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普通のホラー映画だったら幽霊か殺人鬼が映る場面でこの映画は全裸中年男性が映る!!! これは笑っちゃうね。笑っちゃうけどゾッともする。全裸だから武器などは携行していないだろうが逮捕覚悟で全裸になる人なんだから何をするかわからない。この笑いと恐怖の奇妙な混淆は監督アレックス・ガーランドの持ち味、ついでに言えば裸というのもなぜか脚本作含めてガーランド映画に頻出するモチーフで、唐突に全裸を画面に出して観客を困惑させる手法は『エクス・マキナ』でも取っていた。余談ながらこちらで全裸を披露したソノヤ・ミズノは『MEN』にも警官役で出演していた。
と、説明なしで物語を始めるアレックス・ガーランドの作劇に倣って感想の方もいきなり全裸の話から始めてみたわけですが、どうですか読んでる人、面食らったんじゃないですか。俺もこの映画観て面食らったよ。面食らう映画だねこれは。でも面食らうのは表現が突飛だからで物語自体が難しいわけじゃない。ところが! この映画をGoogleさんなどで検索すれば考察の二文字がサジェストされるではないか。世は空前の考察ブーム、箸から棒までなんでもかんでも日々ネットの頭脳が考察対象としているさながらマッドサイエンティストのラボのような日本語映画界隈インターネット空間ということで例に漏れずこの映画も考察勢が頑張っているようだが、俺に言わせればこれ考察する余地あるかなぐらいな感じだ。
SNSワールドを大冒険したところどうやらこの映画はミソジニー(女性嫌悪)や有害な男らしさといった昨今のカジュアル・フェミニズム界隈でよく言われる男って嫌ですね~な概念を扱った映画という声が多い。そこで俺は思った。どうも、世の中の結構な数の人と俺ではこの映画を読むコンテクストが違うらしい。そしてそれがこの映画を決して難解ではないのだが要考察映画と誤解させているのである。
じゃあ俺はどういうコンテクストで観たかっていうと、これはアレックス・ガーランドの監督作じゃないですか。ガーランドの映画って三つくらいのテーマやモチーフを何度も繰り返してて、それっていうのが「鏡としての他者」「身体の変容、およびそれが精神に与える影響」「破綻した関係を繋ぎ止めようとする絶望的な努力」。「鏡としての他者」っていうのはたとえば『エクス・マキナ』がわかりやすいですよね。あの映画の中で超AIロボットのアリシア・ヴィキャンデルは外の世界に脱出するために主人公の望むキャラクターを演じるわけですけど、それは主人公の内面の鏡になるということ。ガーランドの映画ではこうした鏡としての他者を通して主人公の隠された願望や感情が表出するっていうことが頻出する。
「身体の変容、およびそれが精神に与える影響」の格好の例は『アナイアレイション』。この映画の中ではタルコフスキー『ストーカー』で描かれる「ゾーン」とラヴクラフト『宇宙からの色』の農場をミックスしたような異常地帯があって、そこに入ると生物や植物は種を超えて融合したり分離したりと構造が漸進的に変化してしまう。そこに派遣された主人公ら探検隊が追い詰められ狂っていく過程を描くのがこの映画で、最終的に主人公はまさしく鏡としての他者である宇宙生命体のようなものに出会う。この宇宙生命体のようなものは主人公の行動をそっくりそのままなぞり、そうしているうちに主人公と同じ姿に変わっていく。みんな知ってるだろうから詳細は省くが「身体の変容、およびそれが精神に与える影響」の例としてはもう一本、脚本作の『28日後…』も挙げておきたい。
