ソウル&パッション映画『絶唱浪曲ストーリー』感想文

《推定睡眠時間:0分》

たまに落語を聞くといっても寄席ではなく落語会であることが多いので寄席に通っていれば聞く機会もまぁまぁあるであろう浪曲はそういえばちゃんと聞いたことがなく、『ブレードランナー』の終盤デッカードがブラッドベリ・ビルを訪れる時に上空を通過する広告飛行船から聞こえてくるあれが俺の中で浪曲のイメージだったものだから、この映画『絶唱浪曲ストーリー』に登場する浪曲師・港家小柳と三味線の人(すいません名前忘れました…)の捻る浪曲のダイナミズムにグワシとハートを掴まれてしまった。

なんというのでしょうなこれはその、最近はほらラップとかが流行ってますしボカロとかのネット音楽の影響を受けてボカロっぽい歌唱をやるアイドルグループとかも流行ってますでしょう。それでラップっていうのはアフリカ・バンバータがクラフトワークの『ヨーロッパ特急』をサンプリングして使ったことでそのスタイルが広まったくらいだから同じフレーズをループするトラックの上に歌を楽器の一つとして載せる、あまり歌い手の感情を感じさせない機械的な音楽じゃないですか、歌詞の泥臭さに反して。それでボカロっていうのはもうそのまま機械、というかプログラム、その歌唱を人声で再現するYOASOBIなんかはあえて人間的なものを歌から廃しているわけですよね。もっと伸びやかに抑揚を付けて歌うadoにしたってどうもその抑揚というのが単にテクニックでつけているだけというか、パラメータを調整してボカロを人声に近くしているようなつまらなさがある。歌にその人の表情が見えない。だからadoが素顔を明かさずに音楽活動を始めたというのは象徴的だなぁとか思うんですけど。

で、俺もポピュラー音楽における非人間歌唱の元祖のひとつクラフトワークが一番好きな音楽グループかもしれないぐらいなのでそういう歌い方そのものが悪いとは思わないとはいえ、歌っていうのがさ、なんか世の中的にもうそういうのがむしろ標準って感じになっちゃうとやっぱり違和感てある。もっと豊かなものじゃないかって。歌、本来はもっといろいろなことが表現できる面白いものなんじゃないかって思って…それでそこに港家小柳の浪曲ガツンと入ってきたんですよ。もうもううねるうねる、上へ下へ、止めて早めて、情感たっぷりに歌い上げたかと思えばその直後には冷徹な語りに変貌する、変化自在自由闊達な唄、そしてそれにまったく動じることなく、それどころか歌と絡み合いときに歌を先導する三味線の激しい音色、ヨッ! ハッ! のエネルギッシュなかけ声。ニーナ・シモンとジミ・ヘンドリックスがセッションしてるのかと思った。いやはやこんなに豊かで面白い芸だったんですねぇ浪曲って。

それで映画はその港家小柳に弟子入りした若手浪曲師・港家小そめを主な被写体として小柳の引退と小そめの名披露目興行までを描くのですが、この小そめという人が最初なにを考えてるのかよくわかんない。歳はアラフォーぐらいで100歳で現役の人も存在する浪曲の世界ではまだまだ子供。浪曲師になりたくて弟子入りしたという感じでもなく、本人の言によれば小柳の浪曲に感激してファンの人主催の親睦会に行ったら成り行きで弟子になったらしい。だから見ていてなんか不安になる。師匠との会話を聞いていてもなんだか冷たいというか、心を許していない感じがあるし、浪曲師としてやっていくつもりがあるのかないのか今一つわからない。現代的な人なんですよねつまり、若いから。もしかしたらそれが機械的な歌が流行る背景になってるのかもしれませんけど、今の日本の若い人って感情をストレートに表に出したりハッキリと自分の意見を言うことってしないっぽいような傾向があるかもしれない雰囲気が感じ取れる的な気がしないでもないじゃないですか。断言すると老害認定される可能性があるので俺もリスク回避で直言を避けてみたわけですが。

