ガキの痛みを忘れるな映画『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』感想文

《推定睡眠時間:0分》

時は「MAKE AMERICA GREAT AGAIN!」のスローガンを引っさげたロナルド・レーガン(タイトルはレーガンがインタビューで語った言葉から取られている)が大統領の座を狙っていた1980年、所はニューヨーク東部クイーンズということでその時代その場所の持つ固有性がこの物語の大枠を作っているのは間違いがないのだが、観ながら俺は不思議とずっと懐かしさを感じていた。映画の主人公は中流家庭のユダヤ人小学生男子で周囲の子供と趣味が合わず自分の世界に入ってぼーっとしていることの多いこいつが新学年で同じクラスになったのが両親がおらず認知症らしい祖母と暮らしてる貧乏黒人キッズ男子、こいつはみんなを笑わせるためにちょっと面白い動きとかをしがちなので起立はさせないが規律はたいへんに重視する教師から目の敵にされている。その二人がひょんなことから仲良くなるのだが、この貧乏黒人キッズ男子に俺の脳細胞はスーパーカリキュレイトの結果、小学校中学年の頃までは一緒に遊んでいたさとしくん(仮名)を重ねたのである。

さとしくん…さとしくんは足が臭かった。当時アシックスのシューズが小学生に流行っていたので俺が名付けたわけではないがあだ名はアシックサだった。なぜ足が臭いのかといえば俺の学年には三人ほどいたのだがさとしくんはお風呂にあんまり入らない子供の一人だったのである。しずかちゃんならともかく公立小学校のはな垂れクソガキなんか親に言われないと風呂になんか入らない。ネグレクト気味の家庭のキッズはしたがってお風呂に入らず臭くなっていき、そのことでクラスメイトから疎まれてイジメターゲットになったりするものだ。

もっともさとしくんはとくにイジメを受けることなくどちらかと言えばみんなを笑わせるためについついズボンのチャックを開けてパンツの側から手を出し「世界の窓からこんにちは~」と言ったりなどの面白いことをしちゃうため男子の人気者のポジションにあった、というあたりが映画を観て俺の脳が貧乏黒人キッズ男子とさとしくんを重ねたメイン所以である。怖い物知らずのさとしくんはブロック塀に置かれていたタバコの吸い殻の入った缶コーヒーを誰に言われたわけでもないのに飲み干したりしていたなぁ(そんなものを飲むな)

さとしくんはまた祖母の家に預けられていたこともある。俺の記憶にある限りでは小学校低学年~高学年のたった数年間の間にさとしくんの家は三回変わっており、最初は蕎麦屋の二回、次が木造アパート、その次が祖母宅なのだが、何があったか木造アパート時代のさとしくん宅はかなり荒れていて足の踏み場もないくらい部屋が散らかっていた。思えば蕎麦屋時代のトイレにはさとしくんが洋式便器で立ちションできるようにジャンプが二冊便器の前に置かれていたが、その雑な問題対処法はなんとなく後のさとしくん宅の荒れを予期させるものだったかもしれない。

さとしくん関連の思い出として重要度強で俺の脳に格納されている出来事はポケットモンスター売買事件である。当時小学生にはゲームボーイの初代ポケットモンスターが大人気、配信でゲームを買う時代には信じがたいことだがその頃ポケモンのソフトは人気すぎて近所のゲーム屋とかには赤も緑も在庫がなく、でもみんなやってるし俺もやりたいぞと思っていたところさとしくんからポケモン緑を3000円で売ってもいいよと鶴の一声があったのであった。あたかもヤクの売買でもするかのように人目につかないと小学生が考えるマンションと隣の建物の隙間の奥(逆にあやしい)でさとしくんからポケモン緑のクソ汚ぇソフトを買い受けた俺。しかし家に持ち帰って遊んでいたところそれどこで買ったんだと親に問い詰められ、小学生なりに近所の中古屋でなどとウソをつくがそんな汚ぇソフト売ってるわけねぇだろということで売人特定、さとしくんにポケモン緑を返し3000円を返却してもらうことになるのであった。

この頃のさとしくんは木造アパート時代だと思うのだが前述の通り荒れていたさとしくん宅および荒れた部屋で日がな一日死んだように寝っ転がるさとしくんのシングルマザーを見た創価学会信者のウチの親はこれはいかんと信者の責任感で部屋に突入しいざ折伏、そうか、学会に入れば生活が改善できるのか! などとさとしくんのマザーが思うわけがないだろ。さとしくんによればかーちゃんがあの子もう家に来させないでって言ってた、とのことである。おい!

とまぁそんなようなことを思い出すがこれはひとつの例で、なにもさとしくんのことだけを映画を観て思い出したわけではない。学校に来ても誰とも話さず一日中俯いているだけのまま何年間も過ごしたお風呂に入らないキッズの一人ひろしくん(仮名)。ひろしくんはガタイがでかくヤツをキレさせるとやべぇと男子たちに恐れられていたので臭いし一言も喋らなかったがちょっかいを出されることはなかった。周囲にはメガテンなんてやってる男子はいないのに空気を読めないメガテン好きの俺が一人でそのことを話していたら「メッチー可愛いよね」と急に食いついてきたのがひろしくんである。メッチーとはメガテンシリーズ作の『ソウルハッカーズ』に登場するお供キャラのことだ。

