《推定睡眠時間:70分》
断続的に70分も寝ていれば当然ストーリーの流れなどわからなくなるがテレビドラマの劇場版などでは案外そんなことにはならず、過剰な説明台詞や役者がどこで何をしているかが常に丸わかりな平板な画作りのおかげで今何が起きているのかが寝起き即直感的に理解できるのだった。映画だからと急に高度なことをやるとテレビドラマのファンを置いてけぼりにしてしまうだろうし、なによりカットとCMのインサートが前提のテレビ放送時に繋ぎが難しくなる。あれはあれで諸々の事情を考慮して最適化された映画の形なんだななんとなく感心してしまう。
そんなことはどうでもよく『ラーゲリより愛を込めて』ですがラーゲリとはソ連の強制収容所、冒頭時点で原爆の投下の話が出ているからすでに太平洋戦争末期なわけですがその後満州国に居た主人公の兵隊さんはソ連軍の捕虜となってラーゲリ送りになってしまいます。そこで待ち受けていたのは寒さと飢えと強制労働。栄養失調やら病気やらでバタバタと仲間たちが倒れていく中で二宮和也演じる主人公は待遇改善などを訴え戦う…という感じだと思うが肝心のその場面を寝ているので詳細不明。でも収容所仲間たちから信頼されてたようなので良いことをやっていたのは間違いないのだろう。
最近の邦画戦中戦前戦後もの映画を観るとよく思うのは「なんでこんなに衣装も顔も綺麗なんだろう」ということで、予告編の時点で感じていたことだったがそれはこの映画も同じだった。なんでこんなに衣装も顔も綺麗なんだろう。ものしり博士の答えは極論日本映画には金がないからとかなのだろうが俺はそんなことを言っているのではない。だってさぁ、超寒い中で強制労働させられて飯なんか一日一回の黒パンとかで医療アクセスなんて良いとか悪いとかのレベルではないわけでしょー。もう人間ぐっちゃぐちゃに汚れてボッロボロに壊れてくるんじゃないかな普通そんなだったら、中身的にも見た目的にも。それを映像で見せなかったらやっぱウソだと思うよな。
でもこの映画はそれを見せられてないから今ひとつシベリア抑留の酷さが伝わって来ない。そりゃシチュエーションだけ見れば酷いなぁと思うがそのシチュエーションの上で動く人間はどこからどう見ても現代日本の健康体なのです。これは満州から子供たちを連れて引き揚げた主人公の妻も同じで、いかなる理由があろうがそもそも北川景子みたいな現代美人が戦中の子持ち(しかも三人)女性を演じるのは明らかに無理があるが、その無理を押し通してしまっているから物語上は終盤に生きてくる引き揚げ者の戦後生活再建の厳しさ難しさが映像として出てこない、したがって観てるこっちにもダイレクトに響かない。
ストーリーがどうとかメッセージ性がどうとかカメラワークだの照明だのがどうとかと言う前に、これは舞台劇ではなく映画なのだから、まずはちゃんとリアルにその時代その状況の人に見える顔とか衣装を作らないとダメなんじゃないだろうか。というわけでその一点で俺の緊張の糸は映画が始まるやあっさり切れてしまってすやすやとお休みについたのでした。見た目って大事ですよね、映画においては。
【ママー!これ買ってー!】
俺が「なんでこんなに衣装も顔も綺麗なんだろう」問題に最初に直面した映画。こちらは主人公が外交官なのでその見た目や衣装が綺麗なのはわかるが、杉原千畝がビザを発行する亡命ユダヤ庶民たちが…という。
ふと
『日本のいちばん長い日』の他人の比較レビューを見た時を思い出しました。
「リメイク版を鑑賞した後で、旧版のほうが評価が高いと知って比較したが、どうも私は古い邦画が苦手だ。
とにかくおっさんの肌がやたらとテカテカさせられているのも暑苦しいし、目ん玉ひん剥いて大声をあげる将校の紋切り型の演技も鼻に付く。
戦争映画を大衆演劇と同じように撮ってる気がした。
だからリメイク版の方がクドくないから好きだ」(要約)
って事はラーゲリにも、泥臭さを出しすぎたらそれを嫌う観客がいるのかな?
ああそれは確かにあるかも。昔の映画は観客も汚かったし野蛮で金がなかったから映画の中の登場人物が同じように汚くて野蛮で金がなかったりすると共感できたんだと思うんですけど、今の人はなんだかんだみんな小綺麗で洗練されててある程度は金があるじゃないですか、少なくとも食うに事欠かないぐらいは。だからリアルに戦後の人間を描いてしまったら共感できないだろうなあって思いますよね。「硫黄島からの手紙」にも出演したとはいえ二宮和也みたいなギラついたところのない皇軍兵士が当時いるわけないし、北川景子みたいなモデル美人だっているわけない。でもそうしないと今の多くの観客は自分に引き付けて映画を見ることができないんでしょう…