《推定睡眠時間:0分》
20代の頃におよそ6年間やっていたコンビニ夜勤の仕事内容にはトイレ清掃も含まれているわけだからここ数年のバイトであるオフィス清掃と合わせて10年弱おれはサニタリーボックス内のオリモノのニオイを嗅ぐ環境にいたわけだがといったい何を書き始めたのだと動揺(というより嫌悪)している方も多いかと思いますが急にこんな話をしてるのは『地獄のSE』の主人公は恋する同級生女子のオリモノを嗅ぐのが趣味という変態寄りの男子中学生(演じるは女の人)だったためです。
オリモノ嗅いで早10年。何も好き好んで嗅いできたわけじゃないがそれだけ嗅げば童貞ながらオリモノの標準臭ぐらいはわかり、だものだから先日のトイレ掃除で衝撃を受けてしまった。佃煮!? そのオリモノはどう嗅いでも甘辛系の佃煮としか思えないニオイを放っていたのである。乾燥したイカのようなニオイのするオリモノならわかる。俺は万年痔の持ち主なのでとくにカフェインを摂取した日などはトイレットペーパーが深紅に染まることが少なくないが、その痔血と同じニオイである。これは珍しくないし、佃煮臭はある意味その進化形としてよくよく考えればそうおかしなニオイでもない。
だとしても佃煮である。オリモノのニオイを嗅いで美味そうと思ってしまったのは初めてではあるまいか。別にオリモノを食べたいと思ったということではない。当たり前だろ。そうじゃなくていやだから本当にマジで甘辛佃煮そのままのニオイだったんだって…でもオリモノ以外はサニタリーボックスに入ってないしそしたらオリモノのニオイと考えるしかないじゃん。っていうか会社のトイレに佃煮持ち込む状況とかないじゃん普通。なんだったんだろう。なんだったんだろうね? 俺もびっくりしたがトイレを使った本人はもっとびっくりしてると思う。普段からそれならいいが今回だけガチの佃煮だったら絶対病院行った方がいいよなんかヤバイやつかもしれないから…以上、トイレ清掃員の現場報告でした。
映画はそんな話とはまったく関係なくオリモノ好きの男子中学生という設定も最初の方に出てくるだけでぶっちゃけあんま関係なかった。これはどうやらなんだか好きな人と性別を超えて一体になりたいという男子中学生の願望の表現のようである。ようであるっていうかそういう台詞言ってた。というわけでオリモノ映画という感じではあまりなく…そもそもオリモノ映画というジャンルが存在するのかという話だが…あえて言えばなんかゴダール映画みたいだった。
描かれるのはどっかの田舎の冴えない中学人間模様だが、それを台詞の棒読み、噛み合わない会話、繋がらない編集、唐突な展開、ヘタウマアニメの挿入、女性キャストが学ランを着て男子生徒を演じる演劇性…等々で見せる。カメラも一種類ではなくminiDVカメラとかオモチャカメラとかスマホカメラとかいろいろ使ってるらしいのでシーンごとに映像の質感はかなりバラバラである。これは前衛映画。『地獄のSE』はカナザワ映画祭関連企画タテマチ屋上映画祭の目玉作品だったわけだが、今年のカナザワ映画祭ではエロDVD鑑賞が趣味の田舎ジジィがゴダール映画に目覚めるインド映画『アデュー、ゴダール』が上映されていたので、ゴダール的前衛精神はこんな風に今の映画監督の人に受け継がれているんだなぁとなにやら感慨深いものがあった。
前衛映画なのでこう言うと身も蓋もないのだがおもしろいわけでは別にない。主人公が事故死した同級生の棺に使用済みナプキンを入れて「いやそれじゃコイツがオリモノ好きみたいじゃねぇかよ」と友人にツッコまれるあたりとか饅頭と葉っぱを一緒に食べて「一緒に食べれば…桜餅…!」とか素朴なボケを発するあたりのほほんと笑えたが全体的にはおもしろいわけでは別にない。けれども魅力がないわけでは当然なくむしろすごくこう俺にとっては嫌な魅力がこの映画にはあった。
田舎の映画なのである。どこにでもある狭くてつまらない田舎(などと書けばロケ地に失礼かもしれないが…)のさっぱり映えない風景ばかりを背景にしてシーンを作る。もううんざりしてくる。その中で繰り広げられるのはゴダール風の意味の通らない会話と棒読み芝居なのである。そして脈絡なく訪れる無意味な死。事故だの自殺だので主人公の周囲の人間は気付かぬ間に次々死んでいく。あぁ…もうホントに嫌! なんてなんてなんて退屈な世界なのだろう! スマホもねぇ! ゲームもねぇ! カラオケはあるけれど、IKEAなんか見たことねぇ!
