サイケ内宇宙冒険映画『自分革命映画闘争』感想文

《推定睡眠時間:30分》

70年代後半にパンク映画から映画監督としての歩みを始めた石井岳龍は、折からのパンク・ムーブメントが80年代に入りポストパンクへと変貌する中でオカルティズムや新宗教を包含するニューエイジ・カルチャーへと接近していったのと呼応して、1981年の『シャッフル』や1983年の『アジアの逆襲』で人間のインナーユニバースの探究を始める。ミクロの中にマクロを見出すフラクタルの論理は様々な分野にまたがるニューエイジ・カルチャーの基調であり、人間の抱える内なる衝動を外へ外へと逃がすことで外のマクロな世界を破壊しながら切り拓いていくのがパンクの精神なら、ニューエイジ・カルチャーと親和性を持つポストパンクの精神とは同じ衝動を鏡に映った自分に向けることで自分の内面を切り拓いていくことだと言える。そうして自己の内面に発見されたものは外界を切り拓いて発見されたものと同等か、あるいはそれ以上とニューエイジャーやポストパンクのアーティストたちは考えたのである。

さてこの映画におそらくは監督・石井岳龍の蔵書としてその著作がチラッと顔を出すアレハンドロ・ホドロフスキーは映画監督である以上にニューエイジのグル(導師)の一人として国際的には(?)知られているらしく、ホドロフスキーがグルとなって患者の精神を解放するサイコドラマ療法をこの人はサイコマジックと呼んで日夜実践しているんだとか。その模様を記録した同名のドキュメンタリー映画も10年ぐらい前に公開されたからパンク→ニューエイジ組の一人として石井岳龍は当然観ているだろう。ホドロフスキーのサイコマジックは患者の心の奥に秘めた願望やトラウマ的な過去をインスタレーション的に風景として再現し患者をその中に置いたり、患者に過去の自分を演じさせてハプニング・アート的に公衆の面前に放り出すものだが、石井岳龍もこの映画でそれとは近からず遠からずの「施術」を自身が講師を務める神戸芸術工科大学の生徒たちにフィクションともドキュメンタリーともつかない中で施していく(出演しているのはプロの役者ではなく実際の生徒たちと同僚たちのようだ)

まぁこういう映画ですからね、これは一種の催眠ですよ、ことに映画館で観ると。舞台挨拶で石井岳龍本人も映画館の暗闇の中で観てもらうために作ったと言っていたが確かにこれは集中力の拡散する家なんかで観たってしょうがない。一応のあらすじを書けば生徒に自己解放ワークをやらせているうちに石井岳龍が発狂して失踪、その行方を捜す同僚やワークを続ける生徒たちも少しずつ石井岳龍が見ていたかもしれない世界の本当の姿が見えてきておかしくなっていく…という感じだが、サイケデリックでいて瞑想的でもある映像と音響を映画館の暗闇の中で浴びているうちに観客の目にもまたなにかいつもとは違うものが見えてくるかもしれない。脈絡のあまりない実験映画ゆえBGMの心地よく気持ちの悪いアンビエントを聞きながら俺は途中で(いつものように)眠ってしまったのだが、夢の中で目を覚ますと誰もいなかったはずの映画館の隣の席にメガネの太ったオッサンが座っており無言でスクリーンを指さして…そこでビクッと現実世界で目を覚まして映画の続きを観ることとなった、という体験を何の参考だかはわからないが参考として付しておこう。

それにしても俺がこの映画を観たミニシアターのユーロスペースといえば高橋洋が看板を背負う映画美学校の真上、よって映画美学校の卒業制作なども上映されたりするが、高橋洋も石井岳龍とはだいぶ方向性が違うもののスピリチュアル映画人であり、本人はそう言わないが映画美学校という場で一種のグルとして振る舞いワークとして生徒たちに映画制作をさせる映画監督であったりする(それをメタフィクショナルに描いたのが映画学校内幕映画といういくらなんでも狭すぎるジャンルの佳作『旧支配者のキャロル』であった)。なんというかユーロスペースという場の磁場を感じて面白いのだが、この二人を対比させてみるのは『自分革命映画闘争』を体験する上で役に立つかもしれない。

というのも石井岳龍はホドロフスキーをグルとしているかもしれないので基本的には人間の精神の力をポジティブなものとして捉えるが、フリッツ・ラングの創造=想像した怪人マブゼ博士をグルとする高橋洋はどんな悪いことや恐ろしいことも想像=創造してしまえる人間の精神を邪悪の湧き出す根源としてネガティブに捉える。これは要は二人とも同じことを描いているわけで、ただその描くものを捉える角度が違う。ニューエイジの先駆者として有名なグルにその名もグルジェフというオカルティストがいるが、過酷なワークで弟子たちを追い込み死に至らしめることもあったグルジェフに対する評価は人によって正反対のものとなるだろう。ある人が見ればグルジェフの実践は人間を日常性から解放しその秘めたる生命力や想像力を剥き出しにするポジティブな実践に見え、別の人からは身体的にも精神的にも人間を殺すグルジェフのワークは反社会的で危険極まるネガティブな行為と見える。