「破綻した関係を繋ぎ止めようとする絶望的な努力」。これは特定の作品というよりもガーランド映画のすべてに通底する作家のテーマと言ってもいいかもしれない。『エクス・マキナ』の主人公はアリシア・ヴィキャンデルに恋心を抱くがその関係は初めから成就する見込みのない幻に過ぎなかった。『アナイアレイション』の主人公は前の探検隊に参加した夫が帰還後まるで別人のようになってしまったことを受け入れることができず、あたかも以前の夫を取り戻そうとするかのように探検隊に志願して異常地帯へと赴く。終末ゾンビものの『28日後…』はロメロ以降のゾンビ映画がほとんど例外なくそうであるように「破綻した関係を繋ぎ止めようとする絶望的な努力」があらゆる局面で顔を出すが、とくに終盤、軍人たちが世界を以前の形に戻すためと称して女たちを監禁するロメロ『死霊のえじき』の影響を伺わせるグロテスクな展開にそれが顕著に表れているように思う。
ここまで書けば『MEN』理解の補助線としては充分すぎるほどじゃないだろうか。「鏡としての他者」「身体の変容、およびそれが精神に与える影響」「破綻した関係を繋ぎ止めようとする絶望的な努力」…これらガーランド映画の基本要素の上で『MEN』を解体すれば謎らしい謎なんか残らない。それどころかこれら三要素が非情に明瞭な形でもうそのまんま描かれていることに気付く。これが俺がこの映画を観た時のコンテクストで、以下それに従って映画を読み解いてみよう。といっても最初から最後まで通して講釈を垂れるつもりなんかないのでご安心ください。この映画が何を描いた物語であるかということは、主人公の基本設定に加えて序盤のたった数シーンを見れば明らかだからだ。
さて主人公はロンドンに暮らす都会人だったが離婚するつもりだった夫に事故かはたまた自殺かはわからないが死なれてしまい、その前に夫が放った「離婚するなら死んでやる!」の言葉、そして転落死した夫の鉄柵に突き刺さり無残に引き裂かれた左手が頭から離れない。それを忘れるために彼女は田舎の別荘のような屋敷にやってきた。そこでテレワークしながら静養してれば夫の死の傷も癒えそのうち気分が晴れるだろう。
せっかくだからと近くの森を散歩していた主人公はそこで照明などのない古いトンネルを見つける。トンネルの入り口から見えるのはこちら側と鏡映しのようになった向こう側の出口だけ。地面には雨水か地下水か水が溜まっていて周囲の景色を鏡のように反射している。なんとなく「アッ」とトンネルの向こう側に叫んでみる主人公。するとトンネル内に「アッ」の声がこだまして自分の声が何度も何度も繰り返し聞こえる。なんだか面白くなって今度は自分の名前を叫んでみる主人公。「ハーパー!」ハーパー、ハーパー、ハーパー、ハーパー、ハーパー…と、トンネルの向こう側にあたかも呼びかけに応じるかのように人影が現れる。走ってこちらに向かってくる人影に不安を感じた主人公はその場から逃げ去るが、しばらく森を歩いていると奇妙なことが起こる。そこから逃げてきたはずのトンネルと同じように見えるトンネルが、ただし今度は入り口が板で塞がれた形で目の前に現れたのだ。
その日から主人公の恐怖体験が始まるわけですが、さてこのおかしなトンネルは何かといえば、要は鏡です。周囲の風景を反射し主人公の声も反射する鏡。なら鏡の向こうに現れた人影は? といえば、それは主人公自身の影にほかならない。そしてこの出来事を機に主人公が遭遇する怪物的な男たちもまた主人公の心の内にある恐怖が投射された空想の産物に過ぎない。つまりこれは、夫の死を経験してそのことに強い罪悪感を抱く主人公が精神の変調を来し、心の内にある自分を責め立てる声を、怪物化した男たちの襲撃という形で空想的に経験していく…という物語なのです。「鏡としての他者」「身体の変容、およびそれが精神に与える影響」。