その田舎の狭さと退屈さが迫真のものだったので金沢竪町の立体駐車場屋上で観ているうちにどんどん気分が沈んできてしまった。俺は田舎が怖い。アスファルトとコンクリートと人間とその糞尿で溢れかえった都会じゃないと落ち着かない。田舎の余白に耐えられない。人も建物も音も光もそれにニオイだって田舎は余白が多すぎる。田舎といったところで金沢市内中心部の竪町は表参道を切り取って持ってきたような大都会だし金沢市内は北陸有数の人口密集地のはずなのだが、ともかく東京カオスを一時的に離れて金沢の広い夜空の下でこんな映画を観ようものなら効果絶大、こ、ここから今すぐ出してくれぇぇぇ! ってなもんである。
『アデュー、ゴダール』の方も舞台はインドのド田舎村で、主人公は言語化はできないものの秘かに感じているらしいそこからの脱出願望をゴダール映画に託すという展開だったのだが、この『地獄のSE』のゴダール風前衛というのもやはり田舎の窮屈退屈を打破するために導入されたものなんだろうと思う。主人公が憧れその使用済みナプキンタンポンを蒐集している女子同級生というのはなにせ前衛映画だから詳しいことはわからないが反抗期真っ盛りらしく、閉鎖的な田舎をぶち破る存在のように主人公の常時クマの浮いた不健康な目には映っていた。とにかくなんでもいいからこの虚無の空間から俺を助け出してくれ! その決してエモーショナルには表出しない、けれども相当に切実な願望も、結局はなーんちゃってのごっこ遊びに回収されてしまうのだからこれは容赦のないおそろしい映画だ。おそろしいから俺はもう一度この映画を観たいとは思わないが、それは作品の強烈な個性であり無二の魅力でもあるだろう。
名前を覚えてないのですいませんですが主人公の男装不健康女子役者さんはめちゃくちゃ俺のシナプスに刺さった。こんなキュートな歪みはもうねもうほらあれだよあれ戸川純みたいなね。そういうのたまりません好き。あと保健室の先生も女の役者さんが男の役を演じているんだと思いますがこの人も長身細身のハスキーボイスでカッコよくてねぇ、そういうのも大好きぐふふ。なんだか書いているうちに気持ち悪い人になっているが仕方がないだろ好きなものは好きなんだから。だいたい最初からオリモノがどうとか気持ち悪い話をしてるんだから今更少しぐらいキモさが増したって変わらないだろ。まぁとにかくそういうね、そういう実験的配役の中で男同士として好き合ったり反目したりする女役者さんたちのこの屈折した百合性というのもなかなかのフェティッシュかつ体温ゼロにエモーショナルでございます。それもまたこの映画の魅力。しかもかなり強めの魅力である。
それにしても『地獄のSE』っていうタイトル、つまらなすぎて死にたくなる田舎が舞台だから地獄はまだわかるけどSEってどういう意味なんだろうね。そのへんが謎なのもゴダール的前衛イズムかもしれません。
【ママー!これ買ってー!】
会社ホラーの『地獄の警備員』があるから最初『地獄のSE』のタイトル観た時にシステムエンジニアが地獄の労働環境で死んだり殺したりする映画かと思ったよ。
おりもの連呼されているところ、つかぬことを伺いますが、おりものと生理は別物だということはご存じですか?
サニタリーボックスからおりものの匂いはしないと思いますが…
知らなかったです!この映画は主人公がオリモノ好きという設定でサニタリーボックスからナプキンを回収するのが趣味だったので、オリモノ=生理の時に出る血かと思ってました…