《推定睡眠時間:25分》
今のホラー映画とかホラー小説にはあまり見られなくなってしまったが黎明期の怪奇小説では名状しがたい怪異は海からやってくるってなもんで海とか船が重要なファクターになっていた。ラブクラフトが参照した『夜の声』のホジスンは怪奇小説家というより海洋小説家であったし、ラブクラフトが参照したといえばエドガー・アラン・ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』は海洋冒険小説が次第に幻想怪奇の世界に飲まれていく構成を持つ、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』もまた創造主フランケンシュタインと怪物が最終対決するその舞台は北極か南極に向かう船の上であった。
ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』のなかでも有名なパートであるデメテル号の惨劇はこないだやったネットフリックスのドラキュラドラマでも大きく取り上げられていた。ホラー映画の古典的カルト作『吸血鬼ノスフェラトゥ』もまた同様。名状しがたい恐怖は海からやってくる。ということで『吸血鬼ドラキュラ』中のデメテル号編を拡大クロースアップして映画化したのがこの映画『デメテル号最期の航海』。
面白かったな。監督は『トロール・ハンター』や『ジェーン・ドゥの解剖』のアンドレ・ウーヴレダルですけど、この人って予兆の作家です。恐怖そのものはなかなか姿を現さず恐怖の所在を指し示す様々な予兆…まぁたとえばですけど動物たちがやたら何かに怯えてるとか…が次々と主人公たちの前に現れていく。ホラーではないが『MORTAL モータル』なんか決定的な出来事は起こらずにヒーロー誕生の予兆だけで映画一本を作ってしまったほどだ。なお『MORTAL モータル』は予兆しか起きないたいへん地味なヒーロー映画だったためロードショー公開は見送られた。
つーことでこの映画『デメテル号最期の航海』も予兆の映画、ドラキュラの本格登場~対決までをいや引っ張る引っ張る。これは不吉やで…あかんていやあかんて…の怪奇ムード醸成は見事なもので思わず安い関西弁になってしまう。阪神さんリーグ優勝おめでとうございます。まぁそこが面白くてある程度満足しちゃったからドラキュラと船員のバトルが始まったら寝てしまったが(とはいえ対ドラキュラバトルは大嵐の中で巻き起こるんでエル・グレコのキリスト画のように大仰な絵作りになっており、その過剰なケレン味がスゴイのだ)
前にどこかでドラキュラ版『エイリアン』と呼ばれていたと思うがその心は逃げ場のない空間で一人また一人と神出鬼没の怪物に襲われ消えていくという展開にある。なるほどたしかにこのドラキュラも最初は甲板の上を呻きながらゆっくり這うぐらいしかできなかったが(そこがいちばん気味悪くてよかった)乗組員の新鮮な血を吸う度にパワーを得ていきどんどん強く自由になる。『エイリアン』のエイリアンも乗組員を食って成長するのでドラキュラ版『エイリアン』のたとえは当を得たものだが、『遊星からの物体X』みたいに犬が尋常じゃない勢いでギャンギャン吠えるシーンとかあるし、予兆の見せ方なんかは『エイリアン』というよりも『遊星からの物体X』に近かったので、ドラキュラに噛まれて生き残っちゃうとそいつも吸血鬼化する感染性からしても、ドラキュラ版『遊星からの物体X』あるいはその原型の『遊星よりの物体X』といった方がイメージが感覚的に伝わるような気がする。
あまり言及されることはないが『遊星からの物体X』はラブクラフトの『狂気の山脈にて』から多くを負っており、航海の末に辿り着いた南極のそのまた先にこの世ものならざる怪異があった…という意味でこの二作は海洋怪奇小説の延長線上にある。さいきんはすっかり細くなったとはいえ怪奇/ホラーの世界に脈々と受け継がれる海の恐怖を久々に大画面で見せてくれたという点で、『デメテル号最期の航海』、単に面白いだけじゃなくてけっこう嬉しい感じの映画なのです。
ちなみにラストですけれども「続編ありそう?」みたいな感想がネットに多く上がっていたのでまぁいいやこんぐらいネタバレにはならんだろと思って書いてしまうとあれは続編の布石っていうかいやまぁ続編たぶん作るつもりなんだと思うんですけどそれ以上にヴァン・ヘルシング誕生の瞬間を(おそらく)描いたものですよあれは。ヴァン・ヘルシングは知力でドラキュラと戦うドラキュラ永遠のライバル、という基礎知識はギリで俺の世代のホラー好きはとくに意識しなくても頭に入っていると思われるが、そういえばドラキュラもののヒット作なんかしばらく出ていなかったし最近のホラー映画好きはあまりピンとこないのかもしれない。だから中途半端な終わり方やなと感じるかもしれないんですけど、ヴァン・ヘルシングは知力でドラキュラと戦うドラキュラ永遠のライバルと頭に入れて観れば、あ、そういうことだったのか! と、あのラストわりと腑に落ちると思います。
【ママー!これ買ってー!】
言われてみれば読んだことのない『吸血鬼ドラキュラ』。角川文庫版は表紙が今風(そして電書版が出ている)