先生が謎のシスターを連れてきてこの人があなたを保護してくれますよとか言うのに主人公ちゃんがお前んとこなんか行くかってツバをぺッて顔に吐きかけて客席そこそこの笑いっていうね。こんなのはもうめちゃくちゃ嫌だよな。わかりますかね? まず第一に、あまりにも記号的なキャラクターである。この謎のシスターが何者でどういう施設をどういう資格で運営しているのかはたった一言の台詞でさえ描写されないので一切不明だ。この謎シスターが表象するものは「キリスト教の人間は信じられない」というなんとなくの世間的差別意識でしかない。そうでなければ客が笑えるはずはないのだし、そしてここに笑いを誘う演出を施している監督もその意識を明らかに共有しているのである。
突然保護者の消えた中学生女子の身を案じて何が悪いのだろう。これが慈善事業だとすればそうした事業に身を投じる善意の人間をたかだか映画監督ごときであるとかたかだか映画の観客ごときがどうして笑えるのだろう。あのですね、俺が言ってんのは笑うなってことじゃなくて、そういう展開を作ってそういうキャラクターを出すならその背景とか前後をちゃんと描かないとドラマとしてダメでしょうということを言ってるんだよ。それが嫌なところの第二で、たとえば俺ならこのシーンはもう一つ短いシーンを加えてこんな風に書き換える。主人公ちゃんは一度はシスターの申し出を受け入れて施設に見学に行くもののそこで児童を厳しく叱責するシスターとシスターを恐れる児童たちの目を見て自分には合わなそうだと感じて黙ってその場を去る…ほら、これだけでだいぶドラマに奥行きが出るし、あのシスターだって単に記号的な笑わせ役のキャラにはならないじゃないですか。それをやらないのは監督の怠慢かもしくは市井の差別感情を利用したシーン単位の笑いを優先することで映画全体の調和や物語の整合性など度外視する下品さの表れであるし、そこに少しの批判も向けられないのだとしたらそんな観客はバカだと言われても仕方が無い。言ってるのは俺ぐらいだけどな!
もうとにかくね、全編こんな調子。端的に言うなら記号キャラとご都合主義の山。リアリティなんかあったもんじゃないし人間に対する洞察もない。それだけでも嫌なのに台詞と台詞の間を作らない演出はただ俳優たちが書かれた台詞を投げ合っている印象を与えるだけでキャラクターに生命を吹き込まない。全体は四つのパートに分かれるがそれぞれのパートは他のパートと有機的な連関を持たずにただ一つの出来事を様々な視点から見せていくだけで、単に客に刺激を与える以外の機能は何ら有さない。まったく無意味でその作劇の稚拙さには目を覆いたくなる。こんな質の低い喜劇にもならない低俗サスペンスを新鋭監督の衝撃作だなんだと持ち上げる批評家連中は自分の胸に批評家としての魂がまだ残ってるか確認したほうがよい。インディージョーンズのあれみたいな感じで心臓ごと狭い狭いガラパゴス邦画業界に抜かれてるかもしれないだろっ!
加えてほとんど許しがたいほどに呆れてしまうのは…いいよ、わかった、じゃあネタバレはしませんよ。こんだけ悪く書いた上にネタバレするほど俺もインターネットのクズには染まりきれてない。ネタバレはしませんがこの映画はここ数年のうちに日本で起きた三つの猟奇事件をモチーフにして一つにミックスしてます。猟奇事件を三つもミックスするぐらいだからさぞやそれぞれの事件に監督だか脚本家だかは関心がおありなのでしょうと思いきや、びっくりするほど事件の表面をなぞるだけでその事件が意味するものや事件を通して浮かび上がるものなど皆無。単に話題性のためだけにやっているとしか考えられずいっそ悪質なほどだ。あぁ、そうだった、しかもこれはある種の難病映画でもあるのだった…難病映画とか難病キラキラ映画をよく観る俺だからこれは言っても良いだろう、この映画どんな難病キラキラ映画よりも難病に対する向き合い方が雑でそれにも関わらず! 関わらず一丁前に社会的な問題提起をしたつもりでいやがる…!
