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ここ何年かのディズニーの新規IPの作れなさにはとくにディズニー映画好きというわけでもない俺でもなんか知らんがガッカリさせられるところがあり『スター・ウォーズ』とかもそうですが過去のヒットコンテンツに完全に頼りっぱなしでクリエイティビティのカケラもねぇなマジでいや現場のクリエイターではなく経営陣がということですけどね! なんである。そりゃ新しいのもゼロというわけではないよ今度やる『マイ・エレメント』とか。でもなにあれ全然魅力的じゃない。キャラもストーリーも絵も発想も、そりゃ実際に完成品を観てみないことにはわからないけれども魅力的じゃあないよ。
経営的には金に物を言わせたストリーミングサービスのディズニー+の好調もあって上手くいってんのかもしれないけどもうディズニーは死んだな。会社としては生きてるけどクリエイター集団としてのディズニーは死んだ。今後はもうかつての『ピノキオ』や『ファンタジア』や『ダンボ』そしてこの映画のオリジナル版『リトル・マーメイド』みたいな見事な職人芸と想像力の豊かさに惚れ惚れとさせられる作品をディズニーは作ることはできないであろうというわけで実写版『リトル・マーメイド』の感想ですが! 思ったでしょう、こんな身も蓋もない腐しから入ってるから最悪な評価だろうって。逆。ディズニーの既存IP寄りかかりシリーズの中でいちばん面白かった。俺はこういう意外性の人間なんです!
いや本当に一番面白かったよだって実写版『アラジン』なんかウィル・スミスのジーニーしか覚えてない。ほかに何が映っていたか、どんな曲があったか、主人公アラジンの顔さえどんなだったか覚えてない。実写版というかフル写実CG版の『ライオン・キング』だって印象的な絵なんてぜんぜんなくオリジナルに忠実な脚本や絵作りを採用したことでかえってセルアニメ版の職人技が台無しにされたマイナス面ばかりが印象に残った。でも『リトル・マーメイド』はそういうところがない、ちゃんと実写版ならではの面白さが作れてるのだからそれだけでも最近のディズニー映画としては上の上出来というべきだろう。それを新規IPでやってくれと思うのだが。
具体的に言えばまず海の中の世界を縦横無尽に人魚アリエルとカメラが動き回る映像ね。ウワァなにこれめまいがしそう! ミュージカル・シーンになるとそこに派手な彩色がキモいウミウシとか海藻類がぐねぐねと舞ってまるでLSDでもやっているようだ! 歌も良い。歌というか曲がよく実は元の『リトル・マーメイド』は観てないので元曲との比較はできないのだが、おそらくはカリブ海諸国をイメージした架空の王国を舞台にしているため主要ナンバーにはカリプソ的なアレンジが施されているようだ。
これは新しい気がした。ヨーロッパの童話や児童向け文学からネタを採ってきた(『アラジン』にしてもそのアラブ世界像はヨーロッパの構築したアラブ世界像なわけである)ディズニーだから当然なのだが、その世界観は基本的にヨーロッパ的なもの。近作では南米ネタの『リメンバー・ミー』もあったが試行錯誤の観は否めず、ラテン・ファンタジーを確立したとまでは言いがたい。でも『リトル・マーメイド』のカリプソ曲は違和感なかったですね。曲自体も完成されているし目まぐるしくノリの良い映像とも調和してたんだよ。
しかしなんといっても良かったのはよくわけのわからないところだな。褒めてるのか? 安心してください、褒めてますよ! とにかく明るい人のようになってしまったがこの『リトル・マーメイド』、なんかよくわからない。とくに終盤は何がどうなってるかわからんがたぶん悪もんがやっつけられてめでたしめでたしになったんだろうよくわからんがとぼんやり思ってるうちに終わった。…褒めてるのか? だから褒めてるから安心しろ!
