《推定睡眠時間:40分》
製鉄所の事故で時間が止まった町の話と聞けばそれが福島第一原子力発電所事故のメタファーないしそれを着想源としたものであることはわざわざ言うまでもなく大抵の人が思い至ることだろう。その点である意味ベタな発想のこの映画なのだがアレっと思ったのはその製鉄所事故、これは毎日繰り返すわけだが事故が起こると炉からなんか恐い顔の巨大霊体オオカミみたいのがにゅにゅにゅ~って出てきて町を覆うエネルギードーム様のなにかに向かっていく、でこいつが何をするかといえばエネルギードームに入った亀裂を修復するんである。だいぶ勢いよく向かっていくからドームを突き破ろうとするのかと思えばその逆で、このにゅにゅにゅ~って出てくる巨大霊体オオカミは顔の恐さに反してヒーラー系のスキルを所持しているらしい。
そのことから町の大人の中にはこの巨大霊体オオカミをむしろ崇め事故の起こる、そしてそこから巨大霊体オオカミの出てくる炉をご神体として祀っている者がいる。祟り神を祓うのではなく祀ることでその怒りを静めようとする神道的・日本的な発想ともいえるが、俺がそこから連想したのは核兵器によって生まれたミュータント族たちが、核兵器を自らを生み出した神として崇める『続・猿の惑星』だった。あなたのおかげで私たちはここにいる。グロテスクだが、その理屈も感情も充分に理解できるものだ。巨大霊体オオカミがドームの亀裂を修復する光景を見れば、大抵の人は自然とそう感じるのではないだろうか。成長と変化の可能性をある程度捨てて、自分はこれからも変わることなくここでずっと生きるもの、と思い込んでいる大人たちであれば。
ドームとは当然卵の殻のメタファーだ。町の子供たちが変化を望めば望むほどそこには亀裂が入る。子供たちは自身と世界の変化を望んでいるのだが、殻を割って外の世界に飛び出そうとする願望は、毎日毎日製鉄所から出てくる巨大霊体オオカミによって打ち砕かれて、否なにごともなかったかのように修復されてしまう。設定が粗いという感想もチラホラ見かけるこの映画だが、それはこの映画がSFというよりは抽象的な寓話を意図しているからだろう。変化を拒まれた子供たちは少しでも変わらない毎日に変化をもたらそうと自傷的な遊びに興じているが、自傷の極限にある死というのは変化のひとつの形である。
変化=死を恐れる大人たちは、製鉄所の事故が終わりのない自分たちの世界を作り上げたとして事故を起こした炉を崇める大人たちでもある。もしかしたら時代設定が1991年だからと製鉄所イコール福島第一原子力発電所のメタファーなんだ論を否定する粗忽な人も少数おられるのではないかと思われるのだが、メタファーであるから別の時代や別のモデルを借りているのであって、その含意に目を向ければそれ以外に解釈する方がむしろ不自然だろうということは、以上の図式から明瞭に浮かび上がってくるのではないだろうか。これは福島第一原子力発電所事故という巨大すぎて万人が解釈を共有することの不可能な時代の裂け目の中で、それを受け入れて性と死の渾然一体となった情熱的な有限の生を生きようとする子供たちと、それを拒絶して無限である代わりに虚無的な延命を続けようとする大人たちが、相克する物語なんである。
アリストテレスを冠するだけあって(最初の方に出てくるエネルゲイアというのはアリストテレス哲学の用語である)高度に抽象的な映画で、そのへん唸らされるところだったのだがただ台詞が多すぎてちょいちょい流れが止まるので眠くなってしまった。たまに起きてもまたなんかずっと喋ってる。設定の説明だって主人公のモノローグである。思弁の映画と思えばその台詞重視の姿勢はわかる、いや大いにわかる。ただ眠いのである。ずっとこう…長い台詞が続くものだからこう…意識が…zzz。
あと背景画がなんかずっとキラキラした感じになってるとか製鉄所のオオカミ少女のスーパー舌足らずなアニメ女児ボイスとか悪役が絵に描いたようなオタクキャラだとかあえて記号的なアニメ表現を多用しているようなところがあって、それもおそらくは製鉄所事故で閉ざされた町の虚構性を示すための演出ってなもんでなにも考えなしにやってるもんだとは思わないのですが、考えがあろうがなかろうがうわぁアニメだなぁみたい表現ばかり観ていればアニメオタクはいいかもしれないが俺のような門外漢はうわぁアニメだなぁと思って若干引くしあと眠くなる。それでも眠くなるの? それはもう表現がどうとか関係なく単に眠かったんじゃない? まぁその可能性もあります。
ベタなアニメ表現と長台詞が続いて眠りなりつつ同時に胃もたれもしてきたところで導入されるのは90年代邦テレビドラマ的な露悪趣味と甘ったるい感傷の入り交じった腐敗臭であった。『未成年』とかな。『人間失格』とか。あぁ『聖者の行進』とかね。まぁだから野島伸司的なやつだよ。あのニオイがある。なんだか消化不良を起こしそうな映画だ。こんなもん正面から吸引したら耐えられないかもしれないので眠りは防衛機制のはたらきだったのかもしれない。
よいところは、プロット、福島第一原子力発電所事故というきわめて具体的で重いモチーフを世代間闘争の背景として再解釈した、その抽象性。よくないところは、演出、アニメオタクとかエロゲオタクが喜びそうなことばかりやっている、その臭みの強さ。でも後者はクサいからいいんだよとおっしゃる方もいらっしゃるでしょうから人によっては良さになるんだろう。俺にとってはそうではなかったという話。あとは寝てたからわかんない。
※え、オオカミ少女の正体? ありゃ誰かと誰かの子供だよ。設定がどうとかじゃなくて寓話的に解釈すればそうなるという話。よいかね、世界が終わるときにドーム=卵の殻は破れる、つまりそれは出産のメタファーだ。ならその世界を破ったのは誰と誰なんだという話なのだ。
【ママー!これ買ってー!】
古典過ぎて逆にそんなの読まないでお馴染みのアリストテレスをこの機会に履修するのもよいかもしれません。すいませんだいぶ適当なこと言いました。
予告編を見ていて何か妙な古臭さがあるな…とずっと思っていたのですが、野島伸司的というにわかさんのコメントがめちゃくちゃ的を射ていてスッキリしました…w
刺さってる人にはざっくり刺さってるようなので、やはり野島伸司的な作劇方法は未だに好きな人にはよく響くものなんでしょうね…
なにしろ野島伸司シナリオは俗悪ですけどエモいっすからね…野島伸司ドラマはうちの母親が好きで放送当時よく観ながら泣いてましたよ。可哀想な子たちが頑張ってる!みたいな感じで。いつの時代もその手の同情エモは強いんでしょう…
川村元気プロデューサーと仕事したらもうちょい万人向けするだろうと思う一方、
すんなりとリテイクに従うかどうか…?
それはイヤ笑
この臭味は作品の個性だと思うので殺さない方がいいと思うんですよ