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映画と関係ないような話なんですけどたとえば選択的夫婦別姓に賛成か反対かのアンケートとかを取ると若い人は半分ぐらい賛成だったりするから上の世代よりリベラル化してると言えるわけじゃないですか。でも一方で支持政党のアンケートを取ったりすると10代~20代の半分ぐらいは選択的夫婦別姓とかのリベラル政策には反対の自民党を支持してて、この結果から言えば保守化してると言えるわけですよね。
このズレってなんなんだろうって考えてて、それで昨日ああそういうことかって思ったのが、日本の若い人は世界が変わるのは構わないっていうか歓迎してさえいるんですけど、そのために自分が変わるのは恐れてて、そのためじゃなくても自分が変わるっていう体験そのものをどうも忌避する傾向が強くて、つまりは世界に対してはリベラルに、自分に対しては保守的になってるんじゃないかということで、なんで自民党人気が高いかって自民党は有権者たる自分が変わったり積極的に政治に関与しなくても全部難しいことは判断して実行してくれるっていう「親」的な安心感を与えてくれるからだと思うんですよ。自分に対して保守的って子供ってことだと思うんですよね。
そういう日本の若者状況(想像)を踏まえた上で『わたしは最悪。』を観るとなんかこれが日本の観客の間で結構賛否が分かれてるらしい理由がわかるっていうか、この主人公って自分を変えよう変えようとするんですよ。むしろ変えよう変えようとして変われないところに自分で幻滅したりするぐらいで、変わろうとしない日本の若者(想像)の真逆なんですよね。若者って書きましたけどたぶんもうちょっと上の30代40代もメンタル的には基本同じで、この映画を「自分探し」のワードで理解しようとしてるそれぐらい(かもっと上)の年齢層の人が結構いる。それは「自分探し」いいね、すばらしいね、っていうニュアンスじゃなくて、こんな風に一点に定まらずあれやったりこれやったりフラフラしてるってイタイね、でもその気持ちもわかるよハハハ…っていう、どこか否定的なニュアンスで、「自分探し」は熱病のようなものである時期に生じるけどそれからは「自分探し」なんてしなくなるのが普通って感じなんですよね。つまり自分に対して保守的な人がそうじゃない人を見下してこの映画を「自分探し」の映画って言ってるわけ。
俺そういうの嫌なんですよね。何歳になろうが常に自分を変化させていいと思うんですよ。そっちのが人生面白いと思いますし、個人が変わらないことには社会だって変わらないのだから、その変化が自由を希求してのものなら巡り巡って他人のためにもなるでしょう。まったくつまらない日本になったよ。しまった映画と全然関係ない日本への愚痴に!
というわけで『わたしは最悪。』ですがこの主人公は成績優秀な医学生だったのですがSNSで膨大な情報に触れていたら世界にも自分にも無限の可能性があるらしいことに気付いちゃって情報の洪水に流されながら心理学を学んだり写真をやったりしているうちに30歳になってしまい現在書店員、書店員が悪い仕事とは言わないが最初は医者の道を進んでいたことを思えばずいぶんこうこじんまりとした…なんか本人もそんなに楽しそうに仕事してないし、という導入部からして皮肉が効いております。色々試しているうちに逆に可能性が狭まっていっちゃうっていうね。このへん保守的な日本人の感性に合うところでしょう(だからこれを「自分探し」の映画として観ることは正しいところもあるのだ)
ただしそうした皮肉は効かせながらもエピローグでは主人公の「自分探し」が終わらないことを示唆して、それこそが人生なのだと肯定する。俺そこがすごい良かったな。人生は選択の連続で正しい選択なんか結局ないからどれを選んでも後悔はするんだけど、選ばなかったら選ばなかったで後悔するわけで、何かをしなかった後悔よりは何かをした後悔の方がまだナンボかマシなんじゃないかっていうのあるじゃないですか。しなかった後悔にはできなかった後悔も含まれるわけですから。なのでこのエピローグではできなかった後悔が強調されたりして、それがホロ苦い後味を残すんですけど、同時に次の選択に主人公を開くようなところもあるんです。やっぱり何かをしなかった後悔より何かをした後悔の方がいいなって風に。
あとこれはSNS時代の論争トピックとかカルチャーを色々取り入れてるのが面白くて、SNS言説が日常生活にどんな風に浸透してどんな風な影響を与えるかっていうのをかなりリアルに、軽く辛辣と言えるぐらいなタッチで描写してるんですけど、中でもエコロジーきっかけでニューエイジ/スピリチュアルに傾倒していく人ね! これが可笑しいんですけど、この人は主人公の2番目の恋人の元恋人で、2番目の恋人は急に彼女がニューエイジに染まっちゃって地球環境を守れ生活をエコに改善しろとか言い出したから嫌になって主人公のもとに逃げてきちゃう。で主人公はそんな2番目の恋人の軽薄さを好きになったんですけど、そのうちに同じ軽薄さが嫌になっちゃうんですよね。こいつ全然知的じゃねぇなって。何も考えてねぇなって。だからニューエイジに傾倒する人のエピソードはそこだけ切り取れば皮肉っぽくて笑えるんですけど、主人公と2番目の恋人の関係性の変化を通して、実はそう笑うべきことでもなかったってことがわかってくる作りになってるんですよこれは。
そういう、人間を捉える視点の見事さ。かっこよさの中にある微妙なかっこ悪さ、親密さの下に横たわる微かな他人行儀、感じの良さも別の角度から見れば感じの悪さに映る。ある選択がその時点ではすごく良いものだと感じられたとしても、後から振り返ればそう良いものでもなかったと感じられたりする。そんな人間の不確かさをユーモアとペーソスを交えて活写して、イイ映画でしたねこれは。
【ママー!これ買ってー!】
『わたしは最悪。』を観ていてなんとなく思い出したフランスのダメ系恋愛映画。今泉力哉の映画とかが好きな人ならかなり面白く観られる。