こういうことは映像関係の人がよく言うんですがハリウッド映画って厳格に構造化されてるんですよね。ほとんど例外なく起・転・結の三幕構成になっていて、その中で主人公は自分の弱さに直面しそれに関連したなんらかの障害を乗り越えて人間的に一回り大きくなる、それを通して観客は何かしらの教訓的メッセージを受け取る…これに準拠しない脚本というのはハリウッド映画では砂山の針ほどもないと言っても過言ではない。みなさんもなんでもいいので好きなハリウッド映画を頭に浮かべてもらえばそれが以上の構造になっていることが容易に確認できるだろうと思う。
で、そんなハリウッドの、しかもその中央に堂々鎮座する天下のディズニーの、更に世界的に知られる大ヒットコンテンツの実写版であるこの『リトル・マーメイド』、そんな悪条件(?)にも関わらず三幕構成と成長物語のハリウッド定型から著しく外れていたんである。これは地味に革新的なことではないか? とにかくなんかよくわからん映画なのだが、なんかよくわからんのは三幕構成にも成長物語にもなっていないからなのだ。いったいいつ起・転・結の起があっていつ転があってそしていつ結があったのか? よくわからない。この物語を通してアリエルはどんな障害をどう乗り越えどのように成長したのか? またアリエルの人間的な弱みとはなんだったのか? あるいはここから得られる教訓は? これもよくわからないのである。
三幕構成と成長物語、そして教訓は単にハリウッド脚本の定型であって、普遍的な物語の法則というわけでは当然ない。とくに民話や神話などはこうした構造から外れていることの方が多く、日本神話でもイザナギとイザナミが日本列島(葦の集まりとかだという)に降り立った時には既にそこに人間がいてその来歴は語られないので起・転・結の起が欠けているし、イザナギとイザナミがとりあえず子供を産んでたらイザナミが死んで残されたイザナギはイザナミを求めて黄泉の世界に自分から入ったくせに死んだ妻の顔を見たらめっちゃ腐敗して汚かったから逃げた…というエピソードから少なくとも現代人がなんらかの教訓を得るのは不可能だろう(子供作りは計画的に、と読めないこともないとしても)
基になったアニメ版は観ていないから知らないし元ネタのアンデルセン童話も読んだことはないので比較はできないが実写版『リトル・マーメイド』の作りはハリウッド的であるよりも民話・神話的であったように思う。中沢新一などは民話や神話にみられるこの不合理性になにやらオカルティックな革命性を見ようとするが、そこまでは言わないとしてもこれは俺にはかなり痛快に映る。ひとつのモチーフのために各部が作られ下部が上部に従うヒエラルキーを形成するのがハリウッド映画だしアメリカ式合理的ものづくりというものである。
けれどもこの映画はひとつのモチーフにその他の要素が従属しない。あり合わせの素材で編まれたブリコラージュの観で、各部がそれぞれ独立してバラバラに存在しながらも一つの映画の中で共存しているのが実写版『リトル・マーメイド』であり、なにか、人間尺度の物語とヒエラルキーではなく生物の生態系とエコノミーを捉えようとするかのようなその視点は、お城をトレードマークに抱くディズニー王国に対する痛烈な批判を内包してさえいるだろう。お城というのは言うまでもなくヒエラルキーの頂点を意味する図像なんだから。
ぶっちゃけて言えば顔がブサイクだったり身体のつくりが西洋人から見て気持ち悪いからとサメやウツボやタコが問答無用で悪者になる一方で七海を治める人魚ーズはハイパーエクセレント美人ばかりという海産物ルッキズムの強烈さには最初うへ~となったが、観終わってみればこれとても素朴であるぶん残酷だったりする民話・神話の感性をダイレクトに反映したものと見えてむしろ好印象だし(悪者にも悪者にならざるを得なかった理由があって本当は可哀相な人なんです同情してくださいという偽善がぬけぬけとまかり通るのが最近のハリウッド映画なのだからね!)、タコの魔女の「お前に人間の足をくれてやるが王子様と三日以内に真の愛からのキスをしなければ足が魚に戻るだけでなくお前の魂を私がもらって私が王位継承者になるのだ!)とかいう呪いの筋の通らなさも、終盤とつぜん魔女が巨大化して襲いかかってくる展開の前触れのなさも、ほんとうによくわかんなくてサイコーである。
こういう豪快な作劇は最近のハリウッド映画ではとんと観なくなったからな。まだハリウッド映画終わってないなぐらい思ったよ。これはおもしろい映画、おもしろいディズニー映画というだけじゃあなくおもしろいハリウッド映画だ。よくわからんが大いによかったです。
【ママー!これ買ってー!】
観てないから知らんがオリジナル版はもっとなんていうかちゃんとした整った映画な予感があるのでオリジナル版が好きな人は実写版なんじゃこりゃかもしれません。俺もこのオリジナルを観てみ…オリジナル…版?
確かに面白かったんですが一つ気になった所がありまして、、
序盤の30分、流石に画面が暗すぎませんでしたか?自分は船のシーンとか何が起きているのかよく分かんなかったんですよね。
去年でいうTHE BATMAN級に見づらいシーンでしたね。
自分はとくに暗くは感じなかったんですが、もしかしたらご覧になられたシアターの映写に問題があるのかもしれません。前に渋谷TOHOで『ハン・ソロ』を観た時に本当に画面が暗くて全然ダメだったんですが、他の劇場で観た人にそのことを言ったら全然問題なかったって言ってました。で、また別の映画を同じシアターで観たらやっぱりそれも画面が暗かったんです。
TOHOに顕著な気がしますがシネコンは客効率を最優先してシアターを作りがちで、そのため映写が犠牲になっていることが多く感じます。具体的には、映写機からの映像を映すシルクスクリーンはスクリーン後ろのスピーカーの音を通すために有孔になっていることが多いのですが、この場合は無孔のものに比べて反射率が悪くなり、画面はそのぶん暗くなります。また、大きなシアターではシルクスクリーンが反射した光を周囲の壁が再反射率することでシアター内が明るくなり、相対的に画面が暗く見えます。
おそらくそうした条件が重なって、同時に映写機の光量自体も少ないなどで暗く見えたのではないでしょうか?
