《推定睡眠時間:0分》
この監督の映画は前作『台風家族』を観てかなり信じられないレベルに低い笑いのセンスが俺には無理な感じがあったのでこの映画『犬も食わねどチャーリーは笑う』もタイトルからして滑っているしつまんないんだろうなと思っていたが実際観たら思ったよりつまらなくて上映中に腕時計を5回見た。1回目は残り上映時間1時間10分くらいのところなのでそのときのガッカリ感を可能な人は想像してほしい。まだそんなにあるのかぁ…。配信で観てたらさっさと別の映画に変えてるので逆説的に映画館のありがたさがよくわかった。
ただね、どこがつまらないかはこれからまとめて書きますけれどもその前にひとつだけ書いておきたいのは、これ夫婦で観ればそれなりに楽しいんだろうな。知らねぇけどそういうことでしょたぶん。こんなのいい大人が観るものじゃないっていつものようにお一人様鑑賞の俺は思うけれどもこういうレベルの低い映画は言い換えれば間口の広い映画とも言えますし話題の共有度が高い、まぁ夫婦げんかの映画ですから夫婦で観ればあのシーンはどう思ったこう思ったと自分たちの夫婦生活に照らし合わせて会話が弾むんじゃないだろうか。
そういう映画ってあるしテレビ局が出資してる最近の日本映画なんて全部そんな感じじゃない。芸術的にも娯楽的にもその完成度ときたら酷いものだけれどもコミュニケーションの道具としては優れてる、というか、コミュニケーションの道具とするために芸術性も娯楽性もあえて捨ててる。観客同士のコミュニケーションを促すというのも娯楽の効能のひとつであろうからその意味では作品単体として娯楽性は低くてもコミュニケーション促進剤として娯楽性は高いのかもしれない。
いいですか、褒めましたよ。せいいっぱい褒めた。これ以上は褒められないってぐらい褒めました。ここからは一気呵成に悪口のコーナーになりますがみなさんもわたしも大人なのですから映画に登場する旦那デスノートならぬ映画デスノートとしてご笑覧くださいね。旦那デスノートを書いている妻のみなさんが決して本当に夫に死んで欲しいわけではないようにわたしも決してこの映画の存在が無くなって欲しいわけではないのです。ただ圧倒的につまらなかった…! つまらなかったらその感情は吐き出す場所が欲しいじゃないですか…! やっぱねそういうガス抜きをちゃんとしないと人間ストレスでおかしくなりますから毒を吐きたいときはちゃんと吐いた方がいいんですよ劇中の主人公夫婦はネット毒吐ききっかけで離婚寸前まで行ってましたが。
ってことで書くけどつまらないっていうかこの映画ダメなんだよ。本当に幼稚でさ、それは笑いのセンスもそうなんだけど物語に必要なものと不要なものの取捨選択ができておらず台詞は陳腐なものばかりの脚本もそうで、役者の演出に関してはテレビドラマ的な戯画化された芝居と映画的なリアリズムの芝居が不器用に混淆しているから、これは演出力不足というよりも演出を放棄しているようにさえ見えてしまう。
なんなんだろうこれは。香取慎吾と岸井ゆきのの夫婦がいてさ、でこの夫婦表面上は仲が良いんだけど岸井ゆきのの方は夫への不満を色々溜め込んでてそれを旦那デスノートっていうサイト(これは実在のサイトで何年か前のカキコミを見てみたらガチめな殺意が渦巻いていて面白かった)に投稿して鬱憤を晴らしてるわけ。でそれが夫の香取慎吾にひょんなことからバレちゃって夫婦間冷戦に…っていう他愛のない映画なのねこれは。そのプロットは面白くないけどつまらなくもないじゃないですか。でも下手に面白くしようとあれこれガチャガチャと詰め込んだ結果つまらなくなってるんだよ。すごくない逆に。
じゃあどのへんが具体的にダメかっていうとさ、香取慎吾は身体を鍛えるのと雑学を詰め込むのが趣味のホームセンター副店長なんですよ。それで岸井ゆきのは就活で悩んでる時に香取慎吾の雑学に救われてこの人が好きになったんです。あのさ、じゃあ雑学好きのホムセン店員ってだけで良くない? 香取慎吾のパンプアップ趣味はこの人のキャラ付けに必要? 確かに香取慎吾のパンプは映画の最後の最後に役に立つ場面がある。でも逆に言えばそのためだけなんです。じゃあホムセン店員の設定と雑学趣味はどう繋がるのか? といえばこれも全然繋がらない、物語の中に何らシナジーを生じさせない。
