《推定睡眠時間:10分》
小学生の男の子同士の友情と三点リーダを描くこの映画第75回カンヌ国際映画祭のコンペ部門グランプリ(最高賞パルムドールの一個下のやつ)を獲ったそうで第76回の方ではみなさまご存じの小学生男子映画『怪物』がクィア・パルムと脚本賞を受賞しているので何故だかは知らないが最近のカンヌは男の子同士という関係性に弱いらしい。ここ日本でもショタものは腐女子中心に一定の人気があるジャンル、ついにショタ萌えがフランスでも理解されるようになったということだろうか。ロリコンに厳しい国フランスも21世紀に入って少しずつ価値観が変わってきているのかもしれない。そういう目でこの映画を観る客はいないかもしれないが。
でどういうお話かといえばですけれども共に農家をやってる二人のかわいらしい男子がおりましてこいつら毎日お互いの家に泊まり同じ布団で眠るくらいの大仲良し、だったのだが学校に通い始めてクラスの女子に「あんたらめっちゃ仲いいけど付き合ってんの笑」と言われたことでその片割れは「は? 付き合ってねーし。普通の友達だし」的な感じになって相方と距離を置くように。アイスホッケーの部活にも入ってクラスの男子コミュニティの一員となっていくのだったが、相方の方は男子コミュニティに馴染めない文化系なのであった。
まぁこういう話ってありますよね、小学生とか中学生のときには。とくに中学校に上がったばっかのときなんかは男子女子関わらずほとんどの人が軽々してるんじゃないか。小学校の頃はあんなに仲がよかったやつとクラスが別になっちゃってそれぞれ別のグループの中に入っていって段々と疎遠になり…みたいな。「あんたらめっちゃ仲いいけど付き合ってんの笑」の一言で距離を置くようになるっていうのもあるよな。それまでとくに意識してこなかったけどそれで急に恋愛関係みたいのを意識しちゃってギクシャクするとかさ。あるあるだよね。小中学生あるあるの映画ですよこれは。
ただそうしたあるあるから逸脱する後半のダルデンヌ兄弟映画的な展開を見ていて思ったのだがこれは新しい映画のようで内実はかなり古典的なメロドラマなんじゃないだろうか。というのも主人公(金髪の方)の相方の受動的なキャラクターが古典メロドラマに出てくる男主人公の女相手役と被るんである。二人とも農家の設定であることからキレイな畑の映像が折々で出てきたりすることも古典メロドラマ感に拍車をかけて、ここには古典メロドラマに多く見られる田舎と都会、無垢と社会の二項対立の図式が背景に透けて見える。
メロドラマへの憧憬とは少なからず過去の美化を含むものじゃあないだろうかと思えば、主人公と相方の当初の関係こそが本来的で自然な人間のそうあるべき姿で、学校が象徴する社会や技術といった人工的な構築物がそれを破壊する、というある意味反進歩的な思想がここから読み取ることもできる。すべての映画が進歩を賛美する必要は当然ないとしても、監督本人がこれはクィアについての映画だみたいなことを言っているわけだから(※ウィキ情報)、その題材をこの思想…とまで言えるかどうかは分からないがともかくこういう反進歩的な視座に立って作り上げる、というのは率直に言ってそんなに褒められたことではないんじゃないだろうか。
この映画がカンヌでグランプリを獲った年のパルムドールは『逆転のトライアングル』であった。そう考えるとそう攻めたところがなくむしろ保守的な『CLOSE/クロース』がここまで高く評価されるのが不思議というか、あれだなカンヌというところは案外映画の表面で良い悪いとか古い新しいを判断するところがあるのかもしれない。まぁ、俺には関係ないからなんでもいいか! 「あの頃」の感じを鮮烈に思い出させてくれる、面白い映画だったと思います!
【ママー!これ買ってー!】
同年カンヌのコンペ部門に出品されたダルデンヌ兄弟の『トリとロキタ』も子供二人の関係性の物語で、最近のカンヌでは子供同士というネタがとにかく好評。