《推定睡眠時間:0分》
神と処女はこんな風で駈けました。アポロンは恋の翼に乗り、ダプネは怖れの翼に乗って駈けました。追う者はいよいよ急に迫り、あえぐ吐息を女の髪の毛に吹きかけました。ダプネの力はだんだんと弱りました。ついに倒れそうになったので、彼女は父なる河の神を呼びました。『助けて下さい、ペネウス。地を開けて私を隠して下さい。でなければ、私の姿を変えて下さい。この姿ゆえに私はこんな目を見ているのですもの。』
ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』野上弥生子 訳
人間や神々が動植物に変身するエピソードはギリシア・ローマ神話に多く見られるが中でも芸術作品の題材として取り上げられがちなのがこのアポロンとダフネ(ダプネ)のエピソードで、アポロンの超一方的求愛がマジで無理だったダフネがストーカーと化したアポロンから逃れるために父にして河の神ペネウスにお願いをして月桂樹にしてもらうというのがそのあらまし(しかしその後アポロンは月桂樹を切って月桂冠にしたりするのであった)
一見すればなんのこっちゃ的なこの『チタン』だがおそらくこのエピソードをモチーフにしているであろうと思えばアラ不思議一気に神話的に筋の通った物語に変身するではありませんか。主人公はストーカー男から逃れるためにこいつを殺し行方不明の青年に姿を変えてその父である消防士の隊長のもとに身を隠す。消防士の隊長、火を消すことからこれは河の神からの着想だろう。月桂樹への変身に相当するのが男装と無言化(喋ると女だとバレてしまうので)、そして金属化だ。ダフネは自由に遊んで暮らしていたニンフであり子供をせがむ父に私は結婚する気はありませんと告げるある意味現代的な女性であるからそのへんモチーフに取り上げた理由と察せられる。ちなみにチタン(TITAN)の語源はギリシア神話のティターン族(巨神族)である。
では「車とセックスする女」の意味するものとは何か? それはまた別の視点が必要かもしれず、たとえば俺はこのように観た。あれは車なんかではないのである。あれは幼少期の自動車事故で頭蓋骨の欠損箇所にチタンのプレートを埋め込んだ主人公が現実を解釈をするひとつの方法である。彼女は父親から性的虐待を受けているがそれが「車とのセックス」の幻想に置き換えられているのだ。車とセックスした後、彼女は腹が痛いと医者の父親に訴えるが、どこか後ろめたい様子で彼女を自宅診察した父親は「なんともない」と告げる。実際には彼女は妊娠しており、それは彼女(と観客)には車の子供の妊娠に見えるのだが、もし自分が娘を妊娠させたかもしれないとあの父親が一瞬でも考えたなら「なんともない」の雑診察も腑に落ちる。彼女がその後父親に対して取った行動もである。
監督ジュリア・デュクルノーの前作『RAW 少女のめざめ』は状況への適応としてのカニバリズムが描かれたが(と俺は思ったが)『TITANE/チタン』もまた状況への適応についての映画であって、妊娠の進行と共に主人公の肉体は『鉄男』よろしく金属が剥き出しになっていくが、それは怪異でもSFでもなく外を歩けばストーカーに追われ家に帰れば父親に襲われ「この姿ゆえに私はこんな目を見ている」主人公の変身願望が現実認識を変形させたものに他ならない(と俺は思うのだが!)
考えれば考えるほど腑に落ちる映画であり、正直言って超やべぇやべぇわけわかんねぇの信用ならないインターネット前評判を一応頭に入れて観てしまったのでその割には…とガッカリとまでは言わないがこれは別に超やべぇ映画ではないだろ、と冷静な感想が第一に出てくる。本気で超やべぇわけわかんない映画はもっとわけわかんないだろ。これは全然「わかる」映画なんですよ。もっとも観客の側にわかろうとする意志があればの話だけれども。
というわけでこの映画はその「わかる」を楽しむ映画とみた。随所に仕込まれたメタファーやアレゴリー、神話的モチーフを読み解いてなんのこっちゃストーリーに理路を与える。その意味でパズルのような映画とも言えるが映像面ではゴリゴリのアウトドア派、主人公はもうバッシバシと人を刺し殺していくし(またその殺し方がイテェ!)全体の1/4くらいは全裸という肉体酷使っぷり、三池崇史作品を思わせる残酷ギャグや塚本晋也作品を思わせる肉体変形はカルトのムードぷんぷんです。そりゃあ確かにそんな映像ばかり立て続けに流れたらわかる話もわからなくなるわな。
妖しくて滑稽でエロくてグロいがその本質は案外切実な人間ドラマというわけでなかなか食えないオリジナルな映画であることは間違いない。ギラついた照明が印象的な空間造形も不意に差し挟まれる不謹慎ユーモアもどこに境目があるのかわからない超リアル&恐怖な腹ボテ特殊メイクも見事かつ異様で目が離せない、人間の肉体に対するフェティッシュな拘りはすごいしそれになによりパンク姉ちゃんの主演アガト・ルセル! いやもうエロいは怖いわ可哀相だわ痛そうだわで超身体を張った熱演だったのでそこだけでもじゅうぶん必見。
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なんとなく雰囲気が似ている人食い映画。人を食った、という意味でカニバル映画という意味ではない。
↓その他のヤツ
いつもながらの博識さに脱帽です。
殺し屋1の浅野忠信じゃんこれ〜!って思いながら無邪気に序盤見てたら、ビジターQの内田春菊ばりの母乳噴射展開に三池ファンの自分はビビりながらも感動してました。
こちらの監督さん、三池崇史のオーディションも好きみたいですしね。
あの実の父の存在というか佇まいがやはりこの作品の肝なんでしょうね。
生きた車との性行為とメカを妊娠みたいなSFホラーな映画ではなくて、世界の見方を変えなければ生きていけない、似た者同士のおっさんと孤独な女性の出会いと別れを描いた感動作だと思いました。
『オーディション』好きなんですかこの監督!めちゃくちゃらしいな~(笑)暴走展開はなるほど『ビジターQ』の影響もあるかもしれませんね。母乳地獄とオイル経血はどこか繋がるような気もしますし。『殺し屋1』も世界の見え方に関するお話でしたし、そういうところに共鳴したのかもしれませんね~。
大好きな作品です。
車が好きすぎる、事故って頭にチタン、車との超絶エロいダンスとまず、オリジナルさが半端無なかったですね。けれどめくってみれば、どんなイカれた登場人物も、自分を認めてほしい、こんなでも愛して欲しい、という一般の私たちにもある感情と同じもの、共通のテーマでしたね。殺人のシーンはグロくて容赦ないのに、奇妙な間の取り方で笑いも誘うし、音楽のセンスは抜群だし、出産のシーンはなぜか神話のように神々しく、見たことのないものを見せてくれた映画でした。
この作品をパルムドールに挙げるカンヌの成熟さにも惚れ惚れしましたねー。
ママ、これ買ってーのマジカルガールも大好きです。
面白い映画でしたよね。奇抜な映像が目を引きますけどその根底には愛の渇望っていう普遍的なものがあって。見事でした。