いいよもう。いんじゃないの。あれだろたぶん韓国ノワールとか大好きな監督がそれっぽいものを日本でも作りたかったんだろどうせ。西成の路地裏を駆け回る『チェイサー』みたいなシーンもあったよ。日本で『チェイサー』やるなら西成だよねの発想がまぁたヒドいけどまぁいいや、いい。こういうの好きな人はいいんじゃないっすか。はいおもしろかったですよおもしろかったで~すうっそ~。
【ママー!これ買ってー!】
同じ監督のこの前作も俺は嫌いな映画だが世間の評価は不当に高いそうで。リンク貼って宣伝しますからまぁそれぐらい書かせてくださいや。映画館で観た時の感想も一応リンク置いとく→貧困映画『岬の兄妹』を見た感想
こんにちは。
あー、〝韓国ノワール〟、ナルホド。
『岬の兄妹』の監督だ、と観に行きましたが、私には少し残念でした。前作の、題材の衝撃と映画そのものの端正な作りのバランスがすごく良かったのに、今作は、いろんなアイテムがとっ散らかってらように感じました。時系列のパズルは面白かったけど、確かに、卓球場での父と名無しのシーンで、娘が学校から帰ってくるを今か今かと待って見てました笑
でも、前作では兄が妹を、今作では夫が妻を(身体的に)ケアする、あの一連のシーンにはグッとくるんだなぁ。カントクの心根の優しさかと思ってしまう…
しばらく白いソックスは履けないかもしれない。
野心作だとは思うんですけど、ちょっとあれもこれもと欲張りすぎて無理が出てしまった映画のように思います。佐藤二朗と妻のシークエンスは良かったので、あそこはもっと丁寧にじっくり描いて欲しかったですよ。それだけでだいぶ印象も違ったと思います。どうも軽薄な気がしてしまって…
ここまでのべつまくなしに悪口かけるのも才能ですね。登場人物全員枝葉末節に至るキャラまで前後関係のストーリーを全て書くのは不可能だと思いますが…。役者の演技は見事だと感じました。
全て書くのは不可能なので、どこか一箇所をさり気ない形で強調して背景を想像させるっていうのがあくまでも俺の考える映画の巧い作り方なんですけど、この映画はそういうところが見えなくて、なんかハリボテっぽく見えたんですよ。重箱ですけど…たとえば、犯人の特徴が「ツメを噛む」なら、それはもっと自然な形で芝居に組み込んだ方がいいんじゃないかと思っていて、これは登場して即座に正面を向いて噛んでいたので、それは記号的な扱いじゃない? みたいな…。面白い映画だとは思います。
はじめまして。超同意です。観ながらめちゃくちゃ舌打ちしたくなるくらい最悪でした。
この監督は”刺激的”であることしか頭になく、そのために無駄な性的要素を取り入れて無駄に女を裸にひん剥いて、貧困も病気も障害も実際に起きた事件もそんな”刺激”を与えるためのものとしか捉えていないのだと感じました。
中身もすっからかんでどう考えてもこの監督に社会問題や生き死にを扱う力量はないし、真面目に扱うつもりもないのだと思いました。難病患者の扱いも本当に記号すぎて怒りしかないです。不誠実の極み。
あと、性が絡むことについてのセンスも最悪でドン引きでした。
ネタバレにならなそうな一例を挙げさせていただくと、頼み事をした主人公に同級生の男の子が「おっぱい見せてくれるならいいよ」と言い、しぶしぶ胸を見せる主人公を見て同級生が鼻血を出すシーン。
これ今この時代になって面白いと思ってやってるの絶句します。全てつまらないしおっさんのセクハラに俳優巻き込むな、としか思えませんでした。
俳優は脚本を読んでお芝居をしているわけですから同意なしにアドリブ強要とかでもない限りセクハラとは言わないと思いますが、それはともかく市井のおっさんの感覚で作られた映画だな~とか思いました。物事の捉え方が写真週刊誌的っていうか。そういうものに一般客が飛びつくのはまぁそういうものだと思うので(評価高いみたいなんで)、せめて映画批評家はこの映画のダメなところをちゃんと言葉にして欲しいな~とか思ってます。映画雑誌とか読まないので批評家の反応とか知らないんですが。
セクハラについては、同級生が主人公へ胸を見せろと要求する行為を指しており、そのセクハラを演じさせることで俳優を巻き込むな、という意味でした。
自分は映画に詳しいわけでもない本当にただの一般客なのですが、本作はあまり大きな劇場では上映されていないこともあり、映画をわりと観ている人々が観に来ているのかなと思っていたので、それでもこの高評価なのかと驚いています。
そのなかで低評価のレビューを見つけてついついコメントしてしまったのですが、もし表現等の問題がありましたらコメント削除いただいても全く差し支えございませんので(_ _)
ご返信ありがとうございました。
何も問題ないですよ。気にしないでください。単に思ったことを書いただけなので気を悪くしたとかそういうことじゃないです。この感想もそうで思ったことをそのまま書いただけで、普通の感覚で見りゃこれぐらいの不満出るだろ!?って俺としては思うので、ちょっと映画好きのみなさんは小規模邦画を甘やかし過ぎなんじゃないですかね〜とは思います。どう考えても少なくとも脚本は良く出来た映画とは言えませんよ。
ほぼほぼ同感ですw ただただ本が薄いw 監督の自己満に巻き込まれた演者やスタッフがすげー頑張ってるのが見えてかわいそうでした。この監督はもういっそのこと開き直ってドタバタコメディ路線に切り替えたら結構イケるんじゃないだろうか。力技で劇場作品に仕立て上げる頑張り屋さんだから。
それ良いじゃないですか! 下町人情ドタバタ喜劇みたいのをやったらこの監督はすげぇ面白いもの撮ると思いますよ!