そのような物語であるから虚構と現実は混ざり合う。たとえば鏡のトンネルは主人公の病んだ心が見せた幻であり、現実のトンネルは閉鎖されていることが主人公が物理的にありえない場所で板に覆われたトンネルの入り口を見つけるシーンでは示されていたりする。以降それほど明瞭な形では現実と虚構の線引きはされないが、その見分け方は単純で、ごく普通に現実にあり得ることかあり得ないことか考えればいいだけ。全裸の男は「実在する」。その正体はどうやら精神を病んだ流れのホームレスらしい。しかし顔に草を刺してグリーンマンと化す全裸の男は「実在しない」。それは主人公が庭で見た全裸の男と教会で見たグリーンマンおよび地母神のレリーフのキメラ的な混成物だ。
あなたも夫に対して少し優しくなかったんじゃないですかと主人公をたしなめる牧師は「実在する」。その意見に同意するかどうかはともかくあまねく人間を罪人とする牧師ならそう言うのは当たり前のこと。しかし真っ二つに裂けた左手をぶら下げながら主人公に迫る牧師は「実在しない」。それは主人公の夫の死体と主人公が牧師に感じた失意や動揺が混ざったものだ。全裸の男を釈放したと話すバーの警官は「実在する」。庭に入ってきたのなら住居不法侵入的なのにはなるんじゃないのという気もしなくはないが、警官のソノヤ・ミズノが「彼はとってもクサい」と仄めかすように全裸の男が単なるホームレスなら、警官の対応としてそうおかしなことではない。しかし同じ夜に屋敷の庭に現れ無言で主人公を見つめた後に忽然と姿を消した警官は「実在しない」。それは警官の素っ気ない態度になにか自分に罰を与えているような雰囲気を感じた主人公の恐れが見せたものだ。
こう並べてみればそこにパターンがあることがわかるんじゃないだろうか。主人公はまず実在の男と出会い、彼らが揃って自分を責めている、もしくは敵意を持っているように感じる。そしてそのことへの恐れが、男たちを異形の怪物に変容させるのである。主人公の友人が電話越しに語り主人公自身もいみじくも言うように彼女が出会う男たちは「いかにも田舎の人って感じ」でしかない。その振る舞いは粗野で洗練されていないし考え方も古いかもしれない。しかしただそれだけのことで、彼らは不快でこそあれ彼女の生存を脅かすような恐ろしい存在では到底ない。嫌に感じたら無視するか中指の一つでも立てればいいのだが、強烈な自責の念を抱える主人公にはそれができないんである。
それにしてもこんな風に人を狂わせる自責の念とはいったいなんなのだろうか、とそこで生きてくるのが「破綻した関係を繋ぎ止めようとする絶望的な努力」である。確かに主人公のぶっ壊れた精神を死んだ夫のある種の呪い、死後も続く心理的拘束の結果と見ることもできようけれども、そこらへんは個人差があるので一概には言えないとしても、もし主人公が夫にほとほと愛想を尽かしていたとすれば、その無残な死には自責の念も感じるとしても開放感の方が強く感じられるんじゃないだろうか。おそらく主人公は夫を嫌うというより夫に失望したか疲弊したから離婚を望んだんである。言い方を変えるなら、主人公はまだ夫を愛していたからこそ現実の夫のダメな姿に耐えられなかった。
オッサンからオッサンが生まれるクライマックスのオッサンマトリョーシカは言うまでもなく家主の肥大した腹から主人公が膨れ上がらせた妄想だが、その最後に生まれる夫を前に、主人公が途方に暮れてしまうのは、自分が夫をどう思っているのか、どうしたいのか自分でもわからなくなってしまったからではないかと俺は思う。愛してるけど愛してない、消えて欲しいけど消えて欲しくない、その死に自分は責任がないと思いたいけれども、責任があるとも思ってしまう。さまざまなアンビバレントな感情が浮かんでは消え浮かんでは消え融合し分離し変容し、そして主人公を呑み込んでいく…。
