《推定睡眠時間:45分》
こないだ観た『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:Volume3』はレディオヘッドの“Creep”アコギ版で幕を開けたのだがこちら『フリークスアウト』もナチ党員のピアニストが同曲のピアノアレンジ版を弾くシーンがあって、どちらも傷を抱えたアウトサイダー的な人たちが結束して悪に立ち向かうお話なものだからなんだか発想の貧しさを感じてしまった。でも今はこういうあけすけで直情的な演出がウケるんだろうな。いつの時代もそんなものかもしれない、難病にでも冒された美男美女が泣きながら愛してるだのなんだの叫べば観客はいつだって大いに感動する。それに、タランティーノとかマシュー・ヴォーンみたいなわざとらしい反語的な楽曲使用もそれはそれで鼻につく。難しいもんですねぇ映画の音楽というのは(まぁ、だから、なんだかんだプロの作曲家にスコア作ってもらうのが一番いいんだとおもいます)
ところでどうしてナチ党員の人が“Creep”を弾いてるのと言いますとこれは時代設定は第二次大戦中なのですがこのナチ党員の人は身体が弱く代わりに特性のマジカルな粉を吸引しますとプロジェクション・マッピングみたいに未来の光景や音が目と耳を通して脳にジョインしてくる能力があります。周りの人はあんま信じてないっぽいが“Creep”をサーカスの客前で披露しアトリエにはプレステのコントローラーとかスマホのスケッチが置かれていることからわれわれ観客の目にはこの人は残虐なカスのナチだがその才能はホンモノだとわかる。
これはなんだかかなりおもしろいそうである。一方その頃イタリアでは人間磁石(+巨大な…)とか怪力多毛症男とか昆虫をテレパシーで動かす人とか常時帯電ピカチュウ少女などからなるサーカス団が戦火を逃れて次なる商売場所を模索中、ということで色々あってこの人たちは例の未来が見えるナチ党員のいるベルリンへと向かうわけで、病的な未来予知ナチVS超能力フリークス軍団! 奇想設定が火花を散らす序盤からバチバチに面白い異能バトルが繰り広げられる予感がするわけである。
だがそんなものはなかった。まぁ無いと言えば嘘にはなるが、異能バトルって感じではないね。運命の衝突みたいな。ナチス崩壊のビジョンを見てしまい避けられない破局へと向かう男とこいつとは対照的に己の秘めたる能力を解放していくフリークスの運命が交錯するところがこの映画のクライマックス。勝敗はハナからわかっているのだしナチの側の超能力者は予知能力の人ひとり、しかも架空の歴史の物語ではなくあくまでも歴史の裏側、第二次世界大戦のほんの片隅で起こった小さな出来事という体なので、大規模な戦闘にはならない。ナチの人が超能力兵士を養成してる(しかし養成中に死亡)みたいな描写はあったから超能力軍団同士の戦いになるのかと思ったんだけどなぁ。
ただ派手な見せ場が意外と少ないからといってつまらないということにはならない。とくに序盤は暴力的で猥雑でありながらも歴史の重みと人の情が香る決して同趣向のアメリカ映画には出せない古典的ヨーロッパ映画の風格があってよかった。最近はすっかりアメリカかぶれになってしまったギレルモ・デル・トロもスペイン時代はこういう映画を撮ってたよな。フリークスと見世物サーカスを題材にしている点からしても『フリークスアウト』の監督がデルトロに範を仰いでいることはほとんど疑いの余地がないが、最近デルトロが第二次大戦中に舞台を移して映画化した『ピノッキオ』はお得意の題材にも関わらずなんだかウェルメイドで面白味のない映画だったので、(今の)デルトロよりも巧くデルトロ的な世界を作り上げることに成功したのが『フリークスアウト』だったんじゃないかぐらい言っていいと俺は思う。
でもデルトロ的な世界を突き破る個性のようなものはあんまり感じられなかったからそのへんがよくできてるけどあんまり面白くは感じなかった理由のひとつ。なんか失敗したくなかった映画って感じだな。この監督はこれが長編二作目らしいし、長編二作目でこれだけの大作っぽい企画を任されたらそりゃ絶対に失敗したくない。それは良いことでもあるが裏を返せば冒険を放棄したということ。様々な奇想も奇想には違いないがどれもどこかで、というか主にデルトロとティム・バートンの映画で観たことがある。ユダヤ人や精神病患者、知的障害者をアーリア人の血を汚す害悪と見なして虐殺するナチスに健常者社会から蔑まれているフリークスが立ち向かうという図式も、たしかに痛快だが少し図式的に過ぎるような気もするし、こちらもなんだか既視感があるのだ。
ヒーロー映画としてこれを観るならフリークスたちがまだつぼみだった超能力を危機の中でついに開花させる! というエピソード0編なのだが、なんか二時間じっくりかけて能力の目覚めを描くっていうのも最近のヒーロー映画にやたら多いパターンだからまたそれかぁとか思ってしまった。この監督の場合は前作『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』もそんな映画らしいから流行りに乗ったというより単純に好きなのなのかもしれない。
まぁでも面白かったよ。過度な期待さえしなければ良い映画。事情をよく知らない感電少女がユダヤ人輸送中の車列に父親代わりの興行師を見つけて「私も一緒に連れてって!」なんて駆け寄るシーンは胸が詰まったね。多毛症男と多毛症女の獣毛セックスをしっかり見せるあたりにも綺麗事じゃねぇんだよという作り手の本気が感じられてイイ。予知能力ナチの屈折したキャラクターなんかもよかった。これはあれだな、異能バトルっていうのを前面に打ち出した日本の配給の宣伝がちょっとダメだったね。そうでもしなけりゃ客が入らんというのもわかるのでこれは抗議とかではないのですけれども。
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異能×第二次世界大戦のフリークス映画なら大御所バートンの『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』がお気に入り。悲しみや痛みを隠すための素っ頓狂というバートン映画らしさが最近の作では珍しくストレートに出てた。