あー確かにTOHOシネマズで見ました!!もしかしたらそれが原因かもしれないです。
初めて行く劇場だったのでこういう物なのかなと思ってました。
詳しい情報有難いですm(._.)m
悪いシアターに当たってしまわれて(かもしれない)ご愁傷様です…個人的には、そうした理由もあってできればTOHO以外のシネコンで映画を観るようにしてるんですよ。TOHOはシアターの出来不出来のバラつきが激しくて…
これ、ハッピーエンド風な終わり方でしたが、私には失楽園にしか見えませんでした。そもそも、なんで失楽園があれだけ流行ったのかも謎ですが!ポリコレって何ですか?パリコレのファッションですか?教訓があるとすれば、半分魚の水面下の生きもののクセして、ホントの王子じゃない流れ者のクセしてわがままを野放しにすれば、地図にない場所を求めて彷徨い、海の泡になるしかないのよッ!と、観ている側は安心する。海に溺れた王子を助けられるのは半分魚の私だけなのよ!という、依存症(この人は私がいなければ生きられないのよ・・・みたいな)にも似た魔法にかかっただけのようにも見える。主題歌はコナン(観てないケド)の主題歌、スピッツの「美しい鰭」の方がハマるような気が致します。ロックなスピッツの歌を聴きながら反芻してみて下さい。
スピッツは音源持ってないので聴けませんが…現代的な価値観に照らし合わせるとずいぶん古風で保守的な物語ではあるんですよね、これって。俺はだからこそ民話っぽくて面白いなと思ったんですけど、たとえば子供の教育の一環として何か映画を見せるとしたらこれは選びません。『もののけ姫』とか『インサイド・ヘッド』とかを選ぶと思います。だから本当は大人の観客であればこの映画のポリコレなんか形だけの偽善的なものって理解して観なければいけないんですよね。みんなそんな真面目に観ないのでなかなか難しいんですけど。
ちなみにポリコレはポリドール・レコードのザギンでシースー的な略だと思われます。
無粋なツッコミかもしれませんがこれ買って!のとこのリトルマーメイドがオリジナル版じゃない!
ほ、本当だ!騙された!なんか面白いのでリンクはそのままにしておきます!
やっぱりこれかなり神話的ですよね?
トリトン王から生まれた人魚姉妹が、それぞれ別の地域の海を治めている、そしてコーラルムーンの日だけ集まる…という実写オリジナル設定からしてめちゃくちゃ神話的ですし、姉妹ごとに人間部分の人種が違ったり、下半身魚と下半身タコが兄妹だったり…っていう「きょうだいだけど見た目が大きく異なる現象」も神話あるある。
(ただ姉妹間の人種が違ったり下半身魚のトリトンと下半身タコのアースラが兄妹だったりするのは実写より前に上演された舞台版の設定と同じだったりします。)
アニメ版は、実写ほど分かりやすく姉妹間の見た目に違いがあるわけではなかったです。ただ魚部分の色はバラバラだったんでアニメ版も魚種は違うのかも。
ちなみにアニメ版も展開的には結構無理があったり「このシーンいる?」みたいなところがあったりで、わりとむちゃくちゃです。これについては当時の製作陣も言ってるくらいですw実写の方がまだ整合性ある感じ。
私はこういう民話的だったり神話的だったりする映画が好きなので、かなり気に入りました。主役の役者も魅力的だったし。
追記
そもそもこの話ってオリジナルアニメ版からして「主人公の人魚が魚やカニと会話できて普通に友達みたいな感じなのに、魚カニをモリモリ食う人間とその世界に憧れる」っていう無茶な設定がどーんとあるので、それもあって今回の映画みたいな民話神話っぽいふわっと感でリアリティラインを下げないといけないのかもしれません。しゃべる魚カニがリトマの見所でもあるので、ここは変えられないみたいですし…。
×トリトン王から生れた
〇トリトン王とその妻の間に生れた
よく考えると整合性なんか無茶苦茶で作ってる人間の都合欲望丸出しの物語なんですよね笑
最近のディズニーはこういう非論理的な映画はあんま作ってなかったと思うので(ピクサーの影響かもしれません)今の時代にこれか!と、ちょっと意外でしたよ。メキシコものの『リメンバー・ミー』とかはベースは民間伝承とはいえ非常にアメリカナイズされた理詰めの、良い意味でも悪い意味でもストンと腑に落ちてしまう物語だったので。
この実写版『リトル・マーメイド』は腑に落ちないから面白かったですし、腑に落ちないからこそ主演が誰でも別にいいよどうせなんでもありの世界だしみたいな神話的大らかさがあって良かったと思います(その大らかさを感じ取れる人は残念ながらそう多くないようですが)