あまり読まれることはないっぽいがニューエイジというカルチャーを知るに欠かせない必携書といっていいレイチェル・ストームの『ニューエイジの歴史と現在 地上の楽園を求めて』にはグルジェフの行為の二面性がこのように描写されている。

アメリカやイギリスやヨーロッパ大陸のインテリたちが、プリオーレの飾り立てた門に群がるようにやって来たが、それは自分の自尊心を傷つけられ、奴隷のような状態におとしめられ、狭くて氷のように冷たい部屋に閉じ込められるためであった。ルイ・ポーウェルというある弟子は次のように述べている。「二年間の『ワーク』の後で、……私は病院にいる自分を見出した。子猫のように弱って、片方の眼はダメになってしまい、自殺の寸前にまで至っていた。」
レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在 地上の楽園を求めて』高橋巌+小杉英了 訳

様々なニューエイジ・カルチャーに触発されそれらを節操なくオウム真理教に取り入れていた麻原彰晃は当然グルジェフの著作も通過していただろうし、弟子たちを意のままに操るグルジェフを自らのロールモデルの一人としていたように思えるが、日本のニューエイジ知識人の代表格である中沢新一と『指圧王者』を共作したこともある石井岳龍がそのことに気付かないとはさすがに考えにくい。石井岳龍が生徒たちに施こすワークはグルジェフや麻原のように過酷なものではまったくないが、そうだとしても人格の乖離によって新しい認識を獲得しようとするそのワークが社会の「洗脳」に対するある種のカウンター洗脳であることには変わりがないわけで、そのへんのおそらくは自覚的な危うさが『自分革命映画闘争』という映画の面白さの核心なんじゃなかろかと夢の中でスクリーンを指さす知らないオッサンを目撃した俺としては思う。

とニューエイジよもやま話のようになってしまったが発狂した石井岳龍のもとへ向かう生徒たちの足の動きだけをひたすら長回しで追うオープニングなんか初期のTHE THEを思わせるパンキッシュなコラージュ・サウンドを流してかなりカッチョエエものになっているし現実と虚構の狭間で炸裂するサイケデリックでユーモラスなイメージの数々は鮮烈、2時間40分と結構長い映画なのだが観ているうちに時間の流れから解き放たれた気分になるので長さを苦痛に感じない(※個人差があります)というあたりさすが大学教授になっても石井岳龍である。っていうか教授だったのか、非常勤講師とかじゃなくて。

とはいえ元から薄かったストーリーがいよいよなくなってイメージの羅列みたいになってくる終盤はここでエンドロール入っちゃえばいいのにな~まだ続くのか~とかは度々思ったりはした。途中で「石井岳龍は方向性を見失った」みたいなテロップが出てそれから映画も壊れてくんだよな、ははは。方向性を見失った原因はまぁ当然そうでしょうなのコロナ禍です。とくれば一人の映像作家がコロナ禍で感じたもの、考えたものが込められた詩的なエッセイ映画とも取れるわけで、サイケな映像・音楽が気持ちいい映画だが、そういう面から見ても面白いように思う。

それにしても、コロナ禍を受けて活動を縮小させるどころかそれを創作のバネとしてむしろ活動を活発化させた日本の映画監督といえば石井岳龍や高橋洋のほかに豊田利晃がいて、こちらもやはりスピリチュアルなニューエイジ映画監督。『シン・ウルトラマン』でニューエイジの思想的源泉の一人シュタイナーの著作を斎藤工に読ませ(これには斎藤工がシュタイナー教育を受けていたという背景があるようだ)『シン・仮面ライダー』ではヨーガからプラーナの用語を借用した庵野秀明もニューエイジ近傍監督とすれば、危機の時代にあってもというか、むしろコロナやらウクライナ戦争やらでメンタルがやられがちな現在だからこそ、そのメンタル救ったるで的な感じでこれらのグル監督はやる気を出してしまうのかもしれない。危機に強いニューエイジである。

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何年か前のベルリン国際映画祭で最高賞を取った実験映画。世界三大映画祭の一つなのになんとなくパッとしないベルリンだったがこんな人を極端に選ぶ映画に最高賞をくれてやるのだからなんだかんだ立派な映画祭だなと思う。ちなみにこれもニューエイジ映画です。今は世界的にニューエイジ・リバイバルの真っ最中。

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