あつしくん(仮名)は学校にメリケンサックとかナイフを持ってくる不良的なポジションのキッズであったが弱いものイジメなどはしないので俺は信頼を置いていた。『アナザヘブン』や『バトルロワイヤル』の小説版を学校に持ってきて一部男子に流行らせたのはあつしくんである。っていうか小学生の分際で『アナザヘブン』とか『バトルロワイヤル』を読むのは不良というかむしろ努力家なのではないか? でもその才を伸ばそうとする教師とかはいなかったな。あつしくんも俺同様に宿題をやってこないのでよく居残りさせられていたんじゃないだろうか。ちなみにあつしくん家もシングルマザーであり、うちのかーちゃんがこないだ白バイのねずみ取りまいたんだぜなどと自慢げに話していたことを思い出す。

いったいいつになったら『アルマゲドン・タイム』の話になるのであろうか。たしかにそうだが、これはもうこの極東島国のオッサンによる90年代後半から00年代前半にかけての思い出話が『アルマゲドン・タイム』の感想なのである。そういう映画だった。この映画と自分を切り離して何食わぬ顔で客観的に作品について論じることは俺にはできない。父親からの折檻を恐れて風呂場に閉じこもる主人公少年を見て、というよりもその父親の表情に俺はやはり既視感があった。俺の父親は直接的な暴力を振るうことは記憶の中ではなかったが酒を飲んで怒鳴る人ではあったので、ある日なにか納得できないことがあって親に反逆した俺が自分の部屋のドアノブの下に本棚を置いて立てこもった時に、開けろ開けろと怒鳴る父親に恐れをなした俺は危害を加えられないように何か尖ったものを咄嗟に武器として手に持った。震えながらドアを開け、来るなと叫んで武器をかざしながら部屋の奥へと後退しているときに見た父親の表情は、たしかあんなだったはずだ。

主人公がいつも上の空でノートに絵かなんか描いてるし大人を困らせるようなことをわざとやる(と大人からすれば見えるのだが、本人は単にその振る舞いが面白いと思ってやっているだけなのだ)ので親や教師からちょっと遅れた子と見られているというのもそう。こいつ校外学習で初めてモンドリアン見てうっとりするしな。俺も大好きだよモンドリアン。でも大抵の大人にはモンドリアンは美術館の壁に飾ってあるよくわからん変な絵でしかないだろう。だから主人公が美術の時間で得意になってモンドリアンの模写をやっても教師は褒めないどころかこれは人真似であって私はあくまでも自分の思うものを表現しろといったはずだと叱りつける。自分の思うものが、俺には高校生になるぐらいまでわからなかった。詩作の授業、読書感想の授業、それから中学に入ってからは弁論の授業で、俺は一字も作文用紙に文字が書けずに立たされていた。でも俺のノートには色んな物語や絵が溢れていたんである。

映画の中でモンドリアンの模写をただ一人褒めたのは例の貧乏黒人キッズ男子で、俺はそこでもスティーヴン・キングの分厚いハードカバー『トミー・ノッカーズ』を教室で読んでいて唯一その本に感心を持ってくれたあつしくんの「このトミーノッカーズっていうのは家に押し入って住民殺しちゃうカルトなんだろ」という言葉に苦笑いしたことを思い出すが、こんな風にガキにはガキの見る世界や共同体があって、そこにはガキなりの共助や成長というものもある。それをこの映画は描いているのでレーガンそしてドナルド・トランプの両親まで(裕福な白人だけが通う私立校の出資者として)登場する時代色も政治色も非常に強い物語にも関わらず俺はたいへん懐かしく身近なものと感じてしまったのであった。

今は分断の時代というが分断されているのはいつの時代も大人で、ガキどもの間に生じる無責任で無軌道で、だからこそ危なっかしくも平然と分断を乗り越えてしまえる絆のようななにかは、往々にして大人が自分の信じる世界観に沿って「お前のためだ」の言葉とともに断ち切ってしまう。学校的には不良枠に入っている貧乏黒人キッズ男子とつきあう主人公の将来を憂いた両親は彼をトランプパパママの白人私立校へ転校させようとするし、貧乏黒人キッズ男子がまだ落書きだらけできったねぇ80年代ニューヨークの地下鉄に乗ってぼく将来宇宙飛行士になるんだぜと嬉しそうに語っているところにわざわざ近づいてきてお前は黒人だからなれねぇよと言い放つのはブラザーな感じの黒人であった。

その痛みを大抵のガキは知っているはずなのに大抵のやつは大人になるにつれて忘れてしまうし、痛みと表裏一体になった絆のようななにかも一緒に忘れてしまう。この映画はその忘却を拒否する。忘却を拒否してそれを陳腐で偽善的な「ものがたり」として大人の目線で語ることも拒否する。良い映画だったな。わかりやすい起承転結も胸のすく教訓も声高なメッセージもないから大人になりきった大人にはあまり評価されないだろうが、良い映画だった。決して忘れてはいけない取るに足らないガキの体験がこの中にはたくさんあったからね。

ひろしくんもあつしくんも中学は別のところに行ったしさとしくんは途中で転校してしまったので、その後どうなったか俺は知らない。

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この『バビロン』はハリウッド・バビロンを描いたチャゼルの映画ではなくイギリスのブリクストンを舞台にレゲェとかラスタに傾倒する貧乏な若者たちを描いた1980年の作。『アルマゲドン・タイム』はニューヨークの小学生の話だが『バビロン』みたいな英国労働者階級ロック哀歌の映画とよく似た空気が漂っていた。

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よーく
よーく
2023年5月22日 1:18 AM

俺も小中学校時代の友人を思い出しながら観て全体的に同意しかない感想でしたが、主人公の少年が感銘を受けた画はモンドリアンではなくカンディンスキーです…。
多分彼はモンドリアンも好きだろうな~、とは思いますが!