《推定睡眠時間:0分》
「どんなに離れていても愛することはできる」というのは劇中二度流れる矢野顕子の”LOVE LIFE”の歌い出しだが、この「離れる」に二重の意味を持たせているところがおそらくこの映画のしてやったりポイントじゃないだろうか。ひとつには物理的な「離れる」。最初に”LOVE LIFE”が流れる時には引っ越しや血縁といった物理的・物質的な人と人との距離の開きが描かれる。ひとつには心理的な「離れる」。次に流れる時には物理的には人と人との距離は開いていなくても、むしろ手を繋いで歩けるほど近くあっても、その心は遠く遠くへと離れてしまっている、そんな心の開きが描かれる。
あれだねこの映画観て思ったのはさ、夫婦ってなんだかんだお互いがよくわかんないよねっていう。たぶんそういうことじゃないんだよね、お互いを理解し合って仲良しだから夫婦になるんじゃなくて、理解できなくてもとりあえず一緒に暮らせる人同士が夫婦になる、あるいは夫婦として長くやっていける。「どんなに離れていても愛することはできる」というのは、たとえ相手のことが理解できなくても、言い換えれば心理的な距離がどれだけ離れていても、人は誰かを愛して一緒に暮らしていけるということじゃないだろうか。
その「愛すること」は恋人のような熱烈なものではなくて、傍目には冷めてさえいるように見えるかもしれない。でも矢野顕子が歌うように「生きていてね」となんとなくでも願いながらその人と一緒に暮らし続けている時に、それは確かに「愛すること」なんだろうと思う。結婚どころか恋愛経験がない俺に何がわかるのかと自分で思いつつも力強く言い切ってしまえば恋人の恋愛と夫婦の愛は違うのである。
ざっくり超要約をするならばこれは一組の団地暮らし夫婦がそのことに気付くまでの物語といえる。映画の終盤に主人公の木村文乃が息子宛のチャットを見るシーンがある。その時に木村文乃はそれまで自分と一体だと思っていた息子が、実は自分とは異なる一個の人格であり、自分とは別の世界を持っていることに気付くのだが、別の世界を持っているのはなにも息子だけではなくて、夫も、夫の両親も、そして他の団地住民も、当然ながらすべて別の世界を持っている。
団地の舞台設定はその中で意味を持つわけで、同じ間取りの部屋が等間隔で繋がった団地は物理的には各部屋が近くても、そこに暮らしてる人たちの心は味気ないコンクリートで厳かに遮断されて、たとえ隣人でもお互いの世界、言い換えれば心の内奥を知ることはない。そして、だからといって共存できないかと言えばそんなことはなく、他人同士距離を感じながらも一つの団地に生きているのだ。
俺は(この映画の監督の)深田晃司の映画はテレビドラマ的な白黒はっきりつける展開とかテンプレ的な演出とか説明的な台詞が苦手であまり好きではなかったのだがこれに関してはそのテレビドラマ的手法が功を奏してるなと思った。序盤から中盤にかけてテレビドラマ的な明瞭な人間関係が描かれるからこそ終盤でそれがひっくり返る面白さがあるし、「どんなに離れていても愛することはできる」に説得力が出る。あのマジカルニグロならぬマジカルマイノリティみたいな人が出てきた時にはおいおい大丈夫かよこれ~とか思いましたがすいません全然大丈夫でした。逆にマイノリティ表象としてあれはたいへんに誠実。
物語に必要な情報を必要最小限の台詞と描写で小出しにして徐々に物語の全貌を明らかにしていく語り口が巧い映画だったため俺の中であらすじとかとくに知らずに観て欲しい映画の枠に入っており、ネタバレなし感想として書けることはこれぐらいだが、主人公が前の夫に接するときの態度が理解できないというような感想を目にしたので映画を観た人向けに補足的にもう少しだけ書いておくと、あれはほら要するに主人公は息子と前の夫を重ねてるんですよ。
主人公は人には人の世界があるってことが今ひとつわかってないので自分の世界と他人の世界が重なることを求める。だから主人公は感情がすれ違うことの多い今の夫よりもなにかしらの出来事に対して同じ感情を抱いてくれる、あるいは同じ感情のレベルに降りてきてくれる前の夫に安心感を覚える。今の夫の方は逆に妻や息子の世界と自分の世界が重なっていないことに気付いているのでそのことに悩んでいるが、世界の重なりを求めているという意味では妻と同じ立ち位置にある(だから彼もまた…というわけ)
でも、持ってる世界はみんな違う。主人公もその息子も前の夫も今の夫も違う世界を持っていて、それを重ねることはできない。なぜならしょせんはみんな他人だから。姑がなんらかの宗教に入信するエピソードは一見浮いているように見えるけれども、あれも、彼女には彼女の世界があるし、主人公や舅はその世界に自分が入ることができないけれども、それでも一緒に生きていくことはできるということを示すエピソードだったんでしょう。
みんな他人でみんながみんな、みんなのことが本当は全然わからない。けれどもそれで別に絶望する必要はないし、それでも人は人を愛することができるのだと訴える、切ないけれども誠に力強い映画であったと思います。
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みんな違う世界を持っている系の団地映画といえば最近ではこれが面白かった。