見終わった後、展開の速さ、伏線回収したような気配に「面白かった?気がする?」とふんわりした感想で終わったのですが、あとから考えるほど私の苦手な映画だと思い、つい感想をコメントさせていただきます。
おっしゃるとおりの笑いの取り方も、実在の事件(決して解決ずみとは言えない)を下敷きにしたモチーフへの掘り下げ、ともに浅く、刺激的っぽい箇所をさらっと継ぎ接ぎした映画だと思いました。特に後者、”今””ここ”にある問題に対して当事者意識のない、他人ごととしての目線を感じました。「たかが映画なんだから、頭空っぽにして愉しめばいいのに」と、作り手は無邪気ぶっているのかもしれませんが、映画の可能性にも、だからこそ発生する社会的責任にも誠実に向き合っているようにみえない作り手の姿勢は、客の知性も自身の知性もネグレクトしていて幼稚に見えます。(あと、かなり重要な要素である「貧困」が本当にどの程度のものなのかがわからず、そこがわからなかったら説得力がないのでは…。)
この映画を見て、私は映画に「意外な伏線回収」「刺激」をのみ求めているのではないということが分かり、その意味ではとても良い映画でした。
コメント読んでて俺も「そうか!」って思ったんですけど、これ伏線を回収「したような気配」を見せるのがたぶん上手い映画なんですよね。よく考えればそんな大したことはやってないっていうか、それを伏線にしたところでなんなのみたいな感じもあるんですけど、でも大袈裟な構成と演出で大したことをやっているように見える。貧困設定も生活の描写がないので全然説得力はないですけど、万引きした父を迎えに娘が必死で走る場面をゲリラ撮影で撮ってるからそれっぽいムードだけは出るんですよね。そういう映画なのかなって思います。
今日見に行って、後味の悪さと、なんつうか雑に、あらゆる人物が雑に表現されていることに胃のあたりがもやもやする感じを抱えて、どこ探しても賞賛コメントの嵐でマジかよーと思っていたところここに辿り着いて、心から安堵しております。ウエストサイドストーリー見に行けばよかったと思っちゃった。俳優陣の素晴らしさがなおのこと虚しさを助長するというか。
この記事のタイトルがそのものずばりと思いました。監督なにがしたいん?
役者の人はみんな巧かったですし結構身体を張ったこともやっていて熱演だったので、それを記号的にしか使わないのは本当もったいないなーと思いました。たぶん作ってる方は観客を飽きさせないように飽きさせないようにと思ってこういう作りにしてるんだと思いますが、逆にその作りのせいで個人的には白けてしまいましたねえ
シスターの件。シスターは至極まともな事を言っていて、娘はあの時はつばを吐いて「あっち側」に行きかけたけど、ラストでシスターの言うとおり行動している。
「あっち側」「こっち側」「境界線」の描写がひっきりなしに出てくる。
例えばピンポン玉。最後ラリーの玉が消えて?ネットがアップになる。
キリスト教差別と受けとる意味がわからない。笑いを誘う演出なんかしておらず、笑った客側のセンスの問題かと。
ポンジュノの助監督?だったから影響はあるでしょう。
キリスト教差別じゃなくて「宗教はいかがわしい」っていう雑な認識=無意識的な差別心のこと。大体なんであの人はいきなり駅に来るんだろう。どうやって主人公があそこに来ることを知ったんですか?
