《推定睡眠時間:10分》
のび太ほかがスネ夫の家で自主特撮映画を撮っていると空中に丸い影が意味深げに現れてまぁ誰だかわからない人はいないと思うがのび太がその影を見上げると「ドラえもん!」というタイトルコールなのだがドラえもんの登場をこんなに仰々しく描くことは普通の映画ドラえもんならないと思うのでおそらくこれは新コロ蔓延に伴う公開延期を受けて急遽付けたされた追撮シーンだろう。このカットに「待たせたね! やっと映画館でドラえもんに会えるよ!」の意味合いを持たせた予告編というのも確か映画館で流れていた。タイトルバックはこれに続いてドラえもんの道具(クロマキーセット)で自主映画の撮影をする場面だがもしかするとこれも再編集の結果で元々はタイトルバック用の場面ではなかったのかもしれない。
テレビ版のドラえもんを観ていない俺にとっては一年越しのドラえもん鑑賞になったわけだがぶっちゃけ申せばとくに期待とかはしていなかったのでこれといった感慨もない。最初の予告編でテーマ曲が武田鉄矢の『少年期』ないしそのカバーではないと知った瞬間「あぁ、これは違うな」と思った。オリジナルの『宇宙小戦争』といえば『少年期』の映画といっても過言ではない。ピリカ星のレジスタンスの隠れ家で疲れ切った男たちの一人がおもむろに歌い出すだけではなく全編に渡って様々なインストアレンジが流れ、作品のトーンを決定づけているのが『少年期』なのであるから、それを抜きにした『宇宙小戦争』なんかいくらオリジナル版とそれに慣れ親しんだ親世代に目配りしたところで別物だろう。
だから別物として割り切って楽しもうとは予告編を映画館で観たときから思っていた。別物として観れば結構おもしろい映画ドラえもんなんじゃないかと思う。旧『宇宙小戦争』からの変更点としてはざっくり言えばアクション的な見せ場が増えた。旧ではそれほど多くはなかった戦闘機の活躍が増えてその演出も今風にスピーディ、光線の飛び交う交戦風景はちょっとした某ガンダム感もないでもない。潜入シークエンスが追加されたことでドラえもんたちの能動的なアクション見せ場が後半にも入ってくる。旧の後半は戦争状況に非主体的に流されつつも必死で抵抗するみたいな感じだったので、それでは今のアニメ映画として淡泊すぎるという判断だろう。旧にはないピリカ星の亡命大統領パピくんの活躍シーンも見所のひとつ。
いろいろ付け足しているがその分ひとつひとつのシーンや描写を短くしているので上映時間は新旧ほとんど変わらない。アクションの見所が増えてテンポが増してこれ見よがしの感動台詞も用意されているので軽い感じで観れば満足度の高い映画ドラえもんではないかと思う。
まぁでもねそんな軽い感じにしてくれるなよ『宇宙小戦争』をとは思います。いろいろ言いたいことはあるがその核心部分を抽出すればこの新『宇宙小戦争』には戦争の痛みがない。旧はちゃんと痛みがあって、武田鉄矢の『少年期』がリフレインされるのもその痛みの表現なのだと思ってる。痛ましいでしょ、軍事独裁政権に対する勝ち目のない抵抗を続けて地下水道にこもってるレジスタンスがアコギで子供時代の記憶を歌うんだよ。その傍らでは別のレジスタンスが泥のように眠っているのか休んでいるのか、ともかく歌なんか聴いちゃいない、そんな余裕はありゃしない。
あるいは敵襲を恐れてスネ夫が倉庫に隠れる場面。「勝てるわけないよ!」と泣きながら訴えるスネ夫をしずかちゃんが涙を浮かべながら黙って見つめるほんの数秒の「間」は、百の言葉よりも雄弁に戦争の恐怖も痛みも物語る。同じシーンは新にもあるが新にはこの「間」がない。市民が蜂起する場面も旧ではただ無言の人間の壁として将軍の行く手に立ちはだかるだけだが、新ではモブ市民にいくつかの台詞が与えられ旧よりもずっと派手に勇ましく行動する。どちらに説得力があったかと言えば俺は前者だと思う。内紛で傷ついて軍事独裁政権に怯える大衆に革命的行動の原動力など残っているだろうか?
旧はジャイアンばりのバイオレンスで要約すれば戦争ごっこをしていた子供たちが本物の戦争に巻き込まれてその傷みを知りつつちょっとだけ人間として成長する物語ということになる。エンディングには再びピリカ星を訪れることを約束したのび太たちが戦争で破壊された街の再建を手伝う場面が描かれる。これはいずれも新では省かれた。前者に関してはプロットには残っているのだが旧で痛みと成長を体現していたスネ夫周りのシーンや描写が短縮・削除されたのでほとんど意味を成さなくなっている。要するに、新『宇宙小戦争』では戦争(を戦う正義の側)の気持ちよさとカッコよさが強調される一方で戦争の痛みは見えなくなったのである。
さぁどうでしょうこれは。まぁいいんじゃないすかこういうのもと大人なので思いますが軽快な宇宙戦争がやりたいなら素直にSFアクションの『宇宙漂流記』リメイクをやってくれたらよかったのにねぇとも思います。ぶっちゃけて言えば新で追加された要素はどれも俺には蛇足に感じられた。パピくんに姉がいる設定なんか女キャラ増やさないとポリコレ的にまずいでしょ的な不真面目さすら感じてしまい…だって別に女性キャラを増やしたいなら新規キャラを作らないでも亡命政府軍のリーダーの性別を女にするとかでいいわけですから。でもそれをしないのは旧のフォーマットを崩したくなかったからなわけでしょ、旧を知ってる親世代とかアニメオタクを意識して。
だから旧のキャラデザやシナリオは根本的には変えないでこれはあくまでも『宇宙小戦争』なんですよと言い訳をしながらその上にゴテゴテ色々盛り付ける。盛り付けた分だけ旧にあった余白を削り取って帳尻を合わせる、その結果として戦争の痛みという旧の根幹が揺らいでしまった。こんなリメイクってなんか意味あります? 商売的に売りやすいって以外に。いいよ、わかってた、そんな映画だろうと思ってたからいいんだよ。いいけど…だから俺は『新恐竜』のエンドロール後次回予告を観た時から『宇宙漂流記』をやって欲しいって言ってたんだよ!
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やっぱ戦争を銃後とはいえ経験してる人が描く戦争ものは重みが違うっていうのあると思うんですよ。
俺の言うことなんか誰も聞いてないんじゃない?と思いました。
よくわかりませんがたぶん誰かは聞いてると思います!