つまりこの映画って色んな雑多な要素を詰め込んでるんですけどそれらが全部バラバラに入ってて有機的に結びつかないんですよ。だからダラダラと長くなるばかりで少しも盛り上がらない。岸井ゆきのが旦那デスノートに書いてた投稿を書籍化しないかっていう編集者が出てくるんですけどこれも夫婦げんかっていうこの映画の本筋にほとんど影響を与えない、だったらその編集者キャラクターは1シーンの出演ぐらいに留めておけばいいのにわざわざ終盤までこのキャラを引っ張ってどうでもいい茶番の場面を作る。詳細は申し上げられないがこのシーンは本当に茶番で編集者の行動があまりに唐突かつ意味不明、その中学生が書いたような稚拙な展開には唖然とさられたね。切れそんな場面、脚本段階で切れ。
それからね、笑いのセンスですけれどもいやもうこれだって酷いんだ、その編集者が旦那デスノートの他の人気投稿者を集めて会食させるって場面があるんですけど、そこで投稿者が一人一人スローモーションでファッションショーみたいにレストランの階段を上がってきて各々の旦那死ね川柳のナレーションとテロップが画面に被さるのね。まずその形式が致命的に面白くないじゃん。それで、じゃあその川柳の内容はどうかっていうと、全然気が利いてなくて意味わかんないんだよ。ほとんど覚えてないけど一個すごいのがあってさ、それね、うろ覚えですけど「どついたる どついたるねん どついたる」とかだからね。なにこれどこが面白いの? っていうかどういう意味それ? なんなの? もうわかんねぇんだよこの映画、センスが酷すぎて。
でそれってつまんないってだけじゃなくてさ、この人たちは一応旦那デスノートの人気投稿者って設定なわけじゃないですか。そんなつまんない旦那死ね川柳(とその後に続くうっすい旦那死ね会話)を見せられたら人気投稿者っていう設定のリアリティがなくなりますよね? だからこういう個々のサブエピソード的な場面のつまらなさは物語の説得力とか迫真性と遠いようで実は直結してるんですけど、この映画そういうところに気がつかない、気を配らない。それでもうダメだこの映画って思ったんだよ俺は。しかもこんだけ序盤で旦那デスノートを大きく取り上げといて中盤以降は香取慎吾の同僚結婚エピソードが前面に出てきて旦那デスノートの話どっか行っちゃうしね。いややるならちゃんと最後までやれよ!
ネット社会の風刺のように見えて風刺と言えるほど旦那デスノートが夫婦に与える影響を掘り下げないしね。痴話げんかコメディのように見えて笑ってくださいよ的な場面はことごとくスベってるしね。香取岸井夫妻+ホームセンターを舞台にした人情喜劇の方向かなぁと一応最後の方まで見守っているとそれまでトータル2シーンぐらいしか出てきてなかった岸井ゆきのの方の職場で台詞が一言二言しかなかったような人たちが急に饒舌に語り出して前触れもなにもなく大波乱が起こったりするしね。え何がしたいの? 結局なんなのこれ?
思ったのはね、俺この映画のこの感じ妙に既視感あるなー状態だったんですけど、記憶を探るとそれ「SMAP×SMAP」のコントなんだわ。スマスマのコントでありそうなシーンとか設定を何個も無節操に繋げて2時間の映画にしたような感じ。だから笑えない。だから支離滅裂。だから冗長。俺スマスマは笑いはしませんでしたけど毎週楽しく見てましたよ。でもそれはテレビバラエティのフォーマットで観ていたからで、スマスマのコントを映画化なんかされたらキツくて観れないと思う。
そういう映画だと思ったよこれは。スマスマのコントのかなり今更の劇場版。年月を経ている分だけ更にキツイ。なにを考えてこんな映画を作ったんだか知らないけれども、もうちょっとですね考えて作って欲しいな…とは思いましたよええそれはもう大いに!
【ママー!これ買ってー!】
犬も食わない夫婦げんかもチャーリーは笑ってくれる…このチャーリーとは劇中で香取岸井夫婦が飼っているふくろうの名前だが、なぜチャーリーは夫婦げんかを笑うのか、そもそも笑っているのかどうかも描写がいい加減なため不明であり、このチャーリーは物語にまったくと言っていいほど関係しないので、どうしてそんなタイトルにしたのかも不明である。ふくろうの可愛さで誤魔化そうとするんじゃない。