そこにその物語の中で伝えるべき何かがあるなら普通(ひとつのシーンにするかはともかく)映画内の他の要素との連関を意識するので、普通に見ればあれは大した意味のないネタという他ないし、その意図がなくそう見える(観客にそう受け取られる)としたらそれは単純に下手なのです。
日本映画のとくにメジャーな映画だとメタファーであるとかアレゴリーというのはあまり見られず、それであなたが仰るようにそれらが頻出するこの映画が評価されるのもわかるのですが、アレゴリーがあればロジックはいらないということにはなりません。ポン・ジュノの映画とかはそれを両立させているからすごいのであって、ジュノに学んだ結果がこれなら誇れることではないと思います。
先ずひっかかるとこそこ?って感じです。貴方は宗教に特別な意識持ちすぎじゃないですか。世間的差別意識があるという前提で話してる。でもアンタッチャブルな存在でもないですけどね。だから笑う客がいるのもその人の自由。
あれは区役所の相談員でもよかったんだと思いますよ(そしたら公務員差別になるんかな)。
善意の人間に対してまでつっかかる精神状態を描いたまでで。なんでなんの前振りなくシスターなんだ!とかどーでもいい笑。実は怖いシスターであるとかの描写もそれこそ誰かさんが差別だ!と騒ぎそうだから必要ない。
大阪の下町は教会がやたら多いので、身近だからシスターにしたのかしれませんが。
知らんけど。
意味も無くなんとなく面白いからぐらいの理由でキャラクターの特性をシナリオに書いてるんだとしたらその脚本家は三流じゃないですかね。三流には三流の面白さがあるとは思いますけど一流の面白さとは違うでしょ。こんな程度の映画を一流扱いして持ち上げてる審美眼のない人が大勢いてうんざりしたので俺の思うところを書いただけですよ。
>実は怖いシスターであるとかの描写もそれこそ誰かさんが差別だ!と騒ぎそう
誰かさんで誰ですか。そういうことははっきりさせないといけない。俺が言ってる市井の差別意識ってそういう雑な認識なんですよ。「誰かさん」を具体的には名指しできないけど「なんとなく」文句を言ってくる人がいそう、みたいな浅薄さと、その浅薄さを恥とも思わぬ厚顔無恥。あぁこんな人がこの映画を支持してるわけですね。俺の直感的忌避感はやっぱり正しかったじゃないか。ますますこの映画と作り手が嫌いになりましたよ。
マジレスされてますが誰かさんて貴方のことですよ。文脈からわかるでしょ笑
聞きますけど、叱責するシスターの描写を加えたら奥行きが出るんだ?尺の無駄だと思います。
面白いから?少なくとも自分が観た回は笑いは起きなかったし、自分は彼女の行動に若干引きましたけどね。ここで重要なのはつばを吐く対象でななく、壊れかけてる彼女のほうでしょう。
吐く対象について。区役所の相談員だと、いきなり登場しても見た目が普通の人だから説明が必要。
シスターの格好した人なら説明がいらない。シスター=善意の人だから。そのまま良い意味で記号として使ってる。監督なら説明が必要ないほうを選ぶ。それ以上意図してないと思いますが。
「キリスト教の人間は信用できない」って考え初めて聞きましたけど。気づいてないけど妙な差別意識を持っているのは貴方でしょ。
観る側が誤解した事を100パー監督の力量のせいにする姿勢も異常。知らんがなって話ですよ。
100歩譲ってムカつくべきは笑った客に対してじゃないですか。笑うのも自由ですけど。
一流とか三流とかどうでもよい。良くも悪くも心に残るものであればいい。
どうでもいいんなら三流と書いたことにそんな目くじらを立てることもないんじゃないですかねぇ。
そのままお返ししますわ。
シスターがどうとか目くじら立てることもないんじゃないですかね。
そのままお返される意味がわかんないですよ!だってここ俺のブログなんですよ?俺が自分の金で映画を観て自分で思ったことを書く場なんだから、どこに目くじらを立てようがそんなものは俺の勝手じゃないですか…。
対して、俺が「目くじらを立てることもない」と言っているのはあなたが自分で「一流とか三流とかどうでもよい」と書いているから、なら俺がここでどんだけ映画を貶そうが別にいいじゃないですかという意味で。
この2つの「目くじらを立てることない」は明らかに対称ではないですよ。思考がガサツだなぁもう。
シスターのシーンは僕も「親に捨てられた中学生が善意の第三者に唾を吐くまで精神的に追い詰められている」という意図のシーンかと思いました。
捉え方は人それぞれですね。
それはわかるんですけど、その心情を見せるためのシーンとしてはいささか記号的に過ぎて稚拙なんじゃないのって思うんですよ
記号的ってなに?
