世界より個人を救え映画『ブラックアダム』感想文

《推定睡眠時間:15分》

なんとか国という歴史書にあるよりも古く偉大な文明がその昔には興っていましたという昔話から映画は始まるがそのパートは約10分弱と比較的長いにも関わらずナレーション進行ときてなんだか怪しい、その疑念は古代文明を滅ぼしたのち彼を作り出した超時空的な魔術師連合によって一度は封印されていたものの古代とは別の政治主体によって現在も彼の地で続く圧政に抗うためレジスタンスによって復活させられた破壊神ブラックアダムが再び大暴れする現代パートの、アクションと破壊大満載、しかし物語の流れはなんだかぎこちなく部分部分何をやってるのかよくわからない展開によって確信一歩手前にまで深まる。

いやこれかなりバッサリ諸々カットされたんじゃないかな。上映時間も最近のDC映画としては比較的短めな125分とかだし元々は150分ぐらいあって古代パートとかもナレーション進行じゃなかったのでは。この映画は他のDC作品と設定とかキャラを共有するDCEU映画だが大幅カットを施されたDCEU映画…とくれば『スーサイド・スクワッド』を思い出さないわけにはいかない。『ザ・スーサイド・スクワッド』ではない。ザの付かない方だ。監督が完全に畑違いのデヴィッド・エアーの方。それゆえにエアーが得意とするストリートに生きるアウトローたちのリアルな悲哀がフィルムに強く焼き付けられ、そんなものはアメコミ映画に求めてなかった経営陣と観客の双方から中指を立てられてしまったあの悲しい映画だ。

俺はエアー版『スーサイド・スクワッド』がDUEU作品の中でも一番と言って良いぐらいに好きでということはこのブログで既に8億回書いているので一回だけしか繰り返さないが、その『スーサイド・スクワッド』とある意味同じ匂いを放つ映画なのだから『ブラックアダム』、嫌いになれるわけがない。はっきり言ってかなり雑な映画である。ドウェイン・ジョンソン演じる筋肉ブチブチのブラックアダムとなんかよくわからんが『スーサイド・スクワッド』二作でお馴染みのやたらヒーローチームを組閣したがるおばさんがまた新しく招集して派遣してきたジェネリック感の強いアメリカヒーローチームが戦う…戦う…戦い戦ってるうちに圧制者側の悪い奴もなんか混ざってきた! あとDCEUらしくポストクレジットでかなり唐突に大物ヒーローも混ざってきた!

なんかよくわかんねぇ! でも楽しいな! 駄菓子みたい! そうなんですよ俺がMCUよりもDCEUに心情が傾くのはDCEUってB級なんだよね基本。もっと身も蓋もなく言えば頭悪いよね。それが良いんだよそれが、その開き直りが嬉しいの! 我々の高邁な思想と理想にみなさんついてきてくださいよ的なスタンスがMCUだとするならDCEUは観客の平均的な知性をあまり信用していないので未就学キッズでも理解できるようなわかりやすい善悪の戦いを見せる勧善懲悪『水戸黄門』スタンス!

そうはいってもブラックアダム別名ドウェイン・ジョンソンの筋肉があまりにも鋼鉄すぎるためドアなど利用することなく壁に直進しそのまま壁をボロッボロに突き破って移動するという往年のギャグ漫画を思わせるネタを三回も四回も繰り返されたらいやさすがにもうちょっと高級なネタもわかるよ! と思うのだが、まぁでもそのネタやられるたびに笑っちゃってたから文句は言えない。あとブラックアダムが兵隊を5キロメートルぐらい投げ飛ばして殺すギャグも三回四回やってた。

ギャグが単純明快ならバトルも単純明快でMCUに言うところのドクター・ストレンジ的ポジションのアメリカヒーロー部隊司令塔は幻術や予知などトリッキーな技を使うものの基本は筋肉VS筋肉、すなわちパワーとパワーのぶつかり合いである。パワーとパワーがぶつかれば建造物などが壊れる、建造物などが壊れれば面白い! バカか? しかしそんな理性の声とは裏腹に建物がたくさん壊れれば面白く感じてしまうのが現実だ。人間はかなしい。

でもそういう志の低さ・大衆路線が単にそういう演出でやってるってだけじゃなくてお話の内容とも合致してるからこれは見た目よりもちゃんとした映画だと思ったな。お話の内容っていうのはさ、このなんとか国というどこなんでしょうねぇシリアとかをイメージしてるのかな? ってところでは大衆はほとんど絶望してるんだよな。俺たちがいくら圧政に苦しんでも天下のアメリカさんも誰も助けになんか来てくれねぇじゃねぇかっていうね。レジスタンスの人がそういう台詞を言うんですよ、スーパーマンもアクアマンもこっちは見て見ぬ振りだろって。だからこっちはこっちでたとえ破壊神だろうがなんだろうが圧政を圧倒的なパワーで吹き飛ばしてくれる存在を求めてるんだと。

あくまでも全体の秩序を優先するアメリカのヒーローチームと、全体の秩序が崩れる結果になったとしても虐げられる無名の人々を救いたいレジスタンス。世界の救済を取るか個人の救済を取るかという普遍的にして正解のない永遠の問いかけがこの表向きはB級エンタメでしかない映画の深層にはあるし、大衆感覚に合わせた意識の低い単純なB級エンタメであることは、この映画が、あるいはDCEU全体の傾向として、個人の救済を支持することを体現しているのだと俺は思う。

その意味ではこの映画自体が劇中のブラックアダムのようなものだ。MCUはなんか小難しいし自分に向けられて作られてるようには感じられない。正しいことを言っているのかもしれないがその正しさは世界に向けられていて自分に向けられているように感じられない。でもDCEUとこの『ブラックアダム』は自分みたいなアホでしがない平凡人のために作られていると感じる。この映画を観ている間はつらくてつまらないだけの人生にも少しだけなら良いことがあると感じる…そんな人は多いかどうかは知らないがまぁそこそこのそこぐらいなら存在するんじゃないだろうか。

確かにこの映画は金を湯水の如く注いでいるわりにはなんか安っぽい。月曜になって仕事に行けばもう内容が思い出せなくなってしまうくらい映画体験としては薄っぺらい。でもだからこそ、こういうのはイイ映画じゃあないですか。面白かったですよ『ブラックアダム』。

【ママー!これ買ってー!】


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ところで『ブラックアダム』のストーリー面での予習作というか観ておくとより楽しめる服読映画は『シャザム!』でした。エッて思うよな。

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