聖なる承認欲求映画『シック・オブ・マイセルフ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

犬に噛まれて出血したおばさんの近くにたまたま立っていたことでおばさんに寄りかかられ流れで微妙な介抱をしてやったためにみんなに偉い偉いと褒められて承認の快楽に目覚めてしまった主人公はみんなの注目を集めるには人助けなどもいいがおばさんのように何らかの被害者になるのがイチバンと判断し服薬すると副作用で重い皮膚病を発症するロシアの謎抗不安薬に手を出してしまうという世にも苦笑いなあらすじをもつこの映画だが小学生以来のアトピーユーザーである俺は今はごくごく軽いものとなったとはいえ小学生時代は膝の裏がパックリと避けてそこから溢れ出す血とリンパ液の混成物で膝を動かす度にガサついて痛いし気持ち悪いしそしてなによりも痒く痒く夜も眠れぬという日々を過ごした記憶がまだ残っているので、その描写からすると炎症を起こした患部は痒くなるらしいこの薬害に自ら身を投じる主人公の病気っぷりに、呆れるよりもむしろ感心してしまった。

承認欲求のためなら顔面が変形するほどの炎症と痛み痒みを伴う皮膚病を恐れないその狂っているが徹底して肝の据わった態度。皮膚病発症後ももっと酷くもっと酷くと主人公は薬害ロシア薬を服用し続けるし、その後いろんなものを当然ながら失っていくのだが、取り返しがつかないとまでは言わなくともかなり無駄な損失および喪失をいくら経験しても主人公の頭に浮かぶのは「これでもっと注目を浴びられるじゃん!」。その心象風景は映画ドラえもんにおける冒頭ののび太の夢や寅さんにおける寅さんの夢のようなバカバカしい形で画面に表れるのだがお前間違った方向にポジティブすぎるだろ。かなりどん底に沈んでいるのにこんな風にぶっ壊れた私が自伝を書けばベストセラー間違いなしとか前向きに妄想できるのは強すぎる。あらすじからすれば悲惨かつ辛辣なブラックコメディと思えるが、主人公のメンタルが異常に太すぎるのでとくにそんな気にはならず、なんか逆に(?)爽快な後味が残るからこれは不思議な映画である。人間やはりどんな方向でも突き抜けた方がいい。

さてそんな主人公を取り巻くのは街で盗んできたイスを「アート」として展示することで一躍現代美術界の注目の的となった泥棒男の彼氏、インクルーシブとかダイバーシティみたいのが口癖でそのリベラルな理念を実現すべく障害や病気のある人を雇っているが本気で不平等是正に取り組む気はなく単にやってる感がほしいだけなので盲目のアシスタントに全然配慮してくれないファッション雑誌だかの偉い人、そして主人公の自作自演皮膚病を見てやたら可哀相可哀相リスペクトリスペクトと持ち上げる有象無象。なんだかろくでもなく無責任で自己中心的な人ばかりである。

こんな人たちばかりが上手いことやっているように見えてしまう病んだ世の中にあらば主人公のような何の才能もない凡人カフェ店員がだったら私も考えるのは至極当然といえよう。盗んできたイスをギャラリーに置いてるだけの無能な泥棒男がなぜ現代美術界の異端児として持て囃されるのか? 一人で運べないイスを一緒に盗んでやってるのは私なのに! 多様性ゆーて障害のある人とか重い病気を持ってる人を積極的にモデル起用してるファッション業界の偉い人が皮膚病の悪化で顔が膨れ上がった自分を「これじゃあ服の宣伝にならないよ」とばかりに避けようとするのはなぜなのか? 結局あんた自分にとって都合の良い弱者を求めてるだけじゃないか! 「病気のあなたは美しい」? 「皮膚病をさらけ出す姿に勇気をもらえた」? 大して思ってもいないことを自分を善人に見せるためにSNSで発信するな!

見ようによってはカスみたいなこの主人公ではありますが、主人公を承認欲求モンスターにしたのはカスみたいな社会なのです、とこの映画は世相をぶった斬る。それが社会の犠牲になった哀れな凡人の寓話に着地してしまったらせっかくの露悪的な風刺も台無し。でもそうなっていないからご安心。主人公を演じたクリスティン・クヤトゥ・ソープのどこまでもエゴ剥き出しでポジティブに狂ったかっこいい姿を見ていると後腐れなく狂った社会を嗤えます。だって彼女はこの狂った社会よりももっと狂うことで社会に勝ったのですから。社会の要求する安全で無害な被害者を突き抜けて社会が捉えきれず見て見ぬ振りしかできない巨大な存在となったのですから。その目を通して社会を見下すときに、なんとそこに生きる人々は小さくて滑稽に見えることだろう。

狂って狂って、自傷して自傷して、失って失って、それでもなお生を放棄せず「生きたい」と口にする主人公には、現代社会が失いつつある剥き出しの生への意志があるんじゃないだろうか。そう思えば、これは人間の生を称揚する、なかなかの感動作とも見える…かもしれない。

【ママー!これ買ってー!】


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このブラックユーモアの感じはわりと初期のラース・フォン・トリアー作品に似てる。

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