役者の芝居の細部を捉えたり、ときに逸脱的なキャラクターの心の機微を捉えることよりも、シナリオやそのシーン内での登場人物の立ち位置が要請する台詞や行動を優先することを、俺は記号的と呼んでます
『さがす』については僕もイマイチ乗り切れませんでした。
『岬の兄妹』の監督ということで、期待して観たのですが、主題のための展開というよりも展開のための展開を塗り重ねていっているようで戯作的な面白さはあっても現実に戻ってきた時に何も世界の見方が変わった気がしない、そんな印象でした。
また、特にキリスト教のシスターに対して主人公が唾を吐くシーンですが、さわださんの指摘はすごく納得感があります。僕も初見時は笑ってしまったクチなので偉そうなことは言えませんが、たしかにあれは記号的であり、その記号的な場面で笑ってしまう自分というのは普段どれだけ惰性的に世界をみているのだろうかと思いました。
今の日本映画、特にシネコンで掛けられるようなメジャー映画(それはそれで病的ですが)ではなく、どちらかといえばミニシアターで掛けられるようなインディペンデントな映画には共通の病理があって、とりあえず反権威的で社会や組織の論理ではなく個人に対する眼差しに溢れていさえすれば、その表現の巧拙には関係なくひとまず受け入れられるという空気があるように感じます。
ミニシアター向け邦画の病理、なんかわかります。そっちはそっちで型にはまっているんですよね。これは作り手もそうですし観客もそうで、結局シネコンとは別の極でエコーチェンバーが出来上がってしまっているから、主題選択やその見せ方に関して批判的な眼差しが入らない。これは皮肉なことですがその意味では観客と作り手の距離がミニシアターよりも遠いシネコン向けの邦画の方が、観客の批判に晒されやすいために、少なくとも映画作品としてのポテンシャルはあったりする(大抵は観客というよりも出資者の批判を回避するために穏便な題材や表現に収束してしまって、結果的に同じような映画ばかりになるわけですけれども)
『さがす』も娯楽映画と割り切って観れば全然悪い映画ではないと思うんですけど、ただその場合でもそれなりの批判はあって然るべきだと思います。俺の場合は批判っていうか絶賛一色のムードが気持ち悪かったので水を差すための悪口みたいな感じですが…。
初めまして、初見だとここまで思ってなかったですが感想に納得です
私は他のコメント者さんもいってた部分、要らん女性の性的な部分がひっかかりました。被害者の裸におっぱい強要、何の意味もなかったなぁ。
犯人がズボンおろされた所、ミッドサマーよろしくフルチンで走るシーンでもあったら成程!って思ったけど。笑
シスターのシーン、電車を降りて急に先生がいるから、実は犯人か何かかと思ったら理由何もなくて笑いました。シスターも。あのシーン要りましたかね?先生役の役者さん頑張ってるのに、なんか存在の意味も何もなくて可哀想になりました
ムクドリも役者さんのおかげでいいキャラしてそうなのに、そのへんの漫画にいそうな「本当に(本当にってなんだよ)死にたがってる女性」ってそれだけでペラペラな感じ。例えるなら「鬱は甘え!だけどこの子は本当に鬱なんです」みたいな。な~んかイラつく感じのニュアンスを感じた。裸にひん剥かれてた被害者もただの舞台装置。
謎解きを楽しめるのかと思いきや、娘さんがなぜ気づいたか?って一番オチになりそうな点はハッキリとしないし、面、白…んん?って映画でした
おっぱい見せては本当に意味なかったですね。私はそんなに気にはならず「なんか昭和っぽいけどその後で男の子が女の子と一緒に捜査を初めて衝突しながらだんだん相互理解を深めていく展開になるんだろうな」とか思ってたんですが、その後で男の子ぜんぜん出てこなくなっちゃうっていう。あれも、そういう昭和的にベタな場面がやりたかったっていう以外の狙いはなかったんでしょう。死にたい女も「闇金ウシジマくん」みたいな露悪系の青年漫画から抜け出してきたみたいなキャラで、いろんなものをパッチワークしてるだけで一本筋の通った作者の思想とか哲学みたいなもののない、ちょっと薄っぺらい映画だなぁとか思いました。