とまぁこんなところで『MEN』がどういう映画かというのはわりと絞り尽くせたんじゃないですかね。グリーンマンのレリーフとかからなんか深読みする人もいるかもしれませんけどあんなの飾りでああいうちょっと異様なものがただでさえヤバかった主人公の精神状態を負の方向にドライブさせたっていうそれだけじゃないすか。多少補足をしておくと、アレックス・ガーランドっていう人はカルト系のホラー映画とかSF映画の剽窃…じゃなかったオマージュを臆面もなく自作に入れがちな人で、それは『28日後…』が『死霊のえじき』の他にマカロニ映画職人ウンベルト・レンツィの先駆的な走るゾンビ映画『ナイトメア・シティ』も下敷きにしているように見えることからもわかるんじゃないかと思いますが(わからないよ!)、この『MEN』ではおそらくイギリスと日本がそれぞれ誇るカルトホラーの『ウィッカーマン』『極道恐怖大劇場 牛頭』を引用してる(と思われる)
とくに『ミッドサマー』のネタ元でもある『ウィッカーマン』の影響はかなり大きいと見えて、都会の人が田舎に来てカルチャーギャップでおかしくなっていくプロット、怪しげな宗教者が出てくるところ、全裸が出てくるところ、グリーンマンなど古教のモチーフを用いているところなど、共通点は数多い。『牛頭』の方は東京のヤクザが名古屋に行ったらそこは意味わからん人しかいない異界だった…というあたりもなんとなく似ているが、それよりなによりやはり哀川翔がそのままの形で産まれる衝撃シーンでしょうな。三池崇史は海外人気の高い監督だし『牛頭』は海外での三池の代表作的な一本なのでこれはそう無茶なこじつけではない。
個人的には病気の妻を殺めた男がその罪悪感から怪物を見るようになるこちらも英語圏で『バイオハザード』に次いで高い知名度を持つ(っぽい)日本のホラーゲーム『サイレントヒル2』とも似ていると感じたがガーランドがゲームをやる人がどうかは知らないのでこのへんは影響あるか不明。でもウィキ見たら結構ゲームのシナリオとかもやってて人気シリーズのリブート作『ディーエムシー デビルメイクライ』にはシナリオの監修として関わってたりするらしい。プレイしてると思うんだよな『サイレントヒル2』。『アナイアレイション』もゲーム版の『パラサイト・イヴ』みたいな感じだったし。ほか、家に向かって走ってくる走ってくる男は『ゲット・アウト』のオマージュのようでもあり…なにやらとりとめのない話になりかけているが、つまり要するに、ガーランドは好きなものの引用とかオマージュをあちこちに埋め込む人なのであんまり細かいところに意味を求めてもしょうがないということです。
考察終わりに俺の『MEN』感想。面白かった。ガーランドは脚本家出身の監督のくせに引き出しの少ない人なのでストーリーはそんなに面白くないっていうかまた前のあれみたいなことやってんなとか思うんですけど、ユーモアと不気味の入り交じったホラー描写の数々はイイ感じに居心地悪いしニューロティックなムードと透明な自然風景も良い、なによりやっぱ最後のオッサンマトリョーシカだよな。あの映像は素直にすげーってなったわ。ガーランド映画って捻りは少ないけど「これだ!」っていう奇抜なシーンとかビジュアルが一個ぐらいはちゃんとある。そういうところがこの人は偉いし、この映画もそれでああ良い映画観たなって気分になれましたよ。ははは。
それからテーマ的なところで言うと、俺は他人の死にはそれがどんなものでも直接自分が手を下したわけじゃなかったらそんなに責任を感じることないんじゃないって思うんですよね。これも難しいところで「いやお前はもうちょっと責任感じろよ!」みたいな人だっているわけじゃないですか、イジメをやる人とかさ。でもそういう人とは反対に必要以上の責任を感じて壊れちゃう人もいるわけだから、そんな人はもうちょっと無責任になった方がいいんじゃないですかね。俺だったら「離婚するなら自殺する!」と言われたら笑いながら「じゃあやってみてよ」って言うもん。いやそれ直接手を下してるのと同じじゃんダメだよ! 俺はもうちょっと責任を感じた方がいいね!
