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中絶映画というジャンルがあるのかどうかはわからないが2007年の『4ヶ月、3週と2日』以降『17歳の瞳に映る世界』、『海辺の彼女たち』、そしてこの映画と中絶を当事者視点で描くときはダルデンヌ兄弟風の硬質なドキュメンタリー・タッチでという暗黙の了解でもあるのかと思ってしまうほどに中絶映画界にはダルデンヌ兄弟風の映像が溢れているが、80年代を舞台とした『4ヶ月、3週と2日』はやや異なるとはいえこうした映画がダルデンヌ兄弟スタイルを採用するのは現代の空気をそのまま取り込む目的がおそらくは一つにあるのに対し、『あのこと』は舞台が現代から遠く離れたフランス1963年、実に60年前の物語という点に際立った個性がある。
ネットで感想を検索すれば(ジャパン世間が勝手に人権先進国だと思い込んでいる)あのフランスにもこんな時代があったのか! という驚きの声が散見されるのは遠い過去の物語をあたかも現代の物語であるかのように描くこの映画の独自性ゆえだろう。実際映像だけ見ればとても昔の物語とは思えない。ダイヤル式の公衆電話などの小道具が辛うじて過去を感じさせるが、そうした時代相の演出は意図的に避けている印象も受ける。俺は過去と現代の違いを意識することこそ重要なのだと何につけても思っているので安易に過去と現代を同一視し混同させるような手法にはわりと反対だったりするが、とはいえそれが面白い演出効果を生んでいることは否めないので、まぁ、面白いならいいか…面白かったからいいです。
さてこれがどんなお話かと言いますと文学を学ぶ主人公の女子学生は自分が妊娠したことを知るがどうしても学業を続けたい彼女は中絶を思い立つ。しかし当時のフランスでは中絶は違法だってんでどの医者に掛け合っても首を縦には振らない。そうこうしている間にも迫るタイムリミット。果たして主人公は無事中絶して再び学業に専念することができるだろうか…というサスペンス。
撮影も面白いがシナリオが良かったなこれは。中絶の話でしょ。そしたらなんかもっと仮想敵みたいなのを前に出したくなるじゃん。中絶の困難を生んでいるのは誰なんだみたいな感じで。アクティヴィズム的に。今のアメリカの凡百な映画監督とか脚本家だったらたぶんそうやるよね。でもこれはフランス映画の俊英が作ってるのでちょっとそういうのとは違う。
それがよく表れていたのこんな主人公の台詞だった。「いつかは子供も持ちたいと思う。でも人生を犠牲にしてまでは産めない」。やむにやまれぬ選択としての中絶。良いか悪いかはともかくとして(「やむにやまれぬ」という言葉をあまり強調してしまうとそれ自体が中絶のハードルとなってしまうから結構センシティヴな問題である)この映画ではそうした原理原則に立ち返って(?)中絶という行為を捉えるし、では主人公をそのやむにやまれぬ選択に向かわせたものはなんだったのか、ということを多角的かつ重層的に炙り出していく。
一つには貧困がある。主人公の両親は無学な労働者で、自分たちのようには絶対させないつもりで娘に高等教育を受けさせてるものだから、勉強は好きらしい主人公なのでまんざらでもないとしても、やはりこれは強烈なプレッシャーである。また一つには情報不足がある。1963年当時のフランスの福祉水準は知らないが中絶希望者も含めて妊婦に必要な情報がスマホひとつでいつでも手に入る現代とは絶対超違うことは間違いなく、主人公は今後について腹蔵なく話すことのできる適切な相談相手を見つけることさえできない。赤ちゃんポストはないかもしれないが孤児院ぐらいは当時のフランスにもあるだろうから生んでもそう絶望することはないのではと俺なんかは呑気に思ってしまうが、そうした情報にアクセスして様々な選択肢から自分にとっての最善を選ぶということがこの主人公にはできないのだ。
学生文化というのも主人公を追い詰めるものの一つで、セルジュ・ゲンズブールの『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』が1968年ということだから1963年時点でのフランス学生は自由にセックスしまくりが当然な今のフランス学生とは性の開放度がまったく違う。性の知識も限られているので避妊もできなければ妊娠の事実を告げることのできる相手もいない。妊娠していると知られれば仲間はずれにされてしまうし、第一それが学校側に伝われば退学は避けられない(生まなかったら違法に中絶したことになるので)。これは性教育の不足や中絶を違法とする法律の遅れも絡むことだろう。もちろんその根を辿れば男性中心主義と女性軽視も出てくるわけだ。
なるほど、妊娠は一日にして成るが中絶は一日にして成らず。実に様々な要因がそこにはあるわけで、これは中絶というか生んで遺棄するパターンだが現代日本でも誰にも相談できずコンビニで一人で産んで放置した女子高生なんかが捕まったというニュースが流れたりする。そういう人はこの映画の主人公と困難の質がかなり重なるであろうから、お勉強的な映画では全然ないがここから現代の孤立妊娠者に必要なサポートは何かということが、あるいはその困難が明らかになったりもするだろう。タメになる映画である。
比較的真面目に映画の感想を書いている時の俺は基本的にその映画があんま琴線に触れてないのでと締めに至って突然衝撃の事実を吐露してしまうが、いや面白かったですよ、面白かったけどでもこれやっぱあまりにもダルデンヌ過ぎるだろ。撮影も演技も抑揚のない編集も本当にダルデンヌそのまんまなんですよ。俺そういう小細工いらないと思うんですよね。せっかく面白いシナリオなのだからシナリオ(と原作)の力を信じてもっと普通に撮ればいいのにとか思っちゃう。
だから結構白けながら観てて、自分で言うのもあれですけど白けてたからわりと冷静に主人公の置かれた境遇を把握出来たところもあるのかもしれない。だってここから得るものが妊娠大変! ツライ! の痛々しい共感だけだったらさぁ、何がそのツラさを生んでいるのかってことに頭が回らないし、それにまるで女の肉体が呪われたもので何もいいことがないみたいじゃないですか。いや、だから俺は安易なダルデンヌ手法は反対だっつってんのよ。臨場感とかすごいけど観客はその臨場感に飲まれちゃって逆に映画をちゃんと観ないんだよ。以下、愚痴は延々と続いてしまうのでここらへんで感想終わるよ!
※それにしても最後らへんのトイレのシーンはだいぶ痛かった。あのシーンの演技迫真、主演の人とそのルームメイト。
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ダルデンヌ的なリアリズムで撮られた映画といってもこちらは編集のリズム感や都市の感覚などで結果的にダルデンヌ映画とはまったく異なるものになっており、これはノー文句でめっちゃ好き。