《すいていすいみんじかん:10ぷん》
いつもは、このぶろぐではとしそうおうにかんじもつかってえいがのかんそうをかいているのですが、こんかいはまだむずかしいもじのよめないちゃいるどきっずにはいりょして、すべてひらがなでかいてみようとおもいます。いや~ゆかいなえいがたいけんだったなぁ。ははは、えいがなんておれもうこんぐらいでいいよ。しゅじんこうのぷしゅぷしゅがたおるでかおをふくとあらふしぎたおるのようせいがなんのりゆうもなくたんじょうしてしまうとどうじにぷしゅぷしゅのほっぺのまるがどこかへとんでいってしまったではありませんか。でもきにしないでねむくなっちゃったぷしゅぷしゅはねるんですそしたらたおるのようせいにゅうがへんしんといってもおまえそれてんかいしただけやないけというへんしんをしてぷしゅぷしゅのおふとんになるのです。へいわ!なんというへいわ!しあわせせかい!そのごふたつというのかにひきというのかわかりませんがとにかくぷしゅぷしゅとにゅうはきえたほっぺのまるをさがしてうちゅうへとびたつのです。
なぜうちゅうにほっぺのまるがあるとおもったのか? それがなくなってしまうとぷしゅぷしゅにどんなししょうがでるのか? そんなせつめいはありませんよだってこれはまだうえのけもはいえそろっていないようなおこさまむけのじょうそうきょういくあにめのえいがばんですからね。そもそもえいがになんでもかんでもせつめいをもとめるのはまちがってますよ。せつめいなんてのはねじぶんののうみそでかんがえることのできないしこうりょくのたりないおとなのためにあるものなのですからこうきゅうなものどころかむしろはずべきものです。にゅうようじちゃいるどはがらがらみたいなおもちゃであやしてあげないとないちゃいますししゅうちゅうりょくもつづきませんがにゅうようじちゃいるどのがらがらにそうとうするものがおとなむけといわれているえいがにおけるせつめいなのです。こっけいですねせつめいがないといってぷんすかおこりだしたりこれはよくないえいがだなどとじぶんのしこうりょくぶそくをたなにあげておこることのできるおとなはぷぷぷ。きみたちののうみそれべるはにゅうようじいかだよ!
さてさいしょにいくのはうきよえほしといってうきよえがうごいているほしです。ほしにちゃくりくしたとたんにきょうあくなほしのいんりょくによりぷしゅぷしゅとにゅうのかおまでうきよえふうになってしまいふたりがたんさするそのせかいはうきよえなのにびじんがでぃーじぇいがちぇけちぇけいわせていたりするなぞにげんだいなふしぎくうかんでしゅーるです。なんだかけっこうまえにじゃんぷでれんさいしていたぎゃぐまんが『いそべいそべえ』をちょっとおもいだしたな。あれれんさいまっきはさくしゃのねたぎれかんがほんとうにいたいたしくてよみきりからよんでいたおれはせんせいむりせずもうやすんでくれそしてじゅうでんしてふたたびじゃんぷにいやまぁじゃんぷじゃなくてもいいんだけどぎゃぐまんがかいにふっきしてねとおもってましたよ。かんわきゅうだい。
そのほしでいちばんおもしろかったのはえんにちになぜかこうじょうのらいんのようなものがあってつぎからつぎへとでてくるけーきにいよっいよっていいながらいちごをのせているしょくにんがいるんですけどそのらいんをめでおっていくとべるとこんべあーのさいごにはいちごをぱくりぱくりとみえをきりながらたべるかかりのひとがいていやいちごくっちゃうのかよそこで! けーきは!? けーきはべるとこんべあーのまったんにあるやみにおちてきえてましたってじゃあなんだったんだよけーきにいちごのせるかかりのひと! めっちゃなぞでおもしろい。
それからぷしゅぷしゅとにゅうはいろんなほしをめぐるのですがどのほしもことなるぎほうでさつえいされていてあるほしではおーそどっくすなにんぎょうげきのようになりあるほしではえほんちょうになりといったぐあいにたさいなぎほうでおれとにゅうようじたちをたのしませてくれます。よろれいひーのうたがながれるよろれいひーのほしなどゆかいであったな。よろれいよろれいよろれいひー! おれはおとなですからもらえなかったですけどにゅうようじとそのおやごさんならこのえいがというかさいきんのえいがばん『あんぱんまん』とかもそうですけどおうたとおどりのしーんでこどもたちがならしてあそべるようにみにたんばりんがもらえます。『ぷいぷいもるかー』のげきじょうばんではおとなのおたくたちがこのしすてむをあくようしてさむいかんじにもりあがっていたな。それはどうでもいいがよろれいひーのしーんではにゅうようじちゃいるどたちみにたんばりんをならしてたのしそうでしたれいひー。
ものがたりのあいまあいまにはおもしろいおとがたくさんなるしーんなどがそうにゅうされます。にゅうようじはおもしろいおとがたくさんなったりするのがだいすきだからな。どしん、がちゃん、ごとっ、がたんがたんなどさまざまなえすいーがさまざまなおぶじぇがたおれるとどうじにひとのこえでなってさながらみるおもちゃ。おれもおとなながらみごとにそのしかけにはまって「このおぶじぇならがちゃんかな…え、ごとっなの!?」みたいなかんじでたのしめましたよははは。なかにはわけのわからんおぶじぇもあったりしてね。ろけっととかつみきがたおれるのはえすいーがよそうできますけどなんかけいようしがたいけいじょうをしたようとふめいのなぞのおぶじぇががめんにあらわれたときにはよそうをくつがえされてあたまが「!?」。い、いったいこれはどんなえすいーがなるんだ…どしんなの!? おとなをもどうようさせるあなどれないえいがである(ちゃんとしたおとなはどうようなどしないとしても)
こどもむけこうぎょうゆえじょうないはつうじょうのえいがのはんぶんぐらいのあかるさでないちゃってもだいじょうぶだよこえをだしてもきにしないでとさいしょにあなうんすがあり、まっくらやみのなかでたんしんえいがのせかいにぼつにゅうすることをよしとするふつうのえいがのこうぎょうではあじわえないゆるいくうかんにはなんだかえいがかんでえいがをみるとはどういうことかとかんがえさせられるところがあったし、しんしんともにたいへんりらっくすができた。これはおとなこそ、とはいわないけれどもえいがかんなれしたおとなにもぜひみてもらいたいね。いろんなかたちといろとおとがあふれていてえいがじたいもたのしいし、うすあかりのなかでしんけいをとがらせることなくゆるゆるとえいがをみるたいけんをすればいかにふだん「えいがかんまなー」にしばられてじゆうにえいがをみることができていないか、おとなならはっとするんじゃないだろうか。
こどもにはたのしくおとなにはきづきをあたえるこのえいが、とてもよろしかったとおもいます。ちなみにたびのけつまつはねてたのでわかりません(でもべつにそれでいいやとおもえるおおらかさがこのえいがにはあるのだ)
【ママー!これ買ってー!】
このようないっけんしてどんきのようなしそうしょもあんがいのうみそのやわらかいこどものほうがするするとよめるのではないか。よめるわけないだろ。