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白昼なのに不気味、平和なのに不穏、絶望的なのに祝祭的高揚感のある、類似作のほとんど見当たらないユニークなカルトホラーの名作。最後は「人生は祭りだ!」と叫びたくなります(それは違う映画ですが)
アレックス・ガーランドは、子供とアニメの『進撃の巨人』を見て、思いついたとインタビューで言ってるようですね。
どのへんが!?って気もしますけど、巨人のビジュアルとか挙動は全裸オッサンに引き継がれているかもですねぇ
今思えば男性器みたいな包丁とか受精みたいな綿毛フーッてみたいじゃなくてまんまメタファーだったんだな
包丁はわからないですけど、綿毛はエンドロールのところで集合して卵子の形になったりしていたので、受精のイメージで使ってますよね
「わたしは最悪。」を二回観たくらい、個人的に気になった映画で、その中でもさわださんのレビューが一番しっくりきたのです。こんなレビューを書いている人がいるなんて!と感動したくらい。それからブログをチェックするようになったのですが、今回のレビューの最後でなんだか・・・・・「これだから男は・・・・」と思ってしまったワタシ(-_-)zzz。「死んでやる!」って言われたら、それって脅迫ですよね?「だったら死ねば!」くらいのことは言うかも?(昔、「氷の世界」というドラマで松嶋菜々子も言っていたような・・・・)どっちが悪くて、どっちに責任があるかっていうより、もうどっちもどっちなんですよね。ただ、何かキツイことを言った方は、本当に相手が死んでしまったら寝覚めが悪い、みたいな。本当に好きなら相手が困るような別れ方をしないと思いますね。「責任」という言葉が出てくるのだとしたら、相手がキレないように、傷付かないように常に顔色を窺っていなければならない関係性は、それはキツイと思います。こんなになったのはオマエの責任だ!みたいなことを言うかもしれない人と夫婦関係は無理だと思います。どう思いますか?
俺は恋愛経験がないので全部想像ですけど、あの夫の方はたぶん妻が好きなんですけどメンタルが弱いから依存的な関係になっていて、会社で何か嫌なことがあったりすると家で飯食ってるときに傷ついた子犬の眼差しで「これって酷いよね?君ならわかってくれるでしょ?」とかずっと言ったりするタイプ。で、何かあると「俺が悪いよね。ごめん」って言って、こっちは別にそんなこと言ってないのに勝手に塞ぎ込んじゃう。鬱みたいな感じだったんだと思います。だから主人公の方は四六時中夫に気を使っていてもうしんどい、こんなのとてもやっていけない。そういう関係は妻にとってはもちろん夫にとっても結局はよくないので、精神科なりケースワーカーなりなんなりの手を借りながら別れたほうがいいと思いますよ(当事者だけで解決しようとこじれて最悪事件に発展する可能性があるため)
最後の一段落はあくまでも俺の話で、俺みたいなきわめて無責任な人なら多少は人の死に責任を感じたほうがよくて、そうじゃない人は必要以上に責任を感じる必要はないと思います(必要以上に責任を感じるとおかしくなってしまうというのがこの映画だったと思うので)
ちなみに「責任」という言葉について補足すると、俺は自分なりの宗教のようなものを自分の中に持っていて、たとえば今日シリア難民のキャンプで難民の一人が死んだら俺に直接的な責任はないけど、紛争解決とか難民支援のために何かを積極してこなかったという点で間接的な道義的責任はあるなぁと感じるわけです。カント的な道徳観ですね。ですから俺にとっては俺が何かの結果について間接的な責任のない状況というのはあくまでも思弁的にではありますがあり得ず、「責任」は常について回ってるわけです。そうした意味で「責任」という言葉を使ってるのです。
返信、ありがとございます。やっぱり質問して良かったデス。私の勘繰り&深読み誤読があったかもしれないです。「俺のこと、どんだけ知ってんだよ?」って思われそうですが、なんとなく、さわださんからだったらこんな答えが返ってくるんじゃないかなあと思った通りのお言葉が確認できて、スッキリしました。ありがとございます。
なんかよくわかりませんが、スッキリしてもらえたならよかったです