《推定睡眠時間:0分》
どこの国でも学園ものというのは想定観客がティーンエイジャーである都合ポップな演出が施された軽い味わいの映画になるようで脱北した天才数学者を『オールド・ボーイ』や『酔画仙』のチェ・ミンシクが演じると聞いてシリアスな映画を想像していたものだから想定外の軽さになんだか気が抜けてしまった、がそれにしても『オールド・ボーイ』とか『酔画仙』とか古いなおい引き合いに出す作品が。そういえばチェ・ミンシクって名優なのにあんまり最近目立って映画に出てないですよね。名優だからなのかな逆に。まぁ当然ながら俺が韓国映画をそんなに観てないだけでフィルモグラフィーを見れば最近も年一ぐらいのペースで普通に映画に出ていたのだが、それでもミンシクほどの俳優が年一というのはやはり少ないので、仕事は慎重に選んでいるのだろう。一球入魂タイプ。そう頭に入れてこの映画を振り返ってみるとたしかに様々な相貌を演じ分けていてなるほどなとなる。
それはいいとして白けるとまでは言わないが多少興ざめ感があったのは適当に悪い奴が出てきて最後に遠山の金さんもしくは水戸黄門ばりにチェ・ミンシクに撃退されてやったぜな展開になってしまうその志の低さというか、安易さ。韓国のエリート校に通う落ちこぼれと脱北したはいいが数学の才を持て余し高校の用務員として働く北のエリート数学者がその交流を通じてお互いに一歩前へ踏み出していくという筋立てはそれだけで魅力的なのに、どうしてアホみたいな悪役を出して安っぽい鬱憤晴らし展開にする必要あるのだろう。
実際この悪役というのは二人の物語に直接関係せず、二人の抱えるそれぞれの問題とも直接関係しないのである。問題というのは落ちこぼれ高校生の方は韓国の熾烈な競争社会であり、脱北数学者の方は脱北者格差ないし差別である。二人はそれに苦しめられて希望を失っている。であれば、せめて悪役を出すならそれを象徴する存在でなければならないはずなのに、この映画の悪役はそうなっていない。そのことで二人の抱える問題がむしろ後景に引いてしまい、なにか、わかりやすい悪役を倒すことで観客の溜飲を下げて、本当の問題から目をそらしてしまっているように見えるのだ。
軽快さと重厚さの塩梅がよく楽しめる(そしてちょっと感動できる)社会派風青春娯楽映画としてよく出来ているとは思うしチェ・ミンシクの芝居も見応えがあるが、二人のドラマの掘り下げはやや中途半端で、なんだろうな、ちょっと期待が大きかったのかもしれない。取り立てて何か言いたくなるような映画とは俺の中ではならなかったなぁ。ミンシク先生の数学講義にはなるほど確かにそうだと頷きっぱなしでとてもタメになりましたが。
【ママー!これ買ってー!】
『酔画仙』のDVDリンクを貼ろうとしたらAmazonに販売ページすらなくてエッてなってしまった。ということでミンシクの卑劣で気持ち悪い芝居が絶品の『親切なクムジャさん』を。