でもそういうのってなんか、息苦しいし、だいたいつまんなくないすか? というようなことは他ならぬ小そめさん自身が感じているらしいことが劇中の発言で明らかになる。それを聞いてなんだか得体の知れなかったこの人がどんな人か、それはあくまでもこの映画が切り取ったフィクショナルな一面に過ぎないのかもしれないですけど、少しわかった気がしたな。この人普段は自分が感情を表に出したり意見をはっきり言ったりしないからこそ、それを見せる芸である浪曲に惹かれたんじゃないだろうか。それから弟子入りが好きなのかもしれないすね~なんて冗談めかして言うんですけど、浪曲師になる前なのか今も二足のわらじなのかはわからないが小そめさん小柳さんに弟子入りする前はちんどん屋に弟子入りしてた。で、ちんどん屋に親戚の集まりみたいな雰囲気を感じてたみたいなことを言うんですよ。

演芸の世界ってちんどん屋でも落語でも浪曲でもそうでしょうけど徒弟制度なんてあるぐらいだからやっぱ人間関係が濃い。それは良くも悪くもで、人間関係が濃いからこそ喜びもあれば衝突やストレスだってある。徒弟制度なんて「仕事を覚えさせる」という観点から見れば甚だ不合理だよね。だって弟子が楽屋で師匠お茶ですどうぞみたいなことをいくらやったところで芸に直接的には反映されないもん普通。でもそうやって型に入る、家族的繋がりの中に自分を位置づけるって、まぁ個人の意志と自由がなにより大事という現代日本のとくにネットなんかではめちゃくちゃ不人気ではありますけど、それで救われることっていうのは確実にあると思うんですよね。だってなんでも自分を中心に置いて考えると寂しくなったりするもん。自分を動かすのは自分だけっていうのはそれはそれで自由かもしれないけれども結構しんどいもんです。

映画で描かれる数年間で小そめさん、何が変わるって芸の上手い下手とかじゃないんですよね。自分の殻にこもり気味で深い人間関係を拒絶とまでは行かなくともなんとなく避けていたようないかにも若い現代日本人なこの人が浪曲の世界を通して、師匠との関係を通して少しずつ自分を外の世界に開いていく。途中に出てくる稽古の場面で小そめさん、ずっと綺麗な声ばかりだと退屈だから汚い声も出せってアドバイスを受ける。そのシーンでの小そめさんの浪曲というのは台本を間違わないことを最優先にしているような感じで歌声は綺麗だけれども人間的な情緒が感じられなくて硬い、冷たい、あんまり面白くない印象があった。大丈夫なのかなこれって思いますよね。でも名披露目興行の前口上で小そめさん「惚れて惚れて入門いたしましたので後悔などはありませんが…」と師匠への思いを語りながら声を震わせる。俺そこで初めてこの人の素顔を見たな、汚い声を聞いたなって思いましたね。

そう見ればなかなか見事なイマドキのワカモン成長物語なこの映画だが、一方でまた浪曲の世界の、そして港家小柳の晩年を捉えたドキュメントとしてもたいへん見応えがあった。いやー病気で寝込んだ時に昔の自分の浪曲をテープで聴いてねぇ、もうまともに喋れないぐらい衰弱してるのに手は曲に合わせてビートを刻むなんてシーンはすさまじいね。芸が骨の髄まで染みついている。死の淵に追いやられても芸は捨てない。その光景は美しくもあり、悲しくもあり、そしてまた恐ろしくもあった。達人の境地に達した芸人はここまでになるのか。なにか芸というものの持つ狂気にも似た力を見た気がするよ。老夫婦でも片方が死ぬともう片方が一気に老け込むみたいなことがあるが、舞台に立てなくなってからの港家小柳の老化はあまりに早かった。芸が人間・港家小柳を生かしていた、という面は少なからずあるんだろうなぁ。それだけに、自ら体力の限界を悟って舞台を降りるシーンは痛ましかった。芸に生きて芸に生かされてきた達人がその道を絶つ瞬間を、この映画は克明に捉えている。

芸の世界に生きるということは楽なことじゃない。その厳しさをカメラに収めつつ、けれども芸の世界だからこそ残る人間的な温もりや成長の機会もこの映画はカメラに収める。誠実な映画だなぁ。誠実でそして静かにアツい、こりゃあ面白いドキュメンタリーでしたね、『絶唱浪曲ストーリー』! あと港家小柳が飼ってる猫めっちゃ大人しくてかわいい。

【ママー!これ買ってー!】


100歳で現役!~女性曲師の波瀾万丈人生~ Kindle版

>劇中で港家小柳の相方的存在だったレジェンド浪曲師・玉川祐子とはどんな人なんやという本らしい。

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