最終的に俺の売り込みになる映画『怪物』(2023) 感想文

《推定睡眠時間:0分》

ラストは俺だったらこうはしないけどでもまぁおもしろい映画だったなと思ってエンドロールを見ていたら製作に市川南、企画に川村元気の名前を見つけてなんか急に白けてしまった。市川南といえば映画としての質が高くきっちりヒットも飛ばした作品を何本も持つ東宝の名プロデューサーにして今や会社の偉い人だが代表作はなんといっても『桐島、部活やめるってよ』であり、一方の川村元気は言わずもがな『君の名は。』『天気の子』など新海誠作品でもっともよく知られる辣腕プロデューサー。そしてこの映画『怪物』は『桐島』からひとつの出来事を複数の人物の視点ごとに分けて描く『羅生門』的な構成を、『天気の子』から大人たちに対する子供たちの反抗をそれぞれ引っ張ってきてミックスしたような映画になっていて

…と書いたところで一応の事実確認として検索したら衝撃事実発覚、市川南は『桐島』のプロデューサーではありませんでした。まぁそういうことだよね。そういうことなんだよ! ほらこの映画『怪物』って先入観とか偏見とかっていうか、個人個人が見える世界って限界あるよね、その主観の限界を他人と関わることで多少なりとも克服して客観に近づけることもできるよね、そうやって人間は真実とそして世界の豊かさにゆっくりと近づいていくものなんだ…みたいな映画じゃないですか! そのテーマを事実誤認に基づくこの感想の書き出しで俺は体現しましたよ! そうそういうつもりでね! そういうつもりで本当はわざと間違えたんですよわはは! そういうことにしておけそれが大人だ!

とはいえそうと知ったところで白けが覆るわけでもないのはなんだかんだ是枝映画だからなのだった。有名作だからあらすじは触れないでもいいだろう。触れとく? じゃちょっとだけ触れますが安藤サクラ演じるシングルマザーが小学生の息子がどうもイジメに遭ってるんじゃないかと心配したことから事態は思わぬ方向へ動きそして台風が到来します以上。はい本当にちょっとだけね。なんでこんな感じ悪いんだ今日の俺は!

そんなことはいい。で俺がね、これ観てて面白いなと思ったのは良い意味で是枝映画っぽくない気がしたからなんですよ。それもそのはず今回は脚本が他人の作でヒットメイカー坂元裕二の手によるもの。テレビドラマなどは基本観ないので坂元裕二がどんな脚本を書く人なのかは知らないが、少なくとも是枝裕和と同じ方向を向いてはいないことはこの映画の『羅生門』的な群像ミステリー構成からわかる。是枝裕和ってこういう物語の作り方はしない。だいたい一組の家族に焦点を絞ってその家族の変容をドキュメンタリー的に撮っていく。『ベイビー・ブローカー』みたいに登場人物が多く犯罪が絡む場合もあるが、その場合でもミステリーとしてはやらないんですよね。あくまでもヒューマンドラマ。人間がどのような形からどのような形へ変わっていくかが関心事。対してこの映画の坂元裕二脚本は人物の変容ではなくてカメラの視点の変化によって同じ物事が変わって見えるっていう、その変わり方に関心があるわけですよ。

で、こういう異なる視点の導入って要は他者の導入ってことじゃないですか。よく言うでしょう、リンゴは赤く見えるけどその「赤」がみんな同じ風に見えてるとは限らないみたいなこと。これはそのとおりですよね、色盲の人なんかわかりやすいでしょうけどその人にもリンゴは「赤」に見えてるわけですよ、概念の上では。でもその人に見える「赤」と色盲じゃない人に見える「赤」は違う。喩えとして色盲の人を出しましたけど網膜の状態とか目で見た情報を処理する視覚野の状態なんか人によって全部違うはずだから本当はすべての人が同じ「赤」を見てはいない。みんなちょっとずつ違った赤を見てるはずなんですよ。だから異なる視点の導入って他者がそこに存在することを観客に暗示する。

是枝映画ってこういうのがずっとなかったんですよね。親密な家族っていうのは是枝裕和が好んで描くモチーフですけど、その家族っていうのはみんなリンゴに同じ「赤」を見る。というより、同じ「赤」が見える人たちが集まって家族になる。違った「赤」に見える人は家族にいないし、そう見える人は是枝映画の中では悪人とまでは言わずとも冷酷な人として突き放して描写される。身も蓋もなく言えば他者と関わりくないしその視点で世界を見ようとするなんてもってのほかっていうのが是枝映画だったんですよね、これまでの。だから視点の違いによって同じ人が悪人に見えたり善人に見えたりするこの『怪物』は画期的な是枝映画だと思ったんです。

だけど、あくまでも是枝映画として画期的なのであって、それって別に珍しいことじゃない。っていうか他者の視点を意識的に排除しようとする是枝映画が変わっていたのであって、むしろそれ普通のことなんですよね。とりわけミステリーの分野ではそうですよ。だってミステリーなんて探偵小説のスタイルを完成させたエドガー・アラン・ポーの時点で明確に「視点の違い」を描く文学ジャンルだもの。ポーの『モルグ街の殺人』は一種の密室ものだけれども、そのトリックはどういうものかというと実はトリックなんてなかった。密室に見えたのは現場検証した警官たちが部屋に二つある窓の片方を開けようとして開かず、それは釘打ちされていたためだったのだがもう一つの窓も同じように釘付けされていたものだから「あの窓は釘付けされて開かないだろう」と検証を怠ったからに過ぎなかった。そのもう一つの窓は釘が錆びによって折れていたので、開けようと思えば開いたというわけ。先入観から来る誤認が存在しない密室を作り出したということで、ほうらこう書くとまるで『怪物』のストーリーを書いているかのようでしょう…そうでもない? ならいい!

