ジジィだって進化したい映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』感想文

《推定睡眠時間:0分》

おれはもうすぐ死ぬ。今、感じていることも感じなくなる。この灼熱の苦しみも消えてなくなる。おれは喜び勇んで葬送の薪の山に登り、劫火の苦しみに歓喜の声をあげるのだ。やがてその大きな焚き火の火は消えて、おれの灰は風に運ばれ、海に散る。そして、おれの魂は安らかに眠るだろう。たとえものを思うことがあろうとも、もう今のようには思うまい。さらばだ
メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』芹澤 恵 訳

ユニバーサル・ホラーの古典『フランケンシュタイン』に登場するフランケンシュタインの怪物は純粋だがあまり知的でなく善悪の区別がつかないツギハギ人間となっているが、これは原作とは大きく異なるもので、メアリー・シェリーの原作におけるフランケンシュタインの怪物はこんな詩的な別れの言葉を残して自ら闇の奥へと消えていく、知的にも肉体的にも平均的な人間を凌駕する超人類として描写されている。その設定、そして最期の台詞から『ブレードランナー』のロイ・バッティを連想してしまうのは俺だけであろうか。

他に言及してる人を見たことないのでおそらく俺か俺の他に世界で8人ぐらいだろうと思われるのだが、そんなことを思い出しわざわざ押し入れの奥から原作本を取り出して手打ちで引用する完全に『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』とは関係ない無駄な手間をかけてしまったのはこの映画の主人公の一人であるところの臓器生成アーティスト役ヴィゴ・モーテンセンの芝居が『ブレラン』のロイ・バッティことルトガー・ハウアーを参考にしているとしか思えなかったからで、そして黒いローブを身に纏い有名アーティストのはずなのに人目を避けるように時代錯誤なゴシック建築の屋敷でひっそり暮らしているその姿は原作版『フランケンシュタイン』のフランケンシュタインの怪物、およびユニバーサル版よりも原作に忠実なケネス・ブラナー版の同名映画に登場するロバート・デ・ニーロ演じる怪物を思わせたからだった。

はたしてこの符号(?)にはいかなる意味があるのだろうか。まったくわからないが『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』に登場の生体家具…これはそれを使用する人間に合わせて適宜形状を変化させ人間の不完全な挙動を補助してくれる一種の介護機器のようだがやたら生々しい生物的なフォルムをしている上に生きているのかなんなのかよくわからないがぐぐぅとか機嫌悪そうに唸っているのでこんなのに介護されたくない感が満載な謎の家具であるが…この生体家具がリドリー・スコットの『エイリアン』で主人公一行がエイリアンの卵を発見する異星に置かれていたH・R・ギーガーのデザインによると思われるでかい異星人通称スペースジョッキーの座っていた椅子、そして『ブレードランナー』の本編からはカットされた病院のシーンにおける医療用ベッドのデザインと類似している、とまで言えるかどうかは個人差があるだろうが、少なくとも発想の方向性に共通点が見出せることはわかる。

『ブレードランナー』と原作版『フランケンシュタイン』、『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』と『エイリアン』、リドリー・スコットとデヴィッド・クローネンバーグ。思えばリドスコの方もクローネンバーグとは違う形ではあるが『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』で人類の進化を描いたものであったし、人間の身体的な性への関心とその越境を描いている点でもこの二人は共通していた。クローネンバーグといえば最近言うところのボディ・ホラー・ジャンルの元祖であり80年代のホラー映画ブームの落とし子の中でもとりわけ独創的な監督として見られてきたが、齢八十に達した今になってリドスコにちょっと寄せてきた感を出してくるというこれはいったいなんなのか。もしかして本当は世間で言われるほど頭のどうかしている監督ではなく結構他の映画とかも普通に見るし影響も受ける人だったんじゃないだろうか。クローネンバーグのフィルモグラフィーにあっては異色の普通のスポーツドラマ『ファイヤーボール』も本人談「いつもと同じように撮っただけ」らしいし。

クローネンバーグも人の子である。こんな奇抜っぽいあらすじ(※詳述は困難なので公式サイトなどをご覧下さい)の映画から見えてくるものがクローネンバーグ人間説というのもなんだか可笑しいのだが、とはいえ考えてみればクローネンバーグが数々の変態映画で提示してきた人体の変容もしくは進化というのはボディ・ホラーと後年呼ばれるようになるだけあってあくまでもホラーなのであり、そしてホラーというのはどんな場合でも日常が非日常に呑まれていくときに生じるもの、それはつまり変化を待望するのではなく変化を恐れる保守的な態度に由来するものということであるから、奇抜であればあるほどそこから俗っぽさが滲み出るというのは別段おかしなことでもないのかもしれない。

