《推定睡眠時間:0分》
これ一年くらい前に公開されて見逃してた映画ですけどなんかリバイバル上映がやっててチラシを見たら作品の性質上ソフト化と配信の予定がないっていうんでじゃあ映画館で観るしかないじゃんと足を運んだわけですけれどもいやもう最初の方ね帰りたさがすごかったよ。どっかの中二クラス約30人の一学期(三学期)を撮りに撮りまくった学校ドキュメンタリーとくればフレデリック・ワイズマン『高校』やニコラ・フィリベール『ぼくの好きな先生』が好きな俺のストライクゾーンを外すわけがないと思ったのにこの帰りたさは完全に想定外だったね。
映画は仔馬の出産から始まる。この馬の群れは野生なのか遊牧なのか知らないが人の姿は周囲に見当たらず野原を見た感じ好きにほっつき歩いてる。どうも取材先の学校とは関係のないイメージ映像のようなものらしく、子供は大人になっていきます的な感じのYOUのナレーションが被さるわけだが、なにこれ? 意図はわかるけどこのセンスはなに? 俺は大人だから辛抱強く待ったよ、このイメージ先行の編集とラブ&ピース感はきっと最初だけで本題であるところの学校パートに入ればちゃんと歯ごたえのあるドキュメンタリーになってくれるんだろうなと。
ならなかったよ。どう形容したらいいかな。ACの広告ドラマみたいなっていうか。素材はしっかり撮ってあるんです学校だけじゃなくて各家庭にも入ってって不登校の生徒のインタビューもできてる。その素材の壊しっぷりよ。せっかく子供たちの一学期をつぶさに捉えたのにそれをどう使うかと言ったら面白いショットだけ文脈を作らず断片的に繋いで軽薄なだっせぇ音楽を乗せていくっていうね。それが約二時間ずっと。こんなの目も耳も疑う。全編がACの広告ドラマ的人間ドラマダイジェストでそこには「みんな悩みがあるんだね」とか「友達っていいね」みたいな一般的なメッセージ以外のもの、つまりは被写体個人のその人にしかない固有の人間的面白さ、その人たちに固有の関係や状況の面白さといったものはほとんど残されていない。
いやいや、だったらなんでドキュメンタリーなんて撮ろうと思ったんすか…ガキどもはお前のだっせぇセンスを見せつけるための道具じゃねぇんだぞ。そりゃガキどもも教師保護者も納得済みでこういう映画になってるんでしょうしこれはこれで本人たちも楽しんでるんだとしたらそれでいいですけどドキュメンタリー映画としてはさぁ、本当にさぁ、なんでこんなに面白い撮影素材があるのにわざわざそれを台無しにするようなことをするのってもう…だからすげぇ帰りたかったですよ観ながら。頭に『高校』とか『ぼくの好きな先生』を浮かべて観に行ったこっちが悪いってのもあるけどさぁ…(この二本は『14歳の栞』みたいな小手先の誤魔化し編集&BGMなんかには頼らずガキどもの豊かな生をしっかりと捉えていたのだ)
までも中二の一クラスを一学期撮り続けて面白くならないわけがないのでつまらないか面白いかで言ったら面白かった。14歳だよねぇ。よく大人と子供の間みたいなこと言いますけどその大人化の度合いとか方向性がみんな違うんだよな。
このクラスはスポーツ系の部活に入ってる人が多いんですけどその中でも競技としてスポーツにずっと打ち込んできた人っていうのはやっぱ大人っぽいところがある。14歳ともなれば自分がどの程度の能力を持っていて今後どの程度のことができるかってそれが間違っていることは往々にしてあるとしても予感めいたものぐらいはあるわけで、とくに競技としてスポーツをやってる人は現実の壁を肌で知ってるから子供らしからぬ一抹の諦観っていうのが表情にあるんですよ。諦観と、でも諦めねぇよっていう葛藤も。
あと孤独な人ね。芯から孤独な人っていうのはこのクラスにはあんまいなさそうな感じではあるんですけどクラスメートとの間の壁を多少高めに作ってる人っていうのは客観的に周りを見ててこれもやっぱり大人の諦観がある。スポーツ系の諦観と違うのは分析に基づく孤独な人の諦観はある程度ヴァーチャルなものなので実際の行動の面ではむしろ子供っぽさが残っていたりするところで、そのギャップが見てて面白いよねぇ。まぁ悪く思うな、俺もそっち系だからさ(今も)
化粧とか髪型をばっちりキメて他のクラスメートと比べると際だって垢抜けた女子っていうのがいて話を聞けばその人には成人したきょうだい(家族構成不明)がいて家での会話についていけない時があるから早く自分も大人になりたいなぁと思っているとのこと。お姉ちゃんがいるんじゃないかなぁ。たぶん化粧とか髪型とかはお姉ちゃんに教わってるんだと思うんですけど、この人の場合はスポーツ系とか孤独系と違って自分がまだ子供だと認識しているからこその大人背伸びで、話をするとまだあどけない。置かれた環境で14歳っちゅーのはいかようにも変わるものです。
あと個人的に印象に残ったのは、ポップな映画ゆえ笑えるところは多いが一番その発言で笑わせてくれたのは唯一名前を覚えたコジマくんという頭脳派14歳で、あいつらクズっすからねと自分をバカにしがちなクラスメートの一部を余裕の半笑いでディスる姿には(つよい…)なのだが、このコジマくんがあいつは話してみたら普通に面白いっすよパソコン自作するし、と語っていたのが保健室登校の男子生徒。
懐かしいなぁ。俺は保健室じゃなくて本格不登校だったんですがあるあるって感じでしたよ。インタビューで色々聞かれても別にとか特にないですとかしか答えない。特にないんだよ言いたいこと。映画の中ではこれが保健室登校になった原因じゃないかっていうのが出てきたりもするんですけどたぶんそれ本質的なことじゃないよ。なんとなく馴染めないとかそれぐらいの感じで案外不登校ってなるものです。理由なんて実はなんでもよくてそれをとりあえず言語化できればそれが悪いとかそれを解消すればいいってことになりますけど、まぁそういうセコイ問題解決策は大人のテクニックですから14歳のキッズには無理でしょ。
こう書いていて思ったのだがもしかしたら不登校というのは「(ひとつの)原因があって結果がある」という大人の嘘、あるいはその原因を自分が把握できるという大人の思い上がりに対する無意識の抵抗なのかもしれない。『異邦人』のムルソーがなんとなく人を殺すように『変身』のザムザがある日突然ムシになるように人は不条理に不登校になるし、そのことで不平等な原因と結果のシステムを攪乱しているのかもしれない。そう考えればクラスメートに徹底して背を向けるあの保健室登校生徒の背中にもある意味では大人の萌芽が、むしろそこらへんの何も考えない大人よりもラディカルに責任ある大人であろうとする意志の片鱗が見えるのだ。
まそんな感じで、なんだかんだ面白い映画だったと思います。
【ママー!これ買ってー!】
これは傑作なんだがあんまり流通してないので目に触れる機会が少ないのではないかと思う。レンタル屋とかで見つけたら見ておけ面白いから。