《推定睡眠時間:0分》
「ある男」の物語の終端にしてそこから物語が始まる発端でもある文房具屋経営者の安藤サクラが店で出会った「ある男」こと窪田正孝にそば屋かなんかで涙ながらに身の上を打ち明けるシーン、こんなメジャー映画でそんなことあるのかと思ったのだが音声トラックにノイズが入っており台詞のない部分ではなんともないが台詞が入ると薄っすらサァァァ…という音がする。
実際のところはどうかわからないが察するに、このシーンは長回しで撮られているからカメラがワンカットで捉えた安藤サクラの入魂芝居を見せることを作り手は優先したんじゃないだろうか。やろうと思えばノイズ問題が判明した後に再撮したり音だけ録り直したりもできたかもしれないがそれをしないで撮れたものを使う。監督の石川慶は繊細で詩的な映像表現を得意とする人で他の作品では音にも特別こだわりを見せているが、そんな人がここでは音をある程度犠牲にしてでも役者の芝居を選んだのだから、なにか、今回は役者(の芝居)でいくという決意を垣間見るようである。
そんなわけで俳優陣のお芝居は充実しており、妻夫木聡や安藤サクラをはじめとしてなかなか日本映画的に豪華な顔ぶれが揃っているがその使い方がすごい、きたろうやでんでん、モロ師岡など名バイプレーヤーがここぞという場面でのワンポイント起用、物語の裏の裏の主人公とも言える仲野太賀は台詞すらほとんどナシのカメオに近い出演と、見ようによってはかなりもったいない使い方をしてるのだが、その分少しの出演シーンに撮る側も全力を尽くすという感じで、何気ないシーン何気ないショットでも役者の芝居には熱が入りグッと引き込まれてしまう。
中でもまぁこの映画を観た人ならみんな言うだろうが柄本明の鵺的な怪演ね。柄本明はある男の足取りを追う弁護士の妻夫木聡が何らかの事情を知っているとみて話を聞きに行く収監中の男なのだが、何を考えているのか何がしたいのか皆目わからない。ぶっちゃけミステリーとしてはそう大した捻りがあるわけでもなく淡々とというより平板な印象が強いこの映画をヒューマンドラマではなくあくまでもミステリーに繋ぎとめていたのは柄本明の存在でしたな。
いわば『バックドラフト』における収監中の連続放火魔ドナルド・サザーランドですよこれは。『バックドラフト』だってサザーランドがいなかったらまどろっこしいばかりで退屈な映画になってたと思うもん。っていうかね俺はずっと不満なんですよなんであのサザーランドを脱獄させないんだって、脱獄したサザーランドが巨大ビルとかに火をつけて回ってその火を主人公兄弟が消しながらサザーランドを追い詰めていくのがこの映画のクライマックスであるべきだろうが! そんな話はどうでもいいが!
それでこれはどういうお話かっていうとシングルマザーの安藤サクラが流れ者の窪田正孝と仲良くなって入籍するのですがそうして送っていた幸せ生活がある日突然なんの前触れもなく破綻、窪田正孝がお仕事で木を伐採していた際に事故死してしまう。かなしいけどしょうがないね誰が悪いわけでもないしということでとりあえずその死を受け入れて前向きに歩みだそうとする安藤サクラだったがその一周忌に現れた窪田正孝の兄を名乗る男の一言によって歩み停止。「(遺影の)これ、弟じゃないですよ」。じゃあいったい誰なんですのということで調査を依頼された人権派弁護士の妻夫木聡は死んだ窪田正孝の正体を探るのだったが…というお話。
オープニングとラストにはマグリットのシュルレアリスム絵画『複製禁止』が引用されていてこれが物語の大枠を表しているのだが、どういう絵かといえば鏡の前にこちらに背を向けた男が立っており鏡を見つめている、すると普通は鏡に男の正面が映るはずなのだがマグリットの絵なので鏡に映るのはなぜか男の背中。これを仮に男の鑑賞者が見る時には鏡の中の男の背中を見る男の背中を見る男の…と現実にはありえない合わせ鏡の様相を呈す。
俺がここから連想したのは安倍公房の『燃えつきた地図』なのだが、安倍公房風の不条理はある男の辿った心の道程を丹念すぎるほど丹念に解き明かしていく中で理性的に解消されてしまい、社会が悪いみたいなずいぶん月並みな着地点に落ち着いてしまう。社会派と言えば聞こえはいいがその社会の捉え方はとりわけ「悪」の描写が稚拙というか類型的で、なんだか日々政治論争をやっているツイッターのリベラルが撮った映画のようだ(原作者は実際ツイッターのリベラルですが)
多少具体的に言えばこの映画の中では押しの強さ、人の話の聞かなさ、思い込みの強さ、率直さ、反省力のなさなどが「悪」に配分されており、「善」はその逆に消極性、思慮深さ、自責などが配分されている。「悪」の側はそうしたキャラ下地の上にいくつかの話題が載せられることになるのだが、これはたとえば反生活保護、在日差別、メンタルヘルスの無理解がワンセットになっていたり(モロ師岡演じる弁護士の義父)、北朝鮮工作員が社会に潜り込んでいるという話と東日本大震災の人工地震説のワンセットであったりして(芹澤興人演じるバーのマスター)、後者はバーの従業員の清野菜名に「また陰謀論?」と一蹴されることでその言葉は傾聴に値しない「悪」として印象付けられることになる。
モロ師岡のような人間も芹澤興人のような人間も現実に存在しないとは言えないだろうが、とはいえこれではいささか戯画的に過ぎないかという気がするし、それが間接的にであれ「ある男」が偽名を名乗った理由を説明するものになっているのだから、なんだか物語全体が現実的な厚みを欠いた薄っぺらいものにも思えてしまう。せっかく道具立ては面白そうなのに煎じ詰めれば「ガサツな男が多くて嫌だ」程度の話になってしまうのはつまらないし、そりゃ俺だってガサツな男は嫌だけれどもこれじゃあ世の中の見方がちょっとナイーブってなもんでしょう。考えの違ういろんな人がいて日々小さな衝突を起こしながらもなんとか一緒に仕事して飯食って語らったりして生きていくのが人間社会なんだからさ。
社会派的な題材を扱うならただ記号として扱っているということに満足しないでもっと題材を掘り下げて迫真性のあるものにして欲しいよ。俳優陣の演技は見応えがあるし映像も綺麗に撮れてるし、柄本明のいる拘置所の廊下や面会室の非現実的な造形なんかはシュルレアリスティックで面白いものになっていたけど、そんなわけで石川慶の映画を観るといつも感じることではあるが、これもガワだけ立派で中身があんま詰まってない映画だとは感じたなぁ。
※安藤サクラが窪田正孝と車の中で事に及ぼうとする際の安藤サクラの反応から、実は安藤サクラは窪田正孝に過去の一部を打ち明けられていたのでは? と思えるが、その答えは明かされることはない。どっちなんでしょうね。どっちでもいいけど。
【ママー!これ買ってー!】
勅使河原宏による映画版も主人公の探偵役が安倍公房の作品世界からはだいぶイメージが離れた勝新太郎という意表を突く配役もあって面白いのだがDVDになってないんだよな。