《推定睡眠時間:20分》
主人公の騎士モラトリアム中の若造はかのアーサー王の甥とのことでこのモラトリアム青年がいやお前もそろそろちゃんとしないとさぁ的なことを言われたのがクリスマスのこと、その日なんだか不思議なことが起こる。結構でかい動く木みたいなのが祝宴の場にゲストなのかなんなのかよくわからんポジションで現れこう言うのである。さぁワシを斬るなり煮るなりなんでもするがいい、これはクリスマスのゲームだ、ただしワシに手を下した者は一年後に今度はワシの家に来てまったく同じことをワシにされなければならぬ。
これはなんだか奇妙な取引である。だってメリットなさすぎるじゃんそれ参加することに…しかも別に面白いゲームじゃないし。あと向こうから殺しに来るとかじゃなくて自分から殺されに行かないといけないってシステムがたがたじゃん。誰が行くんだそんなのわざわざ。しかし、アーサー王からの大人になれ圧力のせいもあったのだろう、当然ながらしんと静まりかえる円卓の騎士たちであったが例のモラトリアム甥だけは剣を抜いた。えいや! と慣れない剣を思い切り振り下ろすと動く木の首が床にごろん! イエー的な感じでその場はなんか盛り上がるもののそれは一年後にモラトリアム甥が今度は自分の首を落とされに行かなければならないことを意味するのであった。ということでその斬首に向かう冒険を描いたのがこの映画『グリーン・ナイト』、動く木の騎士がグリーンナイトさんです。
面白いですよね、普通騎士の冒険って何かを倒すのが目的なのにこの映画は逆で自分が殺されに行く。いったいこれはなんなんのだろうと思えばそれがこのモラトリアム甥にとっての通過儀礼、騎士になるための旅ということなのでしょう。武士道と云うは死ぬ事と見付けたりとは言うが騎士道もまたそうなのかもしれない。人間はいつか死ぬ。絶対に死ぬ。少なくとも現代の人間はそうなのだからアーサー王伝説の時代なんかもう確実に絶対死ぬしとくに騎士なんか戦争ですぐ死ぬ。その覚悟がない人間は騎士になどなれない。グリーンナイトは甥に覚悟があるか試しているわけだ。
例のクリスマス斬首事件からきっちり一年後、このモラトリアム甥は立派にもちゃんと斬首されるために自分から旅立ったので偉い、俺だったら完全にガン無視する。しかし人間の覚悟というものはそう長く続くものではないので斬首への道中でモラトリアム甥の心は揺れる。これ無駄なんじゃない? 普通に帰ってのんびり生きた方がよくない? とはいえ騎士道とは死ぬ事と見付けたり。斬首されに行かなければ騎士失格のそしりは免れ得ないだろう。迷いながらもモラトリアム甥は旅を続けるのであった。
なにせこれは普通の旅ではなく最終的に殺されることが目的の異常なあるいは宗教的な旅なのでその行く先々でモラトリアム甥が遭遇するものもまた普通ではない。途中で食った幻覚キノコの影響か濃霧の立ちこめる平原には裸の巨人族が闊歩しているし犬は喋って悪態をつく、人里離れた屋敷に招かれればなんだかその主人の妻は魔女のよう。なんなんだこれは。まぁA24配給の映画っぽさはすごくあるが。
そうした奇抜でややオフビート気味な展開や演出がやはりこの映画の眼目で、そのためジャンル的には史劇というよりファンタジーに近い。街のシーンこそ自然主義的に撮られているが騎士の衣装なんかはコンセプチュアルな色彩や造形でファッションショーかミュージカルのようであるし、それぞれのシークエンスで起承転結の承と結が抜かれているので常に宙づり感があるところも非現実感を高めている。なかなかシュールな映画である。
監督のデヴィッド・ロウリーは『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』を撮った人だがこの人なんか人生こんなもんじゃないですかみたいな映画ばっかやってる。『グリーン・ナイト』も例外ではなく死に向かうモラトリアム甥の旅路は人生の折々で人が経験しがちなものの先触れのようなところがあるが、きわめつけは『最後の誘惑』オマージュ。ゴルゴタの丘で磔刑に処されたイエスがああ神よなんで私がこんな目にと嘆いて「こうならなかった人生」をさながら邯鄲の夢の如く夢想する映画だが、その結果イエスは「こうならなかった人生」は自分が磔刑に処されるこの人生よりも価値あるものではなかったと悟る。
確かに磔刑は超苦しいしだいたい死ぬ。斬首は磔刑に比べれば苦痛は少ないかもしれないがしかしこちらもやはり死ぬ。そんなものは可能な限り避けたいのは当然だが、避けたところで結局いつか死ぬ運命が変わるわけではないし、いくら安全地帯に身を隠しても人生は相変わらず悲劇的だ。モラトリアム甥の斬首旅は彼がそのことに気付く旅でもある。人生に勝利はない。人間は必ず死に負ける。だから死を想え。死を想って死に怯える自分を克服せよ。どうせ人間いつか死ぬと普段から諦めていれば、案外その方が限りある人生を楽しめるたりもする。映画のラストが示しているのはそんなことなのだろうと思う。
同じような人生哲学を映画に込めるファンタジー系の映画監督といえばリドリー・スコットで、その代表的監督作『ブレードランナー』や『決闘者/デュエリスト』の香りは少しだけ『グリーン・ナイト』にも漂っている。俺はリドリー・スコットの映画が好きなのでこれもなかなか面白かったです。
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聖俗の狭間で葛藤する人間をテーマの一つとして繰り返し描いてきたマーティン・スコセッシの、これは聖俗の狭間ものの最終形態。
あのゲームはけっこう面白いですよ。
軽く傷つければ(来年は軽傷ですむ)力の無さと臆病さを証明し、強く傷つければ(来年は重傷で騎士生命は奪われる)力と勇気をある程度示せる。ゲームを断れば王の名は地に落ちる(そのレベルの騎士しかいないということになるし、王か国が呪いにかかるかもしれない)
つまり、得体の知れぬ怪物を一撃で殺し、来年の傷を受けずに済むようにしなければならない。
だから、王は自分の聖剣エクスカリバーをガウェインに渡した。
さぁ、このゲームをどう切り抜けるか。
鎧も貫き心臓を刺すか、胴を真っ二つにするか。
そして、ガウェインは首を落とすことにした。
だが、まさか、首を落としても死なないとは。
殺せなかったことで、王を守るため(逃げれば、王が殺される可能性がある)にガウェインは約束を守るしかなくなってしまう。
そ、そう言われれば面白いような気もしますが、性根が腐ってるので「名誉とか別にどうでもいいから無視すればいいんじゃない?」とか思ってしまいました…
裏を読めば、王は、この中で一番いらなくて指名できるヤツ、あ、いた!ガウェイン!!
という状況だったりもします。
その上、王族の暮らししかしてこなかった甘ちゃんハウェインは、逃げて一から自分だけで生活することに加えて、国を滅ぼしたかもしれない(首を落としても死なない化け物ですから)罪悪感を抱えていくのは、最悪の地獄で、いよいよ自殺するかないかぁ、という地獄道中なのでしょう。
あの人なんも考えてないようでめっちゃ色々悩んでたんですね…そういう心情が道中のファンタジック出来事に反映されてたりするんだろうか…