だから視点の違いによる世界の、または物事の見え方の違いなんてのは目新しいことじゃない。現に安藤サクラがやはりシングルマザーを演じていた(シングルマザー芝居が巧すぎるから悪い!)昨年の邦画話題作『ある男』も複数の異なる視点から一人の男の様々な相貌を描いていく『羅生門』型のミステリーだったし、市川南が製作で企画が川村元気、更には音楽が坂本龍一という『怪物』布陣が手掛けた2016年の李相日監督作『怒り』も人間の様々な見え方によって謎とスリルを生む群像ミステリーだった。野木亜紀子が脚本を手掛けた『罪の声』もグリコ森永事件を下敷きにした架空の未解決事件を複数の人物の視点から振り返るという構成だったので、むしろ最近の邦画ミステリーではこうした作りが流行ってるとさえ言える。もっと言うなら『怪物』のシナリオというのはそのブームに器用に乗っただけとも言えるんじゃないだろうか(そして、その中では取り立ててよくできたシナリオとは思わない)

この映画のオリジナリティとか是枝映画らしさというのはしたがって多様な視点のどれかにではなくむしろ排除された視点の方にある。これから観る人の興をそがないために(もう十分そいでいるかもしれないが)具体的には書かないが、主人公格の3人を直接追い込む人、中でも物語的にはかなりの重要ポジションにある一人のオッサンの視点はこの複眼的な物語にあってバッサリと排除されている。そのためこのオッサンはなんだかとても類型的かつ漫画チックな絶対悪として物語を支えることになる。その視点でこの物語を眺め直したら面白かったと思うんだけどなぁ。しかしそこまでの胆力は是枝裕和にないだろう。

でもうひとつの是枝映画らしさというのはラストですよやはり。これも具体的には書かないが、それまでは人は一人だと自分の主観でしか物事を見れない、だから真実を見誤ることがある、なので一人で物事を見るんじゃなくて他人と一緒に物事を見てみよう、とこういう風に進んでいったわけです。ところがラストになって突然この共生志向というか、それまでは外に向けて開かれていった物語が、急にまた共同主観という形で閉じてしまう。

言い換えるとですね、ラスト直前まではこのリンゴって実はみんな違う「赤」に見えていたんですよとやっていたのに、ラストだけ「でも同じに見える人もいますよね」みたいなことになっちゃう。これじゃあそこに至るまでの物語がなんのためにあったのかわからない。いやわからなくもないけど、そんな閉じた世界観を称揚するためにあったの? ってことになっちゃう。まぁその歪さが面白かったのは確かですけど、それを見て思うのって「是枝裕和って本当に閉じた世界が好きなんだな~」くらいで、別にその光景に対する感動とか感銘とかそういうのはないですよ。安藤サクラの母親とか永山瑛太の教師とか、あと学校の憎たらしいウザったいモブガキどものリアルな芝居なんかは素晴らしかったけれどもさ。だからこそそういう「他者」を結局は同じ赤を見れない人として退ける是枝節にもったいなぁ~とか思ったりしたよ。

あ、ところでここまで俺の超上から目線の『怪物』腐しを読んでいただいたみなさんの中には「ケッ! どっかの低能童貞中卒年収200万フリーター(うるさいうるさいうるさい!)が自分では何も作れないくせにネットで吠えてやがるぜ笑」と思っている方もいることでしょう、そうでしょう。とくにカンヌ映画祭で偉いんだかなんだかよく知らない脚本賞なる栄誉を受け取ったこのスバラシー脚本をこんなもん流行りに乗ってるだけとこき下したことについてそう思っている人も多いことでしょう、そうでしょう。ほっほっほ、ならば実例を見せてさしあげよう。脚本家志望の俺はこのブログに過去脚本賞に応募し見事撃沈した数々の完全未映像化をPDFでアップしているのだが、その中に2年前のフジテレビヤングシナリオ大賞の二次選考まで行ってそこで落ちた『誘拐のフーガ』という脚本がある。これは『怪物』と同じような…ということもないが構成としてはよく似た、ある誘拐事件を複数の別視点から眺めることで謎が明らかになっていくミステリーで、その少し前に映画館で観た韓国映画『藁にもすがる獣たち』がそんな構成を取っていてまぁまぁ面白かったから早速影響されて一週間ぐらいで書いたものだ。

これぐらいね書き方さえわかってりゃ誰でも書けるんだよ。映画館で観るとウワーなんだかすごいシナリオだな~って感心しちゃうけど後から冷静に分析すると大したことなんかやってないんだ。ということで全国の「カンヌで偉い賞を取った坂元裕二を起用してなんか映画とかドラマとか作ったら会社の偉い人に褒められるだろうけど坂元裕二忙しいだろうしギャラとか高そうだからな~」と甘いことを考えている映像プロデューサーのみなさん! 坂元裕二は雇えないかもしれませんが100円ショップで売ってる版の坂元裕二もどきアマチュア脚本家の俺なら比較的安価に雇えますので俺を雇え! そして俺の年収を300万に引き上げろ! もしくは単に300万くれ! お金ほしい!!!

【ママー!これ買ってー!】


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こちらも複数の視点を切り替える群像ミステリーなのだが、事件の中心人物が目の死んだ笑顔を浮かべる永山瑛太。『怪物』でも永山瑛太の不気味な笑顔がフィーチャーされていたので、是枝裕和この映画観て「瑛太ならいける!」と思ったんじゃないだろうか。

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