虚実皮膜のあわい映画『とら男』感想文

《推定睡眠時間:0分》

ダブル主演の一人の元刑事の演技がいやにリアルだなぁと思ったらこの人がどうも本物の元刑事らしいということは事前情報として知っていたもののその芝居も台本なしのアドリブ芝居らしいということを「我が警察人生に悔いあり」未解決事件題材の映画に主演した元刑事の思い – 集英社オンラインのインタビュー記事で知ってプチ仰天してしまった。

しかしこの映画がチャレンジングなのはそこだけではない。ざっくりあらすじとしてはメタセコイアという植物を卒論に選んだオタク風女子学生(加藤才紀子)が金沢の地に足を踏み入れたところ地元赤提灯でなにやらハードボイルドな初老の男と遭遇。これが元刑事の西村虎男。ふとしたことから彼がメタセコイアに関わりのある未解決殺人事件をかつて担当していたことを知った女子学生はその事件の再捜査を買って出る…という話なのだがなんとこの未解決事件というのが実際にあったもの、そして西村虎男が実際に執念深く捜査していたものの犯人が捕まることなく時効を迎えてしまったものだった!

虚実皮膜のあわいを攻めたそのアイディアだけでぶっちゃけもう優勝。なにが優勝なのかはわからないが優勝だ。確かに欠点はある。まず、これは意図的な選択だと思うが事件の全体像が明示されない。そのために元刑事と女子学生の挑む事件がどんなものか、捜査のボトルネックがどこにあるのかよくわからない。これは上のリンク先記事を読むとよくわかるが映画内で描かなければミステリーとしてダメだろう。意図的に省略したにしてもそこにどんな効果があるのはよくわからないし。

それに、こちらは虎男さんと違ってしっかり役者さんが演じているので脚本がある女子大生、役者さんは悪くないがこいつの性格がかなり最悪。ズケズケと他人のテリトリーに入ってくるわりには終始おどおどとしているし、かと思えば自分から事件に首を突っ込んできたにも関わらず急に虎男を罵倒し始めたりする。なんなんだお前は東京帰れよ! でもこの人加藤才紀子さんが一人二役で演じた事件の犠牲者役は迫真ですばらしかったです。

ミステリーというよりもオタク風女子大生の成長を描く青春もののようになっていくあたりも俺は気にくわなかった…が、これは人によるだろう。以上さまざまな欠点があるにも関わらずこの映画が必見級になっているのはやはり実在の事件の元担当刑事を同じ役として起用するというアイディアのおかげ。この虎男さん普段は気さくな人の良いおじいさんだがふとした瞬間に見せる刑事の顔にはやはり本物の迫力があり、電話に出るときの「はい捜査本部」の鋭さには鳥肌が立つし、専門家を訪ねて現代の科学捜査の知見を聞くシーンで身を乗り出して質問する際の真剣な眼差しはなにせ実際の未解決事件が題材なだけに映画を超えてしまっているように感じる。

謎々のような事件の例を女子学生に話しながら「こっちには意味がわからないと思うことでも、実は犯人にとったら当たり前の行動の結果でしかないんだよね」、虎男さんが当時を思い出しながら書いたという捜査員の心得を指しながら「白は黒くなるけど黒は白くならない」…元刑事の経験に裏打ちされたリアルな言葉の数々は実に含蓄が深い。だがこれらの言葉には額面以上の意味があって、映画では触れられないのだが実はこの事件、当初警察が目星をつけた人間がいるのだが、そのアテは外れつつもあの人が犯人じゃないかという噂だけが地元に残ってしまったらしい。

虎男さんが出演を決意したのもその噂を晴らそうとする目的もあったようで、なぜその話を映画に盛り込まなかったのかと少々疑問に思う。まぁ未解決事件に再度挑む元刑事と女子学生、というストーリーを前面に出したかったのかもしれないが、事件の詳細が明示されない点も含めてどうもこの監督は(未解決事件だけに色々配慮したのだろうが)事件の取り扱いが雑に感じる。そこも俺の中ではわりと大きな難点だった。

とはいえ、虎男さんの演技を超えた演技もあり、中国ノワールの影響を受けたと思しい透明で不穏なムードもあり、前代未聞かどうかは知らないが独創的な作品であることは間違いない。これは面白い映画でしたね。例のスイミングコーチ殺人事件、時効は過ぎちゃったかもしれないけど解決を説に願います。

2022/8/13 追記:
ちなみにこのスイミングコーチ殺人事件、具体的にどういうものかというと、被害者女性の勤務するスイミングスクールの駐車場に置かれた被害者所有の車からその絞殺死体が発見、髪にメタセコイアが付着していたことからメタセコイアの自生している別の場所で殺害されたことが特定された。死体も発見され殺害場所もわかっているので被疑者逮捕は時間の問題かと思われたがどうやら初動のミスがあったようでこれがならず、2007年に時効が成立した。

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当事者が本人役を演じた映画といえばこれ。近年のイーストウッド映画には珍しいキビキビした演出が良い。

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