《推定睡眠時間:45分》
俺言うところの新橋系映画でベタにベタを重ねたよくあるオカルトものだったからとくに言うこともないなと思ったのだがネットの評判はすこぶる良くファンアートなども盛んに投稿されたりしているらしい。なんで? 不思議だったので一応そのへんに目を通してみると第一に主演が熊体型のラッセル・クロウ、第二に若手神父とのバディものの側面があるから、というようなことが理由のようだとわかった。
いや、わかってもわからないんだけれどもさ。なんなの、今の日本の人の熊みたいなオッサン役者に対する過剰な愛着。『RRR』も超特大ロングランヒットだしなんかそういうのあるの、強くて包容力のある父親のイメージを求める願望みたいなの。あとバディものだからなんなんだよって思うんだよ俺は。バディだったら映画面白くなるんか。…なる、と感じている人が世の中の大多数だからドラマでも映画でもやたらめったらバディバディバディなのでしょうな。
あぁ。なんだか、時代というのは簡単に前へは進んではくれないものだなぁ。実話を謳う悪魔憑きのオカルト映画というところを見てもこの映画を構成する要素ときたら70年代か80年代のそれ、アップデートアップデートと進歩主義的な人は言うものだがこんな映画が流行るくらいなのだから世間の感性や願望なんか頑張っても80年代末で止まってるんじゃないだろうか。いかにフェミニズムがブームになろうが結局のところ大衆は強い父親に守られたい=支配されたいと願っているし、いかに新興宗教が問題になろうが依然として大衆は幽霊や悪魔の存在を信じているのである。
実際のバチカンのエクソシストに密着したドキュメンタリー映画『悪魔祓い、聖なる儀式』のフィルマークスレビューを読んでいたら呆れてしまった。というのもレビューを寄せている多くの人が「劇中に出てくる人は悪魔憑きではなく精神疾患を患っているように見えました」などと書いているんである。中には本物の悪魔祓いを見たかったのにこれではお仕事ドキュメントではないかみたいなことを言っている人までいる。俺は高校を中退しているので最終学歴が中卒という大学全入時代の現代日本では珍しい低学歴者だが、そんな俺でも悪魔憑きなる現象は実在せず、ただキリスト教の世界観の中で精神の何らかの異常が悪魔憑きとして解釈されているに過ぎないということはわかっているので、世間の人も当然それを前提として『悪魔祓い、聖なる儀式』を観ているのだろうと思った。だがどうやらそれは買いかぶりであったらしい。
『ヴァチカンのエクソシスト』とは別の「実録」オカルト映画の人気シリーズの感想をネットで見ていたら「まさかこれが実話だなんて!」と驚いている人もいたな。それも一人や二人ではなく。言うまでもなくこの場合の「実録」は『ほんとうにあった怖い話』の「ほんとう」と同じ意味であり、文字通りの意味で実録ではないのだが、世間の人の大半は「実録」と書いてあるものは文字通りに受け取るらしいというのは、いつまで経っても振り込め詐欺のようなものがなくならない日本の病理を側方から説明するものかもしれない。
…こんな単なるオカルトエンタメで飲み屋の愚痴みたいな感想を書くんじゃない。はいすいませんでした。そうね『ヴァチカンのエクソシスト』、目新しいところとか捻ったところはなくとくに見所らしい見所もないオーソドックスな映画ですが、悪魔と神父さんの戦いはCGたくさん使って血まみれ人体が爆破! みたいな楽しい描写も少しあります。そのCGバトルもぶっちゃけもう飽きたけどな。もういいんじゃないそういうのは、『死霊館』シリーズだけあれば。そんなにこういうの観たいのアメリカ人。あとアメリカ人が面白がっているものこそ面白いものなんだと思ってる日本人。
別に悪い映画とは思わないがいちいち騒ぐような映画か? ということで厭世観ただよう感想になりましたが、サメ映画みたいなもんでB級オカルト映画としてとくに期待せずに観ればわりあい楽しめるとおもいます。新橋文化で出会いたい映画だったねこれは。
【ママー!これ買ってー!】
『悪魔祓い』というから悪魔祓いの歴史とかの本かと思ったら全然そういうのではない文明論みたいなやつらしい。
アオッテンジャネェ!で日本だと愛され路線に入ったのだと思われる、ラッセル・クロウ
あの映画のラッセル・クロウかなり怖い暴力男だったのに!やっぱギャップなんですかねぇ。巨体だけど愛嬌があるのがたまらんみたいな。マ・ドンソクも女性ファン多いみたいですし。