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ニューエイジ・リバイバルっていうのが今すごい来てるみたいでニューエイジっていったらヒッピーカルチャーの進化形みたいなやつですけど要は現代オカルティズムですよね。その射程は広いので何から何までをニューエイジ・カルチャーとするかっていうのは難しいわけですがたとえば宗教でいったら幸福の科学がニューエイジ・カルチャーを存分に取り入れたニューエイジ宗教、科学でいったら核融合発電とかソーラー発電みたいな次世代エネルギーとか量子論がニューエイジ…というかニューエイジャーが関心を持つもの、農業では有機農法が酵素・EM菌と繋がるニューエイジと関連するもので、教育の分野ではニューエイジの源流の一人であるルドルフ・シュタイナーがシュタイナー教育と呼ばれる異なる教育システムを提唱したことからフリースクールとかの代替教育がニューエイジ。政治ではディープ・エコロジーがニューエイジで緑の党はシュタイナーの影響下に生まれたもの。心理学ではもちろんユングやマズロー。
ほかにもヨガとかアーユルヴェーダとかマクロビオティックも典型的なニューエイジ・カルチャーだし、本屋に行けばどこでもうずたかく積まれている自己啓発本というのもニューエイジの代表的なもの、クラシックなニューエイジ・カルチャーとしてはやはり占星術でニューエイジという呼び名は占星術に由来する(次の時代はアクエリアスの時代で今はそれに向かってる…とか)、最近のブームに見えて実際はニューエイジャーの嗜みというのがパワースポット巡り…とまぁとにかく幅広いわけですが現在ではスピリチュアルと呼ばれるものはかなりの部分でニューエイジと重なるのでスピリチュアル=ニューエイジと考えても差し支えはない。反ワクチン陰謀論とかはスピリチュアル=ニューエイジのかなり負の部分。
ニューエイジャーの古典を原作とする『デューン』やニューエイジ・カタログのような『エターナルズ』といったハリウッド超大作までニューエイジという現代だがなぜ今スピリチュアル=ニューエイジなのかといえば、ただでさえ広すぎる領域の話なので理由は膨大だろうが少なくともその中核を成しているのは現代のフェミニズム運動だろうと思われ、女性が主体となるニューペイガニズム(古教復興)やウィッカ(魔女信仰)もまたニューエイジ圏内のカルチャーだが、ニューエイジの始祖といえるのが現代オカルティズムの最重要人物ブラヴァツキー夫人であり、女性が始めた女性と男性が平等に活躍する地球規模のカルチャーないし運動がニューエイジというわけで、日本ではフェミニズムとニューエイジの繋がりは歴史的に薄いがアメリカなんかではニューエイジとフェミニズムとリベラリズムが歴史的に手を取り合って政治の舞台を進んできた観があり、その努力が実を結んで現在のニューエイジ百花繚乱があるようである。
というわけでこのドキュメンタリー映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』もまたニューエイジ圏内の映画、ヒルマ・アフ・クリントという人はブラヴァツキー神智学やシュタイナー人智学に傾倒するオカルティストであり、人智学的な人間発達の諸段階やセフィロートの樹やスウェーデンボルグが説く「世界の中心の霊的太陽」(これは俺が絵を見てピンと来ただけで劇中でそう説明されてるわけではない)を絵の題材にしているばかりではなくシュタイナーに直接自らの絵を展示するよう訴えたりしているあたり、相当ガチ勢のオカルティストといえるように思う。
カンディンスキーよりも早く抽象絵画を描いていた本当の抽象絵画の始祖をMOMAは無視しやがった的な批判から始まるこの映画にはヒルマを抽象絵画史の先頭に書き入れようとする明確な目的がある。オルタナティブの力でもって主流派の見解や歴史の定説を転覆・転倒させようとするそのアクティヴィズム自体がきわめてニューエイジ的なわけで、順番は逆かもしれないが要するにニューエイジ・フェミニズムと親和性の高い作り手がヒルマという同じ領域の光を見い出した結果できたのがこの映画なのではないかと思う。ヒルマの回顧展というか発掘展を訪れた客がその抽象画にスピリチュアルな何かを感じ泣き崩れたとかいうエピソードを入れてくるあたりこの作り手もかなり本気である。
面白く見れたしヒルマの絵画にも展覧会が日本に来たら(Bunkamuraミュージアムか森美術館さんか新美さんおねがいします)絶対行きたいぐらいな興味も出たがニューエイジャー特有の理屈諸々すっ飛ばし感は気にならないでもない。カンディンスキーよりも早く描いたという主張だけなら大いに首肯できるが「ヒルマはシュタイナーに絵を見せていてカンディンスキーもシュタイナーの信奉者で彼と会っていたからヒルマの絵がカンディンスキーに影響を与えた可能性がある」という主張はいくらなんでもシュタイナーの交友関係の広さと当時の影響力のでかさからいって無理筋というか、別にそれでもいいがそれならそれで単なる思いつきではなく明確な根拠を提示すべきだろう。美術の歴史に女はいないからヒルマを入れるべきだという主張も暴論感があり、そりゃ美術史のどの部分かによって変わってくる話ではあるだろうが草間彌生とかオノ・ヨーコが美術史の一部じゃなかったらなんなんだよとか言いたくなる。
どんなオカルト要素でもこれはオカルトではなく主流派が認めていないだけの立派な科学であると言い張りがちなのはニューエイジャーの特徴だが、その点をこの映画もきっちり踏襲しており、とくにヒルマともヒルマの絵とも関係ない科学者をわざわざインタビュイーに呼んで「ヒルマの絵は量子論的だ」みたいなコメントを取ったりする。色んな人のインタビューが出てくる映画だが人によってヒルマとオカルティズムを引き離そうとしていたり逆にヒルマとオカルティズムを結びつけて肯定することで美術史とオカルティズムの関係を再考するよう訴えたりするのが面白い。なんというかこれはそういう映画だな。単に前から眺めるだけだとアジテーショナルな部分が気にかかるが、ニューエイジとかオカルティズムの方向から眺めると色々見えてくるものがあって興味深いって感じの映画だと思います。
【ママー!これ買ってー!】
『見えるもの、その先に』に登場するヒルマの絵画の多くは目には見えない世界の本質を絵で説明したオカルト思想の挿絵のようなところがあり、そのへん頭の固い美術史家を戸惑わせているのではないかと思うが、まぁ抽象絵画とアウトサイダー・アートの中間か両方の先駆者みたいな感じで美術史に書けばいいんじゃないかというわけでヒルマとは関係ないですがアウトサイダー・アートのドキュメンタリー映画といえばこれ。