それはとりわけクローネンバーグのカナダ時代の作品に言えることで、バイク事故で瀕死の重傷を負った女が特殊な外科手術によって蘇生するも副作用として脇に生えたペニス状の器官から人の血を吸わずにはいられなくなる『ラビッド』、女が受精なしでポコポコ子供を産むようになるがその子供は母親の感情や無意識を反映するパペットだったという『ザ・ブルード/怒りのメタファー』などは、比較的ストレートに男から自立していく先進的な女に対する保守的な男の恐怖が反映されていると見ることができる。この2作はいずれも事故的に突然変異を遂げたそれはそれで被害者だろな女に対する同情を拒絶する冷たいムード、変異女をその配偶者であった男が恐怖し責め立てゴミのように殺すラストが共通している(『ラビッド』の方は直接手を下すわけではないが)

俺はその頃のクローネンバーグ映画の薄情がたまらなく好きではあるが、まぁやはり人間歳を取ると丸くなってくるところもあるんでしょうな、『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』にはかつての冷たさと女性嫌悪はほとんど見る影もない。プラスチック食べちゃうキッズ(男児である)をそのシングルマザーが殺す冒頭のシークエンスこそ女への恐怖が微かに残っているが、用途不明の新臓器を加速進化症候群なる病気のため日夜産出しながらも身体の方は日に日に衰弱し死へと向かっていく老齢の男主人公に対して、その周辺に蠢く女たちはみな若々しく変化に対する恐れを見せない、むしろ人体の変容による人類の進化を待望している気配が濃厚。

おそらくクローネンバーグは負けたんである。かつては変容する女たちをヤングマンの腕力で殺せていたが、もうおじいちゃんだから殺せない。いやそれどころか女でも男でもいいが誰かに介護してもらわないとできないことが増えてきて、自分一人で生活することが困難になったので、とてもとても人を殺す余裕なんかないのである。それを進化と呼ぶならば女たちは進化していくだろう。自分はそれを止められないし止める気もない。というより、むしろ自分も男という性を超越して進化の群に入りたい…それが不死に繋がるかどうかはわからないがこのまま老いて死んでいくぐらいなら女と一緒に進化した方がよいに決まっているではないか…そのように解釈すれば実に痛切なラストな『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』だ。かつてのギラギラした冷たさはここにはないが、その代わりに人間クローネンバーグの弱々しいヘルプが聞こえるようで味わい深い。

というような作家論的な楽しみ方は大いにできる映画なのだが映画単体として見たときに面白いか面白くないかでいえば結構ビミョー。いろいろな造語が飛び交い退廃と進歩の入り交じるポストモダンな未来世界はおもしろいのだがクローネンバーグほど名のある監督でもこの内容では予算集めが難しかったのかその世界観が具体的な画として提示されるのはほんの少しで、8割方説明台詞頼りというのはいくらクローネンバーグ映画といってもさすがに苦しくはないか。とにかく画面に映るのは錆びた建物とか人気のない夜道とか倉庫の中みたいなところばかり。通ってた大学かなんかだけ使って撮ったアマチュア時代の習作『クライム・オブ・ザ・フューチャー』を複数形にしてウン十年越しに作り直したら画面に漂うチープさまで踏襲してしまった…。

それでも従来のクローネンバーグ映画の主流であった北半球の風景とは異なる、撮影地がどこだかは知らないがアフリカの途上国のスラムを思わせる風景は、J・G・バラードの終末世界を思わせ魅力的である。西洋の時代はいずれ終わりこれから進化と進歩の中心地となるのはアフリカなのだという期待は多かれ少なかれSF者にはあるんじゃなかろうか。そのへんの淡い夢を『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』は刺激してくれる。

それにしてもこの映画、よう考えたら風景だけじゃなくてなんだかよくわからない組織が暗躍してなんだかよくわからない陰謀が進行して主人公は終末を感じながらただ右に左に揺られるままみたいなプロットもバラードの終末SFっぽい感じである。『クラッシュ』というバラード原作映画の決定版を撮り上げているクローネンバーグだがこれはその『クラッシュ』をも凌いで業界の巨星二人が最接近した映画ではあるまいか。リドスコっぽくもバラードっぽくもあるクローネンバーグの新作…中二映画オタクがノートの片隅に書く夢のような映画だが別に公式にコラボしたわけではないのでクローネンバーグお前はそれでいいのかと思うところもないではない。

これでだいたい思ったことは書き終えたが最後にブレックファスト・チェアとか呼ばれる食事補助用の生体イスがめちゃくちゃ飯食いにくそうで登場する度に笑ってしまったこと、ありがとうございますヌードを披露してくださったレア・セドゥのおっぱいは乳輪が大きくかつ整っておりキレイなひまわりのお花のようでした、と忘れずに書いておこう。このようなうつくしい女体はかつてのクローネンバーグは撮らなかったですからね、いや本当。

【ママー!これ買ってー!】


ファイヤーボール コレクターズ・エディション [Blu-ray]

特典映像にオリジナルの方の『クライム・オブ・ザ・フューチャー』とこちらも習作の『ステレオ/均衡の遺失』が入っているので実質クローネンバーグ三本立てというお得セット。全部あまり面白くないと思いますがお得はお得です。

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