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タイトルの扱いが雑なことで知られるインド映画なのでこの映画も最初の方で「The Story」「The Fire」「The Water」などとCGテロップが出て三つのRを取り『RRR』とその意味が視覚的に説明されるが、主人公二人を象徴するThe FireとThe WaterはまだしもThe Storyは相当無理があるし、そもそもThe FireとThe WaterだってRの位置的にタイトルの含意とするにはかなり強引なのではないだろうか。
おそらくThe Story,The Fire,The WaterのスリーRは後付けの言葉なんだろう。とすればタイトルの本当の由来は何かといろいろ考えたくなる。映画の舞台となるは1920年のイギリス領インドはデリー近郊、描かれるのはイギリス人の圧政とそれに抵抗するインドの人々、ということでResistance,Revolution,あとはまぁ重要なモチーフとして映画に登場するインド神話の英雄Rāmaの頭文字を取って『RRR』なんていかがでしょうか? でしょうかと言われても困るだろうし実際のところはメイン俳優たちの名前にいずれもRが入ってるからとかそんな理由の命名なんでしょうが。主演二人がN.T.Rama Rao Jr.とRam Charan Teja、二人の前に立ちはだかる総督役はRay Stevensonなのである(※と書いた後にIMDb見たらタイトルは「Rise Roar Revolt」の意らしい。「立て! 吼えろ! 蜂起せよ!」みたいなことだろう)
さて物語はある小さな村から始まる。その地を訪れたイギリス総督の妻が戯れに村の少女にペイントタトゥーを入れさせてみたところお仕事中の少女の歌声に総督の妻ベタ惚れ、イギリス人はインド人を人間だと思っていないので二束三文の金を購入代金として文字通り両親に投げつけて少女をかっさらっていくのでした。この暴虐に村一番の心優しき力持ちビーム(N.T.ラーマ・ラオ・ジュニア)怒る。そして少女奪還のために一路デリーへと向かうのであった。
一方デリーでは鋼の肉体とメンタルを持つ男ラーマ(ラーム・チャラン)が苛立ちを募らせていた。イギリス人の下で警官として働き同胞に対する暴力も厭わない彼の目的は昇進街道を突き進むこと。だがいくら功績を挙げたところで所詮インド人の彼をご主人のイギリス人は正当に評価しない。一刻も早くワンランク上のインド人になりたい…そんな折、彼は街でビームと出会う。事故に巻き込まれた少年の救助を共にしたことで意気投合した二人はお互いの素性と目的を知らぬまま親交を深めていくのだが、宿命の対決の刻は容赦なく迫っていた…。
こういうのは出来の良い悪いに関係なく良い映画である。なぜならここには「誰かに殺されそうになったら殺されそうな方は自分を守るために相手を殺しちゃってもしょうがない」というきわめて正しいがゆえに世間の人が眉をひそめがちな人間の権利が描かれているからだ。だってしょうがないじゃない向こうが殺そうとしてきたんだから。そんなことを言っているから争い事はなくならないし誰もが暴力を行使するために俺こそが被害者なのだと主張するカスな世の中になるのだが、とはいえ人の殺意は甘んじて受け入れろと言うわけにもいかない。
学校では教えてくれないこの手のサバイバル倫理を『RRR』はイギリス人に殺されまくったインド人がぶちキレてイギリス人を殺しまくるという形で楽しく教えてくれるのだから誠に啓蒙的な映画である。これを世界中すべての夫婦に観せればDVなんか減るんじゃないか。殴る方もそのうち殴ってる方に刺されかねないと恐怖すれば多少は殴りを自粛することだろう。殴られる方もいざとなったら刺していいのだと思えば抵抗する度胸がつくってなもんである。なにやら物騒な方向に筆が進んだが殴るのも刺すのもよくないのでみなさんは人に暴力をふるったりしまいようにしましょう。
で観てて思ったのはこの監督ジョン・ウー絶対にめっちゃ好きなんだろうなってことだよね。立場の異なる男同士の敵味方を超えた友情と反目そして共闘をコッテコテのメロドラマ演出と過剰なまでの火薬弾薬で描く。これはまさしくジョン・ウー映画のテイスト! 言うまでもなくジョン・ウーは香港の監督だが香港もイギリスの毒牙にかかった地域のひとつなのだからその点でも共鳴するところがあったんじゃないだろうか。ジョン・ウーの二丁拳銃を超える二丁ライフルなんて小学生の発想だけど燃えるよね。しかもその撃ち方っていうかシチュエーションがアツいんだまた。
これはテルグ語映画だからなのか群衆の迫力がすごいというのも良い。初登場シーンでラーマが警棒のみを手にたったひとり300人ぐらいのインド群衆と戦うのだが、そこの群衆たちの重み、厚み、臭み、怒りね! スクリーンから飛び出てくるようで実に素晴らしいのだが、この監督 S・S・ラージャマウリのモブに対する眼差しが野生動物の群れとして人間を捉える冷めたものではないことは、総督の館で開かれるパーティの場でのダンスシーンを見ればわかる。
そのシーンでは傲慢嫌味野蛮無知蒙昧なイギリス人男性にお前らワルツも踊れないんだろう? と笑いものにされたラーマとビームがインドの伝統ダンス的なやつを踊ってイギリス人男性たちを圧倒するのだが、ここで精神的に解放されるのはインド人の主人公ふたり以上にインド人にとって征服者であるはずのイギリス人女性たちとイギリス白人の下で働く黒人たちであった。植民地主義が搾取するのは何も武力や政治力で劣る他国の人々だけではない。それはまた国内にも搾取のヒエラルキーを作り出すのである。
共に搾取される者同士の国籍や人種や性別を超えた連帯と抵抗はゆーて英雄物語にすべてが回収されてしまいがちなインドのエンタメ映画の中にあっては十全に展開されることはないが、ともあれそうした名もなき者たちの連帯をサラリと画面に差し込むことができるのは、ラージャマウリがしっかりと庶民の目線で群衆を眺めているからだろう。抵抗と蜂起の称揚もそうした庶民目線から生まれたものかもしれないと思えば、これまたなんだかイイ話ではないか。
※ストーリーはもちろんフィクションだがラーマとビームはイギリスに対する抵抗運動を繰り広げた実在の人物をモデルにしているらしい。エンドロールにはその本人と思しき肖像画が登場するのでインドの抵抗運動史を頭に入れておけばまた別の角度からも楽しめる映画かもしれない。懐が深い。
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こんな映画で人生を学んでしまった人は相当険しい道のりを歩むことになるだろうが、それでもすべての弱き者はこの映画から人生を学ぶべしと断言したい。
総督のお屋敷、実はウクライナのマリア宮殿を使って撮影したそうですね。
謎の運命を感じます…。
インドはロシア寄りの立場ですからね…それにしてもウクライナにイギリス領時代のインドのイギリス屋敷っぽく見える建物があるって面白いっすね。実際に「ぽい